声といのち
日中、どこかから女声合唱団の発声が聞こえてきた。天気も良かったので自分も交じって発声しようかと思ったが、大の大人が大声を出すのと走るのは周りの目がきついのでやめておいた。『鴎』(木下牧子)が聴きたくなったので、合唱団や高校生の演奏を、鼻歌まじりにきいた。とてもよかった。
また、続いて再生された『おんがく』(木下牧子)も良かった。上ずってない、きんきんしていないしっかりした発声を聴くと高校生という感じがする。元気がでる、もとい元気をださないとという気もちになる。
複数の高校の生徒が集まって4人で演奏しているようだ。
いのちが何より大事という言い方をするが、奇石博物館の中では、生物と並列して鉱物を扱っていた。地球の歴史を共に歩んできたもう一つの物体という位置づけだ。生きていないけど、尊い地球の仲間だ。という主張をみた。このとき、生きていることが何より大事というのは、普遍的ではないことがわかったが、今日改めてそのことについて考えていた。自転車に乗りながら。結論として、本人にとっては自分の命がなにより大事だろうが他人の命に関しては、命より大事なものがあってもおかしくないのだろうという、新しくもない視点が自分の中に得られた。命が何より大事であった場合、遺体の回収に誰かの命をさらすことはないだろう。生きていなくても大事に扱われる、鉱物と遺体。ツイッターを真剣30代・40代しゃべり場といった人がいたが、確かに同僚とそんな話をしていたら、引かれる気もする。
更級日記がよみたい。