人生の川の流れ~すべては移り変わっていくという自然の理~
人生には、その人の川の流れのようなものがあると私は思います。
私の場合、子ども時代からの虐待被害、そして成人後に長く続いた虐待の後遺症の時代は、激流の川の中で、死なないように顔を水面に必死で出して、その瞬間をただ生き延びるだけの時代でした。激流の川で流される自分の不幸に、多くの無関係な人に川の中の樹にしがみつくように必死でしがみつき、時には激流の川の中に巻き込んでしまった方々もいます。
35歳でようやく念願の風に乗れました。しばらくいい風に乗っていましたが、今年の夏(2020年)から長く原因不明のひどい鬱が何か月も続きました。
川の中にも、大きな岩があり、引っかかって、もがいてももがいても、なかなか取れない時も人生にはあります。特に何かトラブルがあったわけではないのに、こういう時期が訪れることがある。本人にとっても誰にも原因はわからないものです。
風に乗りたくても、本人の意思とは「違う世界」の自然の流れで、風に乗れない時はあると思います。だけど、鬱期は鬱期で、人生に意味があると思います。私にとって今年の鬱期は、一度、全体を整理し直す良い時期でした。これは鬱に限らず、何か突然、病気になったり、やりたいことがあるのに、一時的に病気になりやりたいことを中断しなくてはならないといった時期が、人生のどこかにはあって、それには意味がおそらくあるのです。でも、その意味を知っているのは、「自然の世界」側の意味でこちら側はわからない。だけど、何年か時間が経ってみると、「自然の世界」側の意味がこちらにもわかる時があります。
今は、鬱期を完全に脱出して、緩やかで大きな川の流れ、大河に出てきた感じです。全てが上手くいっているけど、心や行動は緩やかな大河の流れです。
風に乗りたくても、乗れない人にもその人やその人の「もう一つの世界」にしか分からない人生の川の流れがある気がします。この世界に変わらないものはないと私は思います。案外、じたばたせず、自分の川の流れに任せたまま、季節が移り行くように時を待った方がいいのかもしれないと思う歳になりました。
※虐待の後遺症については、以下の書籍に典型的な症例をまとめてあります。精神科医の和田秀樹先生の監修・対談付き