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二重見当識と絵

深刻さからの解放のために

幼い頃から物事を深刻に考えすぎる癖がある。

それは恐怖のせいで、それは死や孤独、それらに付随するあらゆる不安によるもの。

「I」B4 paper 2021

深刻さからの解放のために必要なものはその深刻さだ。

自分が感じられるものしか感じられない。それが原因であり、救いでもある。

絵を描くことは非現実的な行為だ。絵を描くことは無意識と関係している。

つまり絵を描くこととは二つ目の見当識を持つことだった。

それは逃避ではなく、二つの見当識は互いに影響し合うべきだ。

現実と非現実を考える時、どちらにも共通していることは感覚である。つまり現実とイメージではなく、現実と非現実のイメージが自分の意識にあるのではないだろうか。

「切り株の上で手を取り合う絵」F6 canvas 2021

現実の意味とはそこにある必然性であり、それは自分に感じられるものであるはずだ。そしてそれには「意味がある意味」があるはずであり、それは一重見当識においては無意味であるはずだ。

「火」F20 canvas 2021

この絵を描く時、いつものように無意識的に描き始めた。手が止まるまで描き、また時間が経ったら描くということを繰り返した。次第に真ん中に赤い「火」のイメージが現れて、それから完成へと進んで行った。「炎」ではなく「火」だと思ったのはそれが現実的なものではなく、象徴的な意味の「火」だと感じたからだ。

火には二つの意味がある。

儚さと永遠性。

永遠に繰り返す波のようなもの。目に見えないもの。イメージ。動き。感覚。そういった視点から現実を見る以外に、深刻さから解放される方法は考えられない。また、そういった視点を持つことによってこそ深刻さの意味や必要性を感じることができる。

二つの見当識が影響し合い、それにより自分が感じられる感覚の為に

「火」F20 canvas 2021 制作過程

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