我慢における場の依存性
#我慢
#常態行動心理学
#場の依存性
私は良く我慢強いと言われる。
全く本人的には自覚がない。
親からもよく我慢しなさいと
注意をされる程我慢弱い筈
にも関わらず他人から見たら
私は我慢強い方だと言われる。
其は我慢における場の依存性が
その違いを生み出している。
数年前ガス壊疽を患い救急車で運ばれ
夜中であるにも関わらず緊急オペとなり
形成外科部長を始め形成外科の精鋭が
召集され手術が行われた。
生存確率は当時20%未満と言われ、
生還率は極めて低い難病である。
だが当時まだ40代の私を死なせるには
先生方としては余りにも忍びないと思われ
一丸となって事に当たって下さった。
その甲斐あって片足は落としたが、
生命は無事拾う事が叶った。
何せ当時殆ど何も食べれない状態が続き
血管はやせ細り針が中々通らなかった。
而も手術用の太い針なれば尚更、
麻酔科医の先生が何度と差し替え、
その度に私に痛い思いをさせて
申し訳ないと詫ておられた。
勿論私とて血の通った人間である、
痛くないと言えば其は嘘になる。
だが麻酔科医の先生も懸命である、
何とか痩せ細った血管に針を通そうと
真剣に事に当たって下さっている。
そんな時に私が痛いの何のと喚けば
余計先生も焦って針が通らなくなる。
此方としても早く痛みから開放されたい
何より一生懸命事に当たって下さっている
先生にこれ以上の負担を強いる事は出来ない。
故に歯を食いしばりながら笑顔で耐えた。
その甲斐もあって無事針は通り手術も成功
麻酔科医はあんなに我慢強い人は見た事が無いと絶賛されておられたと後から話に聞いた。
これが場の依存性という物である。
母が我慢弱いと言われるのは其処に
我慢を強いる環境がないからである。
其処に我慢を強いる環境があれば耐える、
然れどないのならば耐える必要も無い。
我慢強いか弱いかはその場の依存性により
異なるというのが持論である。