クリスチャンとして生きるということ⑩
〜つい将来を心配してしまう方へ〜
聖書の教えは教理面と生活面に大きく分けられるかと思います。今回は生活面から、ストレスな現代に負けない聖句を紹介しましょう😉
明日の自分はどうなっているだろう、5年後は、10年後は、、🕰と私たち人間はついつい心配してしまう生き物です。エホバ神さまは、どんなに努力していても人がつい思い煩ってしまうことをよくご存じの上で、このように勧めています。
「何を食べ何を飲むのだろうかと自分の命のことで,また何を着るのだろうかと自分の体のことで,心配するのをやめなさい。命は食物より,体は服より大切ではありませんか。」(マタイ6:25)
心配し過ぎてストレスばかり抱えるなら、心身に負担がかかり元も子もなくなってしまいます。また、心配しなくてよい理由がこう続けられています。
…「鳥をよく観察しなさい。種をまいたり,刈り取ったり,倉に集めたりはしません。それでも天の父は鳥を養っています。あなたたちはそれよりも価値があるのではありませんか。心配したからといって,誰が自分の寿命を少しでも延ばせるでしょうか。また,服のことでなぜ心配しているのですか。野のユリがどのように育つかをよく考えなさい。苦労して働いたり,糸を紡いだりはしません。しかし,華やかな生活を送ったソロモン王でさえ,このような花の1つほどにも装ってはいませんでした。では,神が,今日ここに生えていて明日火に投げ込まれる野の草木にこのように服を与えているなら,ましてあなたたちには服を与えてくださるのではないでしょうか。信仰の少ない人たち。」(マタイ6:26-30)
…確かに、鳥🕊や草花🌷が自分たちであくせく💦している様子は見たことがありません😌でも神はそれらを世話しているので(必要な実りや雨を与えているので)鳥や花は当たり前のように私たちのそばに毎日います。では尚更、人間のことも神は世話してくださるはずではないですか…?と聖書は述べているのです☺️
「ですから,王国と神から見て正しいこととをいつも第一にしなさい。そうすれば,こうしたほかのもの全ても,あなたたちに与えられます。それで,次の日のことを決して心配してはなりません。次の日は次の日で心配する事があります。その日の問題は,その日だけで十分です。」(マタイ6:33,34)
…神さまが養ってくださることに信仰を置いて、心配せず神さまに頼りましょう、一日一日を大切にしましょう、と聖書は勧めているのです🤲🏻
これらは山上の垂訓と呼ばれる、イエスが一般庶民に向けて話された話の一部です。(マタイ5章〜7章)金持ちや頭の良い人向けではありません。ですから、より裕福になる為ではなく、必要最低限のものは必ず備えられる、という慰め、励ましの聖句なのです。
これらの聖句の受け取り方は、今のあなたの経済状態によってもちがうでしょう。今もしピンとこなくても、どん底に陥った時にこの聖句はきっとあなたを救うはずです😉山上の垂訓で、イエスは当時の庶民の生活に密着したわかりやすい例えを沢山用いられて、優しく人々を教えられました🤗短い時間で読めるのでぜひ読んでみてください🎶
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