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クリスチャンとして生きるということ

私は産まれた時からすでに母からエホバの証人としての教育を受けてきたので、聖書の教えが当たり前の環境で育ってきました。唯一まことの神さまがいること、将来楽園で永遠の命が得られること、今の悪い問題を神さまがなくしてくれることなど…

でも19歳で献身(神の為に生きようと決意すること)するまで、気持ちがなかなか動かなかった時期がありました。単純に、つまらなかったんですね。自分で真理を求めていたわけでも、見つけた感動もないわけですから、そうなるのも当然だったのかもしれません。なにより、聖書の神さま=エホバのことを身近に感じられませんでした。ちょうど思春期の時期でしたが、いたとしてもどこか遠くの存在で、自分のことなど気にかけてなどいない、と思っていました。そんな相手の為に仕える気持ちにはなれません。ですから一時はやめようと思って母とぶつかった時がありました。

でもちょうどその時期に、「エホバに近づきなさい」という、これまでにないほどエホバ神のご性格について詳しく扱われた本が出版され、それを勉強することになったんですね。その本で私は、エホバが必ず愛を動機として全ての物事を判断して行うこと、そこが非常にバランスのとれた神さまであることに気付き、感動しました。(ヨハネ第一4:8)人ではないけど人のような温かみを感じだしたんです。

特に心に残っている記述があります。
預言者エリヤという人が、イゼベルという悪い王妃に処刑されそうになり、命からがら逃げて洞窟に隠れる、というエピソードがあるんですね。(列王第一19:1-12)エリヤは孤独と恐怖と失望でボロボロになっていました。不安にさいなまれるエリヤを元気づけるため,エホバは暴風と地震と火を起こして、宇宙で最も強力な自分がエリヤと共にいることを見せつけてまざまざと思い起こさせるんです(上の挿絵参照)。そのエホバの励まし方を知った時に、ショックを受けたんですね😳まるで電気が身体の中を走ったみたいに⚡️

自分が一人ぼっちに思えたり、ボロボロになって助けて欲しい、と思う瞬間が人生の中で誰しもあるかもしれません。当時の私は、エリヤを自分と重ね合わせていました。エリヤをこうして助けようとした方であれば、自分がそうなった時にも助けてくれるはずなのではないかと。誰も自分のそばにいないように思えても、エホバならいてくれるのではないかと。 私はその願望をどうしても確信にしたくなりました😠強引な言い方ですが、どうしてもエホバ神を友達にしたくなったのです。(ヤコブ4:8)

もうその時点で、神の為に生きる、という気持ちが固まっていたのかもしれませんね。献身して、公の表明であるバプテスマを受けました。そこから今に続いています。

クリスチャンってそれ以外の人にとってはかなり特殊な人種に思うかもしれません。確かに特別な信条(私たちにとっては普通ですが)を持っているかもですが、初めから決意してはいなかったこと、きちんと神様について調べ、友達になれたから今がある、寂しがりやのただの女の子もいたことを私の経験から知ってもらえたらと思います。

私のブログでは知識より、等身大の気持ちに重視を置いて話していけたらと思います😉

長文読んでいただきありがとうございました!

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