知的障害児モデル事業を立ち上げた母の想い

こんにちは。いつもはばたけタケルをご覧いただき、ありがとうございます。

今回の動画では、タケルのママでもあり、(株)華ひらく代表でもある私が、障害児モデル事業をはじめた経緯をお伝えします。

いわゆる、私が解決したい問題と、そこに対する想いです。



大きく分けて2つあります。

1つ目は、私自身が、「障害のある息子と一緒に堂々と生きたい」と思ったからです。

恐らく、障害児を育てている多くの親御さんは、どこに出かけるにも「すみません、すみません」って口癖のように謝りながら頭を下げているのではないでしょうか。

私の感覚ですが、この「すみません」には2つの意味があって、1つは「迷惑をかけてすみません」。そしてもう1つは、「障害があってすみません」。

確かに私の息子のタケルには重い障害がありますが、そこまで頭を下げなくてはいけない程、悪い事はしていません。

でも、悪い事をしたか否かというより、障害をもっているというだけで常に謝らなくてはいけないような、そうしないと世間から温かく見守ってもらえないような、そんな呪いを自分自身にかけていました。

でも、私の人生を変えてくれた「日本でいちばん大切にしたい会社」の著書の坂本幸司先生の講演を聴きに行った際、先生はものすごく強い口調でこうおっしゃって下さいました。

「障害者になりたくて生まれてくる人はいない。障害者の親になりたくてなる人もいない。それでも、一定数の割合で障害者は生まれてくる。それであれば、社会がその方々を支える。これは、当たり前の事なんです!」

この言葉を聴き、「障害があっても、もっと堂々と生きていいのかもしれない…」と考える様になりました。

そして最終的に、「息子と一緒に堂々と生きたい!」「ずっと謝るような生き方ではなく、障害があっても明るく前を向いて歩けるような人生を送りたい」って思うようになりました。

そして、この感情はきっと障害児を育てているすべての親御さんに通ずると思ったので、今、お子さんの障害で苦しんで苦しんでどうしようもなくつらい状態にいる方に、

「子供に障害があっても光はあるんだぞ!」

という希望を持ってもらいたい、その「道」をつくりたい、という想いを込めて、この事業を立ち上げました。



2つ目は、「こんな想い、もう誰にもさせてはいけない!」と思う出来事があり、それを何とか解決したかったからです。

私は読書が趣味なので、これまで障害に関する様々な本を読んできましたが、その時に胸をえぐられる想いを2度しました。

1度目は、小児外科医で作家でもある松永正訓さんの「発達障害に生まれて 自閉症児と母の17年」を読んだ時です。

自閉症児の母として女手1つで子育てをされてきた立石美津子さんと息子の勇太君のルポタージュです。

立石さんは、知らず知らずの内に「普通」という言葉に縛られていて、それ故に「普通」の枠から飛び出る勇太君の子育てにとても悩まれ、苦労をされたのですが、立石さん自身が勇太君と共に成長された事で「普通」の呪縛から解き放され、「今は息子との生活が楽しくて仕方ない」とまで言える様になったお話です。

ただ、本の最後にこのように書いてあります。

「これまでの人生を振り返っても今が一番楽しい。だから正直な気持ちを言えば、いつまでも勇太と一緒にここで暮らしたい。

もし今から25年後に、必ず墜落すると分かっている飛行機が飛び立つならば、母は勇太と一緒にその飛行機に乗りたい。

そうすれば、グループホームのことを考える必要もないし、人生の最後の瞬間まで勇太と一緒にいることができる。」



2度目は、障害児の父親である神戸金史さんが書かれた「障害を持つ息子へ ~息子よ。そのままで、いい。~」を読んだ時です。

相模原殺傷事件の数日後に神戸さんがフェイスブックに投稿した詩が元になった本です。

本はご存知なくても、詩を読んだことがある方は多いのではないでしょうか。

神戸さんがRKB毎日放送の放送記者として、重度の障害をもつ巧くんと母親の木下由美子さんを取材をされていた時の事です。

夫と別居し、独りで巧君を育てる木下さんは、内臓に持病をお持ちです。

そんな木下さんがこのようにおっしゃいました。

「あと10年、がむしゃらに頑張ります。その時点で、息子を人に託せる状態じゃなかった時は…もう、やっぱり…幸せな思い出をもったまま…一緒に逝こうかなと…思っています」



この2つを読んで、一生懸命何十年も子育てをされてきたお母さんが、最終的にその子供と無理心中をしてしまう結末って、なんか違うんじゃないのかなってすごく思ったんです。

誤解しないで下さい、お母さんを責めているわけではありません。

私も障害児の母なので、立石さんや木下さんのお気持ちは少しは分かるつもりです。

自分が死んだ後のことを考えると、「一緒に逝く」という選択肢が出てくる気持ちも痛いほどわかります。

お母さんじゃなくて、お母さんをそこまで追い詰めてしまう社会が「違うんじゃないか」って思ったのです。

だから、子どもに障害があっても、「普通に生きて普通に死ぬ」ができる社会じゃないと、無理心中という悲劇はこれからも起こり続けてしまうと思ったのです。



これら2つの事がきっかけで、私は「何とかして社会を変えなくては!」と想い、障害児モデル事業をスタートしました。

この事業がうまくいったからといって、障害児を育てる全てのママやパパの心を救う事はできないのは分かっています。

でも、精神や知的に重い障害があって、会話すらままならないのに社会で活躍できている人って少なくとも今まで日本にはいなかったので、障害児モデルが何人も現れる事で、重い障害のある子供を育てる親に少しは希望を持ってもらえるんじゃないかと思っています。

何より、世間の障害者に対する目も、今までは「障害者=不幸、こわい」というマイナスが多かったものが、

「タケルくんって重度の障害があるみたいだけど笑顔がめちゃくちゃ可愛いよね」

「障害児って暗いイメージがあったけど、あんなに幸せそうに笑うんだね」

みたいに、障害者に対する印象が変わって、腫れ物に触れるような存在ではなく、もっと身近に感じてもらえれば、私たち障害児の親はもっと堂々と生きていけるのではないかと思っています。



うちは本当に小さな会社で、大企業のように大々的に進める事はできないので、牛歩の如く一歩一歩進んでいくしかないのですが、

みなさんに「障害児子育ても悪くないのかも」って思ってもらえるように障害者に対する認知度や理解度を上げていきますから、もうちょっと待っていてください。

みなさんが、お子さんと前を向いて明るく生きていける様にがんばりますから、どうか私を信じて待っていてください。

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