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007話 小山

「えっ! マジで言ってるのぉ? ……な、何時から何時ぃ〜?」

「10時から11時半の間で、30分だけ」

「やったぁ! 合わせられるじゃん? 僕はぁ、9時半から11時半とぉ、12時半から16時だからぁ〜、……10時に待ち合わせょ?」

「うん♡」

 斯くして、2人は『時間開放』という自由な時間に自由な事が出来る思いで、新たに愛を育むステージへと駒を進めようとしていた。

 普段の病棟で裕司は、爬虫類顔のミヤギお爺ちゃんと接待五目並べをしたり、自称財閥のヒロアキさんとの将棋で真剣勝負をしたり、4人麻雀でちょいちょい如何様をして勝ったりしながら、退屈な時間を有意義な時間だと、必死に自分の心を誤魔化して生活している。

 そうでもしていないと楽しもうと努力していないと、退屈と言う魔物や気違いと言う怪物に呑み込まれて、鬱になってしまうからだ。

・・・病院で入院中に、新たに発病してしまったら本末転倒だょ。

 だから裕司にとって『楽しむ』とは即ち『生きる』事なのだ。

 逆に言えば、生きる為には何事も楽しいと思えなければならない精神状態なのだ。

 故に、楽しむ事を反対されると「死ね」と言われた様に感じ、心が凄く傷付いてしまう。

・・・『楽しみに依存し過ぎない事』が、僕にとって重要なポイントなのかもっ?

 翌日

 夢にまで描いたサオリと裕司、2人っきりのデートの日を迎えた。

 裕司は、9時半から開放させてもらえた。

・・・どこかに『人目に付かず安心できる場所』は無いかなぁ?

 裕司は、病院敷地内を観て周った。

 売店のある喫煙場は患者が集まるのでX。

 病院の外周も散歩をする患者が居るのでX。

 個室WCは臭いし狭いしX。

 診察の外来フロアは基本的に出入りX。

 目と頭を回しながら、ある所に辿り着いた。

 小さな山と言うか、丘になってる箇所だ。

 丸太風の階段を30歩くらいで頂上まで登りきると、木柄の小さなテーブルと、2人掛けの同じく木柄の椅子が2つ、設置されていた。

 辺りには、程良く樹が生えているし、何より小高いので敷地内を散歩をしている患者の視界の外になっている。

・・・まさに裕司の為の場所!!

 10時近くになったので、病院の裏口で怪しまれぬ様、ただそこで休んでいるかの様にしゃがみ込んで待ってみた。

 間も無く、患者の群がぞろぞろと出て来た。数人が裕司の横を通り過ぎる。

 裕司の胸は「今か? 今か?」と激しく脈打ち、はち切れんばかりだった。

「裕司ぃ」

 サオリの声に裕司は笑顔で振り向いた。その場には、まだ多くの患者らがうろちょろしているので、すぐには手を繋がず、連れて行きたい場所の方へ裕司だけ先に歩みを進めた。

・・・一緒に歩いてる様子すら見せまぃ。

 そんな風に、2〜3mの距離を取る徹底ぶり。

 途中で「喉、渇いたッ」と背後から聞こえたので、念の為ポッケに入れて置いた100円玉1枚と10円玉2枚を取り出し、裕司は近くに有った自販機に入れた。

「いいのー? ありがとー」

 アイスミルクティのボタンを押すサオリ。

「あそこに座ろ?」

 傍に有った、簡素な3つの椅子の有る喫煙場を指差すサオリ。

 計画の所ではないけど、2人は並んで座った。

・・・サオリが凄く近くに居る。こんな状況、いつ以来だろ? 1ヵ月半振りくらぃ? とっても久々に感じるなぁ。

 ずっとこうしていたいと願っていた事が、やっと叶った瞬間だった。

 裕司は言葉を交わすより、一刻も早くキスがしたかった。が、サオリの方は喋りたい感じだったので、裕司は自分の思いを後回しにした。

 しかし、欲求が抑えきれず、せめて。

「手、繋いでもイィ?」

「うん、繋ご!」

・・・ちょ、超、嬉しぃ。

 サオリの指はとても細かったので、裕司は思わず「細ッ」と口走ってしまった。

 身体もかなり痩せているので当たり前だ。

 お互いの病棟の事、家族の事、施設の事などを話し合っているうちに短いタイムリミット30分に近付く。

 裕司は、どうでもいい会話に

・・・いい加減、我慢のげんかぁ〜い。

「キスしよっ?」

 勇気を出して言ってみた。

「…………うん」

 サオリは、一瞬だけ躊躇を見せるが、意を決してくれた。

・・・やったぁ〜。

・・・サオリと合わせた初めての唇…、柔らかくって…、温かくって…、心地いい気分になった。

 現実の時間を忘れぬ様、サオリの背後に回した腕に巻いている時計をチラチラ見ながら、更に人が通らないかを見る為に目玉をギョロギョロと、ロはひたすらチュッチュッ、ほんの僅かな時間でも長く口付けし続けたいからだ。

 忙しいやら、気持ちいいやらで充実感を味わっていた。

 別れの時も抜け目なく、一定の距離を置いて歩いて行く。

「明日も10時にねぇ?」

 約束を交わし、サオリは独りで病棟へ戻った。

 裕司はまだ開放時間が残っているので、サオリとのキスの余韻に浸りながら、当ても無く敷地内散歩をしていた。

・・・サオリと出会った当初、まさか自分みたいな適当に生きてきた奴が、サオリの様な美人系の人と、こんな仲になるなんて予想もしてなかったし、信じられない。

・・・だってぇ、髭面だし、髪なんか分けてんだか分からんスタイルだし、左手の爪に黒のマニキュア、左足の爪に黒のペディキュア塗ってるし、色白だし、痩せ型だし。

・・・現実を受け入れ難くなっているのも、依存症者特有の事なのかも?

 病棟に戻り、さっきの感動を手紙に綴った。

・・・明日、サオリの渡そっ。

 正午の11時40分頃

 薄味の病棟飯を、いつもの様に麦飯を少しだけ残して「御馳走様」と心の中で呟く。

 その後のOTの時間

 作業療法士らが3北に移って居る高橋裕司を見て、少し驚いた表情をしているのも面白かった。

「また、3北に戻って来たんですね一?」

「ふふっ……。また麻雀が出来るし、時間開放がしたくって移ったんですょ」

・・・今日はとっても良い日になったなぁ。

 言う迄もなく、サオリと初キッスをしたから。

・・・明日はどんなキスをしよ〜か? どんなハグをしよ〜か? もぅ少し、腕の角度をずらしてぇ、偶々、胸に裕司の肘が当たってる感じにしたいなぁ。出来れば、お尻も触りたいし、Hも。

 どんどん厭らしい妄想になりながら、ベッドで眠りについた。

 翌朝、患者仲間と個人的にラジオ体操の第1と第2を、お喋りしながら行なった。

 朝食時、裕司の頭の中では、本日のプランを練っていて、咀嚼したロールパンがちっとも飲み込めない程、ワクワクしていた。

 ヒロアキさんに、また将棋で負けた。

 いつもなら、かなり凹むところだけど、今は気持ちが上の空になってるからか、全く悔しくなかった。

 9時半、裕司と他3名で時間開放へと解き放ってくれた。

 1本だけ煙草を吸い終わって、胸躍らせながら敷地内を1周だけ歩いてみる。

・・・今日は正面を向いて出会ってみよ〜!!

 そう考えたのは、サオリの方も看護師の監視抜きなのを知り、少し堂々としてみたかったから。

・・・僕は、疚しい事なんてしてなぃ!

 必死に自分を騙したかったのかもしれない。

 裕司の腕時計で10時05分頃、サオリの姿を捉えることが出来た。お互い小さく手を振り合っていた。

「今日はあの小山に登ろ? 丁度、椅子と机が有るんだぁ」

 裕司は予定通りに事を進めてみた。

「登り難いから気を付けてねぇ」

 緩やかな階段を一緒に登り終えた。そこから眺められる景色に、サオリの瞳が輝いて観えた。

「ど〜ぞ」と言っときながら、裕司が先に椅子の奥に腰を掛けてから、サオリに隣の席を勧めると「ありがとー」と座ってくれた。

 こうして傍に居られる、だっただけの事でも、幸福感を味わえる。

「ココからだと病院をぐるぐるしてる人の視界にも入らなぃし、誰も来なぃと思うし……」

「そーなの? いい所だね」

 居心地の良い、夢の様なひとときを過ごした。

 今回も残り時間が僅かになって、裕司は慌ててキスをせがんだ。

 昨日のキスよりも気持ち良く、穏やかな気分になった。

・・・この時が永遠に続いてくれればいいのに。

 非現実的な事を、真剣に願ったりしていた。

 次の日、また外泊で施設に戻る予定を組んでしまっていた。

 この外泊計画を立てた時は、まだ2南病棟に居て退屈に犯されていたから、施設に戻れる貴重な日を楽しみに思えていた。

 けれど、忙しいくらい充実している3北病棟の暮らしの最中では

・・・正直、あんまり外泊なんかしたくなぃ。

 こんな、あまり誰にも言ってはイケない感情が出てきていた。

 患者同士でお喋りをしてみたり、将棋や五目並べやオセロや麻雀や、何よりサオリと会える時間が与えられている状況を『幸せ』と呼べずして何と呼ぼう。

 そんな生活を手にしている裕司は、施設内の生活でも当然のように楽しむ事は出来る。

 唯一、何が満たされないかと言えば、異性と
の接触がほぼ出来難い事だ。

 依存症者はどうしても、他の依存出来るモノに頼りがちの様で、男性は女性が居るとそちらの仲間と偏って喋りたがるのだ。

 過去に下手糞な恋愛をしてしまった利用者が居たのか、入所した当初は異性別々ルールなんて作られて無かった。

・・・施設でも、女性たちと合同だったりで楽しかったのに……。

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