154. 新しいプロジェクトをひとたびやると心に決めたら、とことん思い込むんだ。うまくやる能力が自分にはあると。そして、これ以上はないという最高の仕事をしよう。〜ウォルト・ディズニー〜
みなさんこんにちは。
今回は、兄のロイ・O・ディズニーと共同で設立したウォルト・ディズニー・カンパニーを350億ドルを売り上げる国際的な大企業に発展させたウォルト・ディズニーさんの格言について紹介していきます。
ウォルト・ディズニーとは
1901年にシカゴで生まれ、幼い頃から絵を描くことが好きでした。
少年時代には美術のクラスを取り、18歳で商業イラストレーターの職に就きます。
1920年代にはカリフォルニアに引っ越し、
兄のロイと共にディズニー・ブラザース・スタジオを立ち上げ、
1928年に最高作とも言えるキャラクター、ミッキーマウスをアブ・アイワークスと共に作り上げます。
最初は自身の作品に声優としても参加し、
スタジオの成長に伴って様々な挑戦を行い、
映像と音声の連動、3色法によるフルカラー作品、
長編アニメ、カメラの技術的改良など、
映像制作に様々な新手法を取り入れました。
それにより、
『白雪姫』、『ファンタジア』、『ピノキオ』、『ダンボ』、『バンビ』が作られ、
アニメ映画産業にさらなる発展をもたらしました。
第二次世界大戦後も新作の発表は続き、
『シンデレラ』、『メリー・ポピンズ』は特に大きな反響を呼びました。
1950年代、ディズニーはアミューズメント・パーク産業に進出、
1955年にディズニーランドを開園しました。
資金調達のため、『ウォルト・ディズニーのディズニーランド』や『ミッキーマウス・クラブ』などのTV番組も制作しました。
1959年にはモスクワで開かれたナショナル・エキシビジョンや1960年の冬季オリンピック、
1964年のニューヨーク万博の開催にも携わっています。
1965年、ディズニーは"実験的未来型コミュニティ"(EPCOT)のコンセプトに根付いた新しいテーマパーク、ウォルト・ディズニー・ワールドの実現に取り組みはじめました。
しかし、ヘビースモーカーだったディズニーはEPCOTやパークの完成を見ることなく、1966年に肺がんで亡くなりました。
プライペートではシャイで内向的、不安定な性格でしたが、
人前では外交的かつ穏やかに振る舞いました。
また、自身の仕事に高いハードルを設け、
アニメ史や合衆国文化史における重要人物であり、
創始した映像事業は現在も受け継がれており、
スタジオは高水準の人気娯楽作品を作り続け、ディズニーのアミューズメントパークは世界各地で成長を続けています。
オープン時のスピーチでは、
「私はディズニーランドが人々に幸福を与える場所、大人も子供も、共に生命の驚異や冒険を体験し、楽しい思い出を作ってもらえる様な場所であって欲しいと願っています。」
としています。
〔参考文献〕
Disney Wiki . ウォルト・ディズニー
https://disney.fandom.com/ja/wiki/%E3%82%A6%E3%82%A9%E3%83%AB%E3%83%88%E3%83%BB%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%BA%E3%83%8B%E3%83%BC
新しいプロジェクトをひとたびやると心に決めたら、とことん思い込むんだ。うまくやる能力が自分にはあると。そして、これ以上はないという最高の仕事をしよう。
初めは漫画家として活躍しようと努力をしていましたが、
アニメーターの仕事の中で資質を見出し、アニメーション制作に没頭していきます。
アニメーターの仲間を集めて事業を起こし、
アニメによって新しい価値観を提供するようになります。
アニメーションで世の中に価値を提供しようと決めてからは、
様々な作品を仲間たちと作り出していきます。
そしてアニメーションの価値を広げていく中で、
テーマパークの建設を具体化していきます。
そしてテーマパークの建設計画に熱中していく中で、
どのようにしたら子どもも大人も楽しめるか、
人々に幸福を与え、大人も子どもも脅威や冒険を体験できるかを考えてきました。
詳細な部分まで人々を楽しませようと工夫し、
いつでも掃除が行き届いていて、美味しいものが食べられる、
そんな夢の国として計画・建設してきました。
地面の掃除をするというだけでもショーのように行い、
その一つ一つがお客さんを楽しませようと工夫を凝らしています。
そうした最高のものを想像し、絶対にできると信じてやってきたからこそ、
今の細やかなサービスが行き届いているディズニーがあるのだと思います。
最後に
今回は、兄のロイ・O・ディズニーと共同で設立したウォルト・ディズニー・カンパニーを350億ドルを売り上げる国際的な大企業に発展させたウォルト・ディズニーさんの格言について紹介してきました。
今のディズニーやディズニーリゾートがあるのも、
ウォルトディズニーさんが構想してきたものだと言われています。
形がある前から細部まで設計がされており、
それも構想の段階からできると思い込んで仕事を本気でやってきたからだと思います。
計画をしている中でどうしようか迷う部分もあったかもしれませんが、
お客さんがどのような顔で喜ぶか、
それを体験したときにどのように感じるかを想像しながら、
これ以上はないという仕事に命をかけてきたからこそ、
計画を細部までして来れたのだと思います。
僕もこれから仕事をしていく中で、
自分なら絶対にこの仕事を最高にできると思い込んでやること、
そして、相手がどのように思うかも想像しながら、
最高の仕事をしていこうと思います。
そうやって、世の中に最高のものを提供できるようになっていこうと思います。
仲間と最高の人生を作っていくために、
今この時を本気で生きていこうと思います。
それではまたどこかで。