Google検索で辿り着く波。

「逆歳の差 不妊 離婚」
「不妊様」
「胚盤胞移植 何回」
「hcg 低い 妊娠継続」
「特発性血小板減少性紫斑病 妊娠」
「分娩損傷 医療ミス」
「上腕神経叢麻痺 治る」
「エルブ麻痺 将来」
「出産報告 NICU」

眠れない夜にスマートフォンを滑る指先は、ろくな言葉を綴らない。
でも、もしかしたら同じ言葉を、思いを抱えてインターネットの海をさまよっている誰かがいるかもしれないと思って、noteをはじめることにした。同じ苦しみの波に飲まれたあなたに、少しでも役に立つ話が残せればいい。
…そんな殊勝な考えだろうか。ただただ誰かに聞いてほしいだけかも。平凡な人生を30年過ごしてきたのに、そこから先は「なんか普通じゃない」をつぎはぎする羽目になったから。

noteの自己紹介文に、制限字数ぎりぎりを攻めてこう書いた。

30歳を迎えてすぐ、当時20歳の夫に出会い結婚した。3年間子供ができずに縋った不妊治療。150万円を費やし子を授かったが、私は特発性血小板減少性紫斑病を発症した。大量出血の中で生まれた息子は、肩甲難産で分娩損傷を負い、上腕神経が麻痺して右腕がぶらんと垂れ下がった赤ちゃんだった。

2023.10.28の自己紹介文

この139字の物語はひとまずハッピーエンドを迎えた。
アラサーの夫は一児の良き父親かつ一国一城の主になった。仕事も家庭も責任が重くプレッシャーがあるようだが、こちらからは変に詮索しないように気をつけたい。日々感謝と、モンハンNowの協力プレイはしている。

特発性血小板減少性紫斑病の私は、身に覚えのないアザはたくさんできるし、血が止まりにくいゆえの過多月経で貧血が酷いが日常生活は送れていて、最近第二子の不妊治療を始めた。※住宅ローンの団信は病名を理由に断られた。世間から見て死にやすいということか、と当時は怯えた。

そして息子は、生後2ヶ月で腕が持ち上がるようになり、4ヶ月には曲げ伸ばしに成功、6ヶ月でほぼ正常な動きと手の専門医に認められるまでになった。今は1歳の誕生日を目前に、毎日ハイハイやつかまり立ちに勤しんでいる。

これから、ここまでの日々について覚えていること、感じていたことを少しずつ書いていきたいと思う。

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