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日記hibi/ 2018/9/3〜9/10
2018年9月3日(月)
月が変わってしまった。もちろん、もうそんなものは二日前から変わってしまっているのだけれど、月曜日に入金のチェックやら、支払いのまとめやらをしていると、変わった感が実感される、ということで、いやそんなものHABの仕事は土日もやっているんだから、ちゃんと1日から認識して、HABの方の入金確認や請求書発行とかしなさいよ、という話なのだけれども、その辺に手がつかないまま、他の経理の仕事で月初を感じる、というどうしようもない状態で、全然サラリーマンっぽい仕事の仕方をしていないのに、こんな時だけサラリーマンっぽい時間感覚で、もうなんだか笑うしかない。HABの経理は相変わらず溜まっている。
だって、もう、まじで、記憶がないまま気がついたら夜、みたいな1日のあと、満を持して『銀河の死なない子供たちへ(下)』(施川ユウキ)が開かれた。下。げ。(上)が出た時に、下巻と同時発売じゃないのかぁ、つらいなぁ、と思って、それでも買って読んだのだけれど、それは人間の死に絶えた世界で生きている、不老不死の兄弟と母親、という話で、読み終えた後、下巻と同時発売じゃないのかぁ、つらいなぁ、と思った。ので、待望の(下)なのであった。げ。
で、読んで、読んだ。読んだのだけれど、なんで、こんな時に、こんな言葉が言えるのだろうか、言わせることができるのだろうか、という言葉がずっと響いていて、とにかく、よかった。生きること、死ぬこと、愛すこと、愛されること、怯えたり、悲しんだりすること、感謝すること、認めたり、認められたりすること、ドキドキすること、ただ明るく振舞うこと、笑うこと。その全てが尊かった。ピース。
施川ユウキは、なんとなく『サナギさん』と『もずくウォーキング!』を本屋で見つけて買ってから、ずっと読んでいるんだけれど、長く、長く読んでいて本当によかった。うれしい。うれしい。
2018年9月4日(火)
風が強かった。台風。
台風が来ているということで、雨はぱらぱら降る程度だったのだけれど、風がずっと強かった。大阪の方では大きな被害がでているとのことだった。さすがにこれは、と思われたので、自宅で仕事をしていたところ、今日必要なイベント本が入っていない、という連絡をうけて、それは確かにその通りで、つまり僕がイベント日を勘違いしていたのが原因で、申し訳ない、という気持ちとともに、まずは家を出た。
本を取りに蔵前のHABに赴き、その方が楽だから、という理由で原付に本を詰めて出発した。ところ、急に風にあおられる瞬間があって、ふっ、と。本当に、ふ、という感じで車体が軽くなったかと思うと、バキンという音がして、振り返ると、荷台に乗せたプラスチックケースの「フタ」、フタだけがブーメランのように宙を舞っていた。
そもそも、というか、遠因、というところで、長年の利用でケースもかなりガタがきていて、留め具の部分が壊れてしまって、フタは鍵もせずそのまま締めるだけにしていた。ので、まぁ下から風にあおられれば開いてしまうわけで、いや、普通の風でフタが開くほどあおられるわけないじゃん、と思ったものの、いま現実に、ないじゃん、が、あるじゃん、だった。
原付をとめ、飛んでいったフタを回収したところ、すでに後続の車に踏まれてしまったのか、半壊しており、とはいえ、フタがないままケースに入れた本を晒して原付に乗るわけにもいかず、半分残ったフタをケースにかぶせ、とりあえず常備していた養生テープ(そう、養生テープは素晴らしい)で、飛ばないようにとめて隙間も塞ぎ目的地に向かった。納品は成し遂げられた。家に戻る途中で、スーパーに立ち寄り、ビールを買った。まだ日が高かったので、家ではコーヒーを淹れた。ホームセンターに、いかねばならない。
中日が、9回に6点を取られ、そのあと11回に3点を取られて負けていた。年に一回くらいは、こういうことがある、という気持ちを抱いて世界の厳しさに耐えた。田島は、福谷は、又吉は。もっと言えば、岡田とか、若松とか、大野とか、伊藤準くんとか、彼らはどうしてしまったのだろう、と思うと悲しみや悔しさがこみ上げてくる、のだけれど、それはもっと、本人が感じていることだろうと思うと、少し落ち着くことができたが、しかし、本当にどうしてしまったのだろうか。どうやったら勝てるようになるのかわからない。僕らの愛が重いのだろうか。
夜中に、急に目について万年筆のインクを変え始めてしまった。風呂上がりなのにも関わらず、で、インクは水性なので、ものすごく水に溶けていくのだけれど、なぜか手についたインクは洗ってもなかなか取れず、青色が、しばらく指先に残っていた。
2018年9月5日(水)
昨日悲しい出来事があった原付の荷台からケースを下ろし、少し軽くなった車体で清澄白河のリトルトーキョーに赴いた。本を手直ししてから、食堂の仕込みの様子を見ていた。しこみ。明日や明後日の為に、たくさんの食材に手を入れておく、そういう営みになんだか興味があった。家で、美味しいご飯を作りたい。千切りにされた人参が鮮やかだった。
蔵前の店に戻って、代々木八幡の事務所に行くため駅に向かっていると、文庫本を読みながら歩いているおじさんとすれ違った。そのおじさんの手の中にある本が、間違いなく、かつ割と古い巻の「フルメタル・パニック」であって、いま、この瞬間に、フルメタル・パニック! 賀東招二と四季童子! と思ってよく見ると、おじさんの持つ手提げのビニール袋には古本屋で買ったのか、数冊の文庫本が入っており、それはどうやら「フルメタル・パニック」ではなく、全然ちがうジャンルの本のようであった。なんか、勝手に、このおじさんは古本屋で100円になっている文庫本を適当に購入し、ジャンル問わず終始ずっと読んでいる系の本読み、なのではないかという妄想が働き、なんて豊かな人生! という感動が生まれた。生まれたが、よくよく調べて見ると、「フルメタル・パニック」は2018年に再アニメ化されているようであったので、ただミーハーなだけかもしれかった、が、だからなんだというのであろうか。
2018年9月6日(木)
眠い。いまに始まったことではないけれど朝からたいへん眠い、という感じで、さりとて、眠いままでも体は動くみたいで、動かした。月初! という気分に当てられて、夜に伝票の整理などしているせいなような気がするが、それはそれでやらなくて困るのは自分だけなので始末が悪い。
そういえば、というか、最近頭を悩ませているのは、店の物件の更新のことなのだけれど、月末の請求書とともに、「そういえば更新の有無って三ヶ月前連絡なんでした!もうあと一月半しかないので、とりあえず電話くださいな」という体の文書がしれっと同封されていて、そういえばそうだった、という気持ちになった。そろそろだなぁという気はしていたのだけれど、そろそろどころか、いまだった。電話してってなんぞ、きみの方で電話するなり、確認の書類を送ってくるなりしてくださいよ、と思ったものの、そういうゆるいところだから、こういうゆるい店が成り立っていると思わなくもないので、電話しないとなぁとぼんやり保留しつつ、いまに至る。店のオープンは2015年11月で、なんだかその基準で物事を考えていたのだけれど、借りたのは10月で、ひと月半くらいはせっせと内装をいじっていたのだった、そういえば。ひと月以上も売上をどうすることもなく家賃を払っていたわけだけれど、なんか、当時は多分、「オフィスっぽい店舗物件を借りたぞ、Yeeeeeeeah!」、みたいなテンションで、お金を払ってご満悦、みたいなことなのではないかと容易に創造できるのだけれど、とにかくもうこの物件に三年もいるらしい、ということだった。
『ペンギン・ハイウェイ』が読み終えられた。思った以上に原作に忠実な映画化だということがわかり、なんだか映画のイメージが強くついてしまっていて、ノベライズ、的な読み方をしてしまって、いけないいけない、と思った。別にいけないことでもないはずだったが、やはり小説は小説で楽しみたいのだった。
「ぼくは会いに行きます」
ぼくはかつてお姉さんの寝顔を見つめながら、なぜお姉さんの顔はこういう風にできあがったのだろうと考えたことがあった。それならば、なぜぼくはここにいるのだろう。なぜここにいるぼくだけが、ここにいるお姉さんだけを特別な人に思うのだろう。なぜお姉さんの顔や、頬杖のつき方や、光る髪や、溜息を何度も見てしまうのだろう。ぼくは、太古の海で生命が生まれて、気の遠くなるような時間をかけて人類が現れ、そしてぼくが生まれたことを知っている。ぼくが男であるから、ぼくの細胞の中の遺伝子がお姉さんを好きにならせるということも知っている。でもぼくは仮設を立てたいのでもないし、理論を作りたいのでもない。ぼくが知りたいのはそういうことではなかった。そういうことではなかったということだけが、ぼくに本当にわかっている唯一のことなのだ。
「それじゃあ、そろそろサヨナラね」
お姉さんはぼくから離れて立ち上がり、歩き出した。
『ペンギン・ハイウェイ』P.372
2018年9月7日(金)
決算をしている。ずっとで伝票をチェックしていて、家でもHABの伝票をチェックしていて、入金の確認をして、入金の確認をしている。
眠い。
『百年の孤独』に再び戻ってきたところ、ちょうどウルスラもマコンドに戻ってきたところだった。
失踪からおよそ五ヶ月たったころ、ひょっこりウルスラが戻ってきた。村では見たこともない新しい型の服を着て、すっかり若返り、いかにも元気そうだった。ホセ・アルカディオ・ブエンディアはショックに耐えるのが精いっぱいだった。「これだ!」と大声をあげた。「こうなると思っていたんだ」。嘘でなくそう思っていた。というのは、何時間も部屋にこもって原料をいじり回しているあいだも彼は、その心の奥底で、自分の待ちのぞむ奇蹟が、賢者の石の発見でも金属に生命を与える霊気の作用でもなく、また、家じゅうの蝶番や鍵を黄金に変える力でもなくて、たったいま起こったこと、つまりウルスラの帰宅であることを祈っていたからだった。しかし、彼女は夫ほどうれしそうな様子は見せなかった。一時間ほど留守にしていただけだとでもいうように、ふだんのキスをして言った。
「ちょっと外をのぞいてみてよ」
『百年の孤独』P.51
「これだ!」
2018年9月8日(土)
この日は店を休みことにしていて、いわゆる家庭の休日、というやつだった。やつだったのだけれど、別段遠出するということもなく、というか、僕は本屋を目指す、以外の遠出の仕方がほんとうにわからないところがあって、観光とかにはぜんぜん魅力も意欲も感じないように出来上がってしまっているのだけれど、そのせいもあってか、というか間違いなくそのせいで、築地と大江戸温泉が選ばれた。
僕は大江戸温泉はわりとユートピアだと思っている部分があって、健康センターでもいいんだけれど、あの大広間の座敷の、みんな風呂上がりで、家族や友人やらと大して美味しくも安くもないがまぁ飲むには十分なごはんを広げ、楽しそうに談笑したり、昼寝をしたり、人によっては本を読んだりしている様が、ほんとうに好きなのだった。1歳くらいの小さい子が、座敷を走り回っていたので、つまづかないように足を縮めながら、不審者に思われない程度のささやかさで見つめていた。
実際に疲れてもいたので、温泉とサウナを楽しんでいたところ、「わたし、実家にサウナあるんですよ」みたいな、北欧っぽい観光客の方が、いやアメリカの方なのかもしれないけれども、とにかくサウナベテランっぽい外国の方がいらっしゃったので、その方の真似をしてサウナに入る遊びを思いついたため、実行したところ想像以上に楽しんだ。サウナ、小休憩、水風呂、休憩、サウナ……。サウナを楽しみきった感がある。僕はわりと、どんな環境でも一人で楽しく遊ぶ、ということができるタイプらしく、一人遊びには事欠かないのだけれども、今回は有意義な一人遊びであったなと、一人で満足していた。
2018年9月9日(日)
首が痛くない! これはすごいことで、さいきん慢性的に首が痛くて、たいへん可動域が制限されているのだけれど、なんだか調子がよかった。温泉、サウナの効果であろうか。全世界の温泉に感謝したい。
朝に納品があったので早めに店に行き、受け取ったあと返品などを持って行ってもらった。のち取材があり、そうこうしているうちに時間が来たので店をあけた。昨日お休みしたこともあってか、店をあけていると妙な安心感がある。
大学生っぽい女性が、大きなトランクをもってあがってこられて、よくよく棚を見ていったので、これは地方の本屋さんとか、これから本屋を開きたい系の方に間違いないだろう、と検討をつけて、会計時に話しかけてみたところ、どうやらほんとうになんとなく看板をみて入ってきた普通の本好きの大学生のようであった。合宿、で東京にきた北海道の人だそうだ。まじか、すごいバイタリティー、知らない土地で、トランクもって、4階の本屋まであがりますかね、とほんとうに驚愕して、感動した。見習いたい。
店を閉めたあと夜にも打ち合わせがあったので赴き、なんかさすがにずっと人前状態、なのでだんだんと生気が失われていったのだけれど、乗り切った。本屋などやっているのに、人前に出ない時間をそれ相応につくらないとつらい、というのはそもそもどうなのか。定期的に引きこもりたいが、どうなのか。
そういえば朝の取材の時に、「まぁだいたい経費と売り上げがトントンくらいで、人件費とかはそんなに出てないですよね」という感じの受け答えをしたところ、「本屋のためにって活動している松井さんがそれで食べれなきゃだめですよ」的な一言をいただき、そりゃそうなのか、というか、そりゃそうですよね、と思ったのだけれど、まぁ、思ったのだけれどどうなのか。まじであんまり儲からないっすよ、本。
夜たべた晩ごはんがたいへんおいしく、世界の温泉にも感謝していて、なんとハッピーなのだろうか、という気持ちをいだいたので、ハッピーなまま就寝した、が、どうなのか。
#READING
『銀河の死なない子供たちへ』(施川ユウキ、KADOKAWA)