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日記hibi/ 2018/8/13〜8/19
2018年8月13日(月)
月曜日は憂鬱、ということは全くなく、というか、月曜日をことさら強調する必要のない毎日を過ごしている身なのだけれど、今日はたいへん憂鬱に朝を迎えた。お盆、つまり、それは実家で、祖父の初盆で、よくわからない親戚もあつまる、という日だった。実際のところ、そういうものにこれまでの人生遭遇したことがなく、それはつまり物心ついてから深い関係の親族がなくなっていなかったということで、とてもハッピーなことなのだけれども、ここに来てついに、というか、そういう事態に直面し、本日会食が行われた。
行われるまでは、まあぼくも大人ですし、という気持ちで、鷹揚にかまえる気概を見せていたのだが、蓋を開ければそこは大変古風な世界で、絵に描いたような男性社会で、席順がきめられ、女性が働き男性が飲み、そしてそれに大半の、主に男性とそれを支える主要な女性までもが、ということなのだけれど、それを疑問にすら思っていない、という地獄絵図であった。Twitterの裏側の現実がそこに存在していた。いままで実感する機会がなかっただけで、僕が育ったコミュニティがそういう要素を内在していたということに、ひどくショックを受け、というか、自分の世間、というか、認識の甘さに、打ちひしがれた。僕の実家はどうにも、地元を離れている人間が少ない、というか、僕だけであって、つまり僕は、サマーウォーズの侘助おじさんを地で行く、得体の知れない異分子であった。ので、異分子は異分子なりにという気持ちが後半になって(それはそれでようやく、といったところで)芽生え、ひと目を忍んで(見つかると「座ってろ」となる)、テーブルを片付け台所に赴き、食器洗いという業務にありつき、心の平穏を得た。抵抗である、とか、文化の違いを見せつける、とか、そういうことではもはやなく、そうだったとして、それが届いているのかもまったくわからないのだが、得られたのは僕の心の平穏だった。自己のための、利己的な、行動であった。
ビールはキリンの瓶ビールで、我が家では昔からずっとこれだった。いまはサッポロが一番好きなんだ海外ビールとかも好きで嗜むのだ、といったら、東京も出たから、ということになるのだろうか。つまりは寂しかったのだろう、いや、ということを書けば感傷的になるのかと思ったが、ぜんぜんそうなることなく、つまるところ、ただただイライラしていたということだった。ビールはおいしい。
2018年8月14日(火)
熱田神宮にいってみたところ、大変良い看板群を発見し、やったぜという気持ちで、高ぶりを取り戻すことが出来た。
商店街としては、おそらくもうあまり機能していないと思われる、いやしかしだれもいないわけではなく、というあわいにある、その町並み、こういう看板の文字や建屋の様子や町並みを、なんとなく収集していて、それは、失われたものへの郷愁なんていうものではなく、というか、そういう郷愁なんてドブにでも捨ててしまえと思っているのだけど、というものではなく、この文字、最高に、かっこいい、みたいな、いずれこのような店として、年月というものを、地層みたいなものを積み上げないと纏うことのできない、おもむき、HABもこうありたい、みたいな、憧れの対象なのであった。HABもこういう歴史を雰囲気を背負って、元気にやっていきたいという、そういう気持ちになる。
昼にビールをのみ、帰りの新幹線でビールを飲んだところ、本を読みながらよく寝た。夜は家に帰り着き、何年もお目にかかっていなかったデリバリーピザとナゲットという暴力的な食事を平らげて、本を読んで寝た。
2018年8月15日(水)
相方が、おばさんに、なるということだった。というか、なった。
月曜日にも思ったが、僕はどうにも、この年齢で経験していそうな家族事情と行事、についてほぼ無経験で無知であって、つまり、(義理の)親戚の赤ちゃん、というのが、初の、初の体験だった。ので、見に行くことにして、見に行った。
生命。生命だった。生命!
人の中から、もう一つの自我をもった人が生まれてくる、とか、どう考えてもイリュージョンなのではないか、どういう構成なのか、という、初歩的な疑問を真っ向から受け、そういうもの、と解釈できないまま、ガラス越しに幼い生命を愛でた。たいへんハッピーなことだった。
病院内に私設図書館コーナーがあったので、すかさず写真におさめた。
産婦人科に『酒のほそ道』はどうなのだ、という気がしたが、おそらくだれもそういうことは気にしてないし、こういう場所のその無秩序さを愛したい。
その後、馴染みにない駅前の本屋に入って、ひとしきり楽しんだ。
一軒は300坪級の大きな商業施設にあるインショップで、在庫が多くて、配本がちゃんとあるので新刊がそれなりのタイトルと量あります、という感じで、こういう店が生活動線上にひとつあると安心だなぁという気にさせた。2.5メートルくらいある高さの棚で、平日とはいえお盆休みで人出が明らかに多いという状況で15個くらいあるレジが8個くらいしか可動しておらず、実際スタッフもその人数くらいしかおらず、そのあたりに計算違いを覗かせた。地下の食品売場のとなりという立地がおもしろかった。
二軒目は駅前直結、ビルの二階。ビルのテナントは飲食中心のようで、本のメインはビジネスと実用で、女性ターゲットというか、ビジュアル本にも力を入れているような立て付けで、立地的にもこの構成はさもありなんという雰囲気だった。入り口に入っていきなり検索機、というのも、ある意味潔い。確かにビルの設計の関係なのか、分かりづらい構造をしていた。
間口の広い本屋であるほど、初見で楽しむのは難しく、生活のなかで通っていくに連れて、好きなコーナーとか、相性のいい(のであろう匿名の)店員さんのフェア、などを愛でていくもので、今日はまだ彼ら、あるいは彼女たちとはすれ違っただけだった。生活の動線のなかにたくさん本屋がほしいなと思った。
2018年8月16日(木)
朝から、蔵前スタートで、清澄白河、小伝馬町と、本を置いているお店を巡り回って原付の偉大さを噛み締めていたのだけれど、お昼はどこもお盆休みのようで、ご飯を食べに街を徘徊することになった。この、お盆にしっかり休む感じは、東京の東側というか、江戸界隈ならではという気もするのだけれど、本当に、お盆に店を休むというのは勇気がいることで、いやだって休んだら売上も落ちるわけで、失った営業日は二度と戻ってこないわけで、と週休5日の書店がいらぬ心配をしていた。休むときは休む、という気持ちを持つべきなのかもしれないけれども、それに見合う売上やら収入やらといったものは、いまだにないのであった。
それからあくせく働いたところ、すなわち深夜となり。ビールを飲んだ。どうにも、ちゃんと働いたあとのほうが、ビールが美味しいようであった。
2018年8月17日(金)
長年、というほどでもないが、当時の古書価で8,000円くらいして、怯んでずっと買っていなかった『日本出版販売史』をついに買った。5,650円。ありがとう、日本の古本屋。完全に『業務日誌余白』からのブームが来ていて、いまとても勉強したい気持ちになっている。いきなり奈良時代の「版」のはじまりから語りだしたので、たいへん期待がもてる。
第一章 出版文化の草分け期
1.奈良朝から幕末まで
2.明治初期の出版界
3.明治の書店の商法
4.明治初期に創業した出版社
5.東京書籍商組合の誕生
6.東京雑誌売捌営業者組合の結成
第二章 新しい販売体制の発生
1.日進戦争以後創業した出版社
2.教科書事件と教科書国定のいきさつ
3.出版物取次の初期の頃
4.明治中・後期の取次と乱売防止問題
5.古い本屋と地本・赤本
6.元取次の陣容整備と変遷
7.地方の取次の概観
第三章 業界の組織化進む
1.東京書籍商組合の発展
2.日露戦争以後創業した出版社
3.東京雑誌組合の発足
4.東京雑誌販売業組合の結成
5.元取次の苦労
6.買切り制・委託制の変遷
7.大橋・増田・野間三巨塔の会談
第四章 京阪の出版社と販売
1.出版にも大阪らしい正確
2.大阪書籍商組合成立の前後
3.大阪書籍雑誌商組合の結成
4.京都出版界の伝統
第五章 販売促進への努力
1.書店の増加と出版企業の近代化
2.大正以降、昭和前期に創業した出版社
3.欧州大戦による紙幣暴騰とその対策
4.鉄道輸送の変遷
5.定価販売ようやく軌道へ
6.出版・販売業の営業税をめぐって
第六章 大量出版の道をひらく
1.関東大震災
2.震災の善後策
3.「大正大震災大火災」の出版とその影響
4.日本雑誌協会の前進
5.「キング」相関とその販売面
6.幼年雑誌とサービス問題
第七章 空前の出版競争時代
1.取次至誠堂破綻の前後
2.元取次四軒仲よく
3.頭の痛い返品問題
4.円本時代始まる
5.販売面から見た円本の功罪
6.昭和初期の全集もの一覧
第八章 業界団体の活動
1.円本さわぎの後をうけて
2.東京書籍商組合の活動
3.東京出版協会の業績
4.出版法規の改善をめぐって
5.日本雑誌協会の活動
6.雑誌の運賃分担と正味下げ交渉
7.出版取締り激化の中で
8.新聞広告と値上げ問題
9.紙価ふたたび昂騰に向かう
10.日華事変下の書籍・雑誌
11.昭和前期の取次と書店
第九章 出版新体制とその終末
1.国内思想統制の推進
2.日本出版文化協会の活動
3.日本出版配給株式会社の発足
4.終戦と「日配」の後始末
第十章 戦後の出版界
1.戦後できた出版関係の諸団体
2.占領下での出版状況
3.新しい販売体制ととのう
4.講和成立以降の出版界
5.業界の諸問題ととりくんで
6.出版販売の別ルート
7.出版物の海外進出
むすび
日本出版販売史略年表
目次。目次に萌える。
「元取次四軒仲よく」というのだけ、急にフレンドリーでとてもいい。
2018年8月18日(土)
月曜日のダメージがずっと尾を引いているようで、ぐったりすごした週の末。今日も今日とて店をあけ、粛々と清澄白河への納品リスト作りに励んでいたところ、気がついたら営業終了時間を迎えた。ので、運ぶべき本を詰めていったところ4箱ほどになり、どう考えても原付の荷台には乗らないということが明白だった。だった、というか、もうそのあたりは作業しながら気づいていたので粛々と二往復するべく、荷物を整えた。すでに二回別日に運んでいて、つまり四往復分くらいの本を納品するのだけれど、車を買うような資金もないし、宅急便で送るような利幅も、まぁそんなにないので、運べるものは運んでしまえ、という、無茶な道理でだいたい毎回大量の荷物を運んでおり、つまり、慣れていたので、どんどんすすめた。
会場についたところで、荷解きをして、ビールをもらって、延々と飲みながら箱開けしたところ、というかこれも文章のあやで、開けしたところ、ではなく、ついたその瞬間から、「この本棚は聞いていたサイズよりもでかすぎる」ということが知れており、つまり本が足りなかった。が、予算もあるし、むちゃくちゃに入れればいいというものでもないので、最後は面陳でごまかすことにして、せっせと仕分けをしていった。のだけれど、どうも、平台がペタペタであるとか、棚のバランスはどうなのか、という、もう予算とか売上とかどうでもいいからクオリティを追求してしまいたい欲がでて、だからといって現状ではどうしようもないので、やるだけやって店をでた。
もう間違いなく、追加に行く、追加に言ってから告知したい気持ちがある、が、どうなのか。さっさと告知をしてしまったほうがいいのだろうか。ちゃんと効率よく、お互いがハッピーになれるビジネス上のポイント、を考えたほうがいいのだろうか。とりあえず、細かい什器を追加して、あれとあれで、こうやって見立てて、スタートには間に合わないけれど、どこかのフェアなどで、お金を書けずに賑やかしている雰囲気をだそうか、などと考えている。ずっといる。難儀だ。
その後、清澄白河の「ほ志の」というお店でご飯をたべた。とても美味しく、定期的に美味しいものがたべたい時にいく。フォアグラ、などがあるが、だいたい定番でニラ玉をたべる。ニラと卵とアンチョビとチーズ。ニラと卵とアンチョビとチーズ。アンチョビとチーズがすごい、というところまでは五回ほど実食して理解した。
2018年8月19日(日)
アンチョビを食べすぎたわけではないが、またしてもひどく疲れていたので、近所の銭湯が日曜だけ朝風呂をやっているということだったので行った。休憩場で、この銭湯の子どもだろうか、子どもが遊んでいて、とても良いなと思いながら、風呂につかったところ、弛緩した。のびた。朝の風呂は良いものだった。またいきたい。
店でも、昨日辺りからぐっと涼しくなったので、クーラーを付けないで営業することができて、身体的にもたいへん楽だった。営業している最中に、お客さんから「本屋をつくる」という話を2つも聞いた。とても良い日だった。
温泉の帰りに、吾妻橋で盆踊りをやっているとの張り紙があり、急遽店を締めたあと行くことにした。なんだかこの両国・浅草近辺は、8月は毎週どこかでまつりをやっている気がする。来週もある。いい街だ。盆踊りはたいそう盛り上がっており、やぐらの上のおかんたちも、周りの人も楽しそうに踊っていた。ので、輪に入って踊った。踊った。やぐらのおかんをちら見するよりも、進行方向の、普通の列にいる玄人の方を見ている方が、断然踊りやすかったので、左斜め二人前にいる、一糸乱れる動き、無表情でたんたんと踊り続ける女性をずっと見ながら続けた。彼女も、きっと楽しかったのだろうという気がしている。指先の動きと腕の角度が美しかった。美。盆踊りの美。
とても良い日だった。
#READING
『日本出版販売史』(橋本求、講談社)