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#10 日本の未来はどうなるか。国家の衰亡について調べてみた

これまで、黒木氏、高坂氏、森嶋氏、中西氏の衰亡論を見てきた。それらの要点をまとめれば、次のようなこどがいえる。 

衰亡論は、成功者を謙虚にする、衰亡しないための議論である

「衰亡の原因を探求して行けば、われわれは成功の中に衰亡の種子があるということに気づく。」「幸運に臨んでは慎み深く、他人の不運からは教訓を学んで、つねに最善を尽くすという態度が大切」。

衰亡論が議論される社会はむしろ健全

「興味深いことに、その国の人々が衰退を本当に強く意識し始めると衰亡論は読まれなくなる。」例えば、17世紀のスペインは衰退の過程にあったが、衰亡論非難が盛んに論じられるようになった。衰亡過程にあった1930年代のイギリスでも、それまであった大英帝国衰亡の可能性を論じる議論は影を潜めた。

衰亡をもたらす要因に「人間」がある

  1. 高坂氏の指摘を待つまでもなく、大衆社会化は大衆迎合の政治を生みや すく、政治のリーダーシップの困難性を増すが、そこを乗り越えるのが民主主義の知恵。

  2. 戦後政治のリーダーシップについて、中西氏と森嶋氏は、政治家、財界人の変容を指摘する。全体主義、国家主義の「戦前教育」を受け、第二次世界大戦を経験し、使命感と歴史認識をもって戦後の復興と国家再建をめざした世代が引退。現代は、自由主義、個人主義の「戦後教育」を受け、再建が終わった後の新たな国家目標を展望できない世代が政治を担うことになったという。

  3.  黒木氏は次のように指摘する。日本では政治家が委縮しており、決断せずに選挙だけやり過ごす。メディアも政治家に対して弱腰。政治の劣化は国民の責任でもある。イギリスでは各政党が候補者選抜をしっかりやって、おかしな人が出ないようにする。

人間を作るのは教育である

黒木氏は、競争させない教育はおかしい、競争に耐える人間にしないと生き残れない、子どもの能力をそぐような結果になっていておかしい、と指摘する。森嶋氏は、戦前教育の基盤には儒教国の伝統があったが、戦後教育では、誰も贔屓せず貶めもせず、価値判断を排除した結果、論理的思考力や意思決定力が低下し、物資主義的な教育が行われた結果、倫理上の価値や理想、社会的義務への興味が薄れたと指摘する 

衰亡を避けるためには社会経済の改革が必要

イギリスのサッチャー改革を参考に、中西氏は次のように言う。

  1. イギリス人や日本人のように勤勉かつ謹厳な国民が、妙に「楽しい社会」になった時には、そこに深刻な時代の挑戦から目をそむけようとする「問題のすりかえ」があることが多い。衰退し始めた社会が、差し迫る大きな歴史的不適応を直視せず、問題を目先のものにすりかえるのは、どの国にもありがちな傾向。

  2. 技術的な政策論を展開する「エコノミスト流の改革」は必ず失敗する。サッチャー改革では、「精神の改革」、「哲学の転換」が議論され、その土台の上に「小さな政府」、「自己責任」が唱えられた。同時に「イギリスの偉大さ」を回復するための改革であることが強調された。そこには「国会意識」、「国家像」が示されていた。

  3. 改革は不人気なもの。性格上、その時代の人々の嫌がることを断行するから当然。その意味が人々に理解されるのは、少なくとも20~30年後である。「人々の合意に基づく改革」はあり得ないし、言語矛盾

  4. 従って、改革のリーダーは「人を驚かす強い言葉と象徴的な行動で、古いぬるま湯に浸っている人々にショックを与え、意識変革を迫り、それによって新たに国民的エネルギーを結集していく政治指導」が必要。

  5. 改革には国民一人ひとりが抱くべき「精神の姿勢」が重要。イギリス流にいえば、「マドルスルー」。改革は困難で、必ずしも実現できないが、成果に向かってもがきながら進んでいく、そのプロセスを楽しむという考え方である。闇夜で霧が出て、視界がないほうがわくわくする、という気持ちである。

  6.  反改革派は、大衆の政治不信を利用して改革派を批判するポピュリズムに走る。それに打ち勝つには、同じ考えを持つ人間集団が、こっそりと改革の推進を計画し、メンバーが少しずつ「キーポジション」を握りつつ、目立たないように改革集団を作り上げていくというような綿密な計画性と実行力が必要。

さて、私たちはこの有識者の衰亡論をどう受け止め、どう現代に生かすことができるのか。


(今回で終了)

 



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