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【元サッカー選手 早坂良太の自伝:最終章】

【人生】

引退を決断し、社長やGMに伝えた際に、チームにはシーズン終了後に伝えたいということを相談しました。

自身の決断でチームに少なからず影響が出るのが嫌だったのと、最後まで純粋に実力で試合に出たい、という思いがありました。

ただ、GMから「終わりが分かって過ごしている時間は、仲間や応援してくれている人たちにとっては貴重だよ」というお話をしていただき、シーズン終了前にリリースを出す決断をしました。

引退を発表してから、本当に多くの人から連絡が来ました。

「お疲れ様」という言葉をたくさんいただきました。

私は身体がボロボロでやめるわけではなく、自身の決断でやめることができました。

小さい時から好きで続けていたサッカー。

夢であった「サッカー選手」

自身の夢から何度も逃げ出し、でも、多くの出会いや出来事でチャンスをいただき、自分なりに必死に思考し努力してきました。

チームはこれまで引退する選手のセレモニーはあまりやらないようでしたが、同時に引退を決断した、同い歳の石川選手と私のために行ってくれました。

そのおかげでセレモニーで最後のスピーチをしている時に、本当に心の底から「こんな幸せなサッカー人生はあるだろうか」と思うことができました。

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引退の決断は自身の中では、昨年のシーズンの早い段階で出ていました。

家族には夏に伝え、次にサッカー選手として契約を任せている代理人に報告することが正しい順番だと思いました。

代理人には今まで移籍の相談だったり、自分のサッカー観だったり、代理人制度の仕組みだったり、おかしいと思うサッカー界の仕組みに対して、意見をぶつけてきました。

今までそんなこと言ってくるサッカー選手いなかったよ!と言われたくらいなので、かなり面倒くさい選手だったと思います。

コロナ禍でなかなか実際に会って引退の決断を伝えることができませんでしたが、ようやく札幌ドームでの古巣サガン鳥栖戦の後に、直接会って報告できる予定を立てました。

当日、その試合終盤で、決めたら逆転のチャンスがゴール前の自分にきました。

冷静に流し込んだボールはポストに当たりゴールの外側に外れます。

ボールの回転によっては内側に入ってもおかしくなかったと思います。

この試合を見てた人は「決めろよー!」「惜しい!」「危ない!」だったり、様々な感情をもったと思います。

私はこの瞬間に悔しい、残念とかの感情はなく「入らないかー。サッカーってやっぱり面白いなー。」とひとりしみじみ感じていました。

古巣鳥栖戦、代理人に引退を報告する日、入らない。

やっぱり面白い。

人生は良い時もあれば悪い時もあります。

でも、捉える人の視点で起きている出来事が変わります。

例えば先ほどのシュートがポストに当たるシーンでは、コンサドーレのファンは「入れ!」ですしサガン鳥栖のファンは「入るな!」です。立場によって受け取り方が変わります。

それは立場だけじゃなく自分自身の捉え方でも変わります。

先ほどの例でいえば、「あれが入らないということは今日はだめだ!」や「次は絶対入る!」など捉え方は様々です。

昔、どんな状況でも動じない無我の境地に憧れた時があります。

色々とトライしましたが、無我の境地とは目指してなるものではなく、結果的になっているものだと今は思っています。

私自身完璧な人間では無いですし、完璧でありたいとも思いません。

多くの間違いをしましたし、今後もたくさん失敗もすると思います。

その度に落ち込み、でも一日たったら笑って立ち上がり、また色々なことに挑戦して人生を楽しみたいと思っています。

それが人間らしいのかなと。

失敗もしないで完璧だったら、ただの機械です。

今の社会、他人を攻撃して自分の存在を確かめるしかないのか、失敗を許さず失敗した人を探してみんなで叩きます。

世の中は正解のない世界のはずです。

全く同じ人間がいないのと同じように、多くの価値観があり、多くの立場があります。

人によって正解は違うし、多数派の正解は時代で変わっていくものだと思います。

私の子どもは色覚多様性(色弱)の傾向があります。

彼は多くの人が茶色に見える色が緑に見えたり、他の色も違う色に見えることがあるようです。

だから、色の前提条件が違うので、色の議論をしても平行線です。

ただ、逆に茶色が緑に見える人が増えたら、社会の正解が逆になるだけです。

歴史を見れば、時代によって正解が変わります。

国によっても正解が違います。

私はサッカーを通して、自分なりに成長することが出来ました。

向いてないと思うこともありましたし、実際にやめた時期もあります。

変化が怖いですし、人前に出るのも得意ではありません。

もちろん、サッカー選手が天職だったかどうかは分かりません。

なぜなら比較できないからです。当時の同じ時間軸、感覚で別の仕事を体験することはできません。

もし、当時の私のように迷っている人がいたら、迷っていいんだよと。

考えていいし落ち込んでもいいんだよと伝えたいです。

人よりも歩みが遅いと怒られたり、結果がすぐに出せないこともあります。

迷うということは、現状に違和感を感じて、自分なりに変化しようと思っているのではないでしょうか。

今の社会は、生きるために物質的に十分満たされました。

なのに、人はまだ何かを欲しています。

それは何なのでしょうか。

それが何かは自分で決めるしかありません。

人の意見ではなく、自分なりの好き楽しい幸せの価値観は何でしょうか。

子どもの頃は、好きなものが何かを考えずにただ楽しんでいたはずです。

私は、出来事や人を通して、自分がどう思うか。社会がどうなるのか自分なりの実験をし続けていきたいと思っています。

次のステップに進めない人の最初のファーストステップの手助けをできるようにコーチングの資格も取ったので、パーソナルライフコーチングも始めようと思います。

【あとがき】

長々と私の自伝を読んでいただきありがとうございました。

読みにくいところも多々あったと思いますが、現時点での自分の想いを、そのまま書きました。

何度も出てきましたが、価値観は人それぞれですし、正解はありません。

自分の考えを押し付けるつもりもないですし、これを読んだ人全員にポジティブな影響を与えたいとも思ってません。

ただ、同じような状況で悩んでいる人がいたら、その人のイメージの事例になれたらと思います。

このnoteを引退後に書きたいと思ったのも、現時点での自分の思いを記録したかったからです。

自身の活動や言動にたどり着くのは、このような歩みがあったということを整理するためでした。

ここで書いたことは時を経て変わるかもしれませんし、変わらないかもしれません。

これからも「自分の人生の主人公は自分」ということをテーマに自分で思考して決断して行動していきたいと思います。

何年後かにこのnoteを振り返ってどう思うのかも楽しみです。

そして、無料公開にも関わらずサポートをしていただいた方々ありがとうございました。

間違いなく私の励みになりました。

改めて感謝申し上げます。

noteは引き続き、文字として伝えたいことがある時に更新します!!

皆様とのnoteでの出会いに感謝。一期一会。

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