コロナ感染日記~わたくし、コロナになりまして~
7月15日 39.7度(発症日)
この日は早朝4時から激しい雷。近くで落雷があったことから、恐怖を感じるほどの爆発音で目が覚めた。
その後、上手く眠りにつくことが出来なかったので、眠気と戦いながら次男のお世話。次男は数日前に保育園経由で濃厚接触者対象となり、PCR検査で陰性が出たばかりでした。
陰性とはいっても「濃厚接触者」には変わりないので、外出はせずに家でゴロゴロ。そして、子供にお昼を食べさせた頃くらいに異変が始まる。
まず、私はお昼ご飯を食べなかった。いつもに増して食欲がなかったのだ。そして、冷房が寒すぎて最終的に除湿に変えた。外はもう真夏だというのに、今年は寒い年なのかな~と呑気に考えていたのだ。
しかし、それからはもう一瞬。まるでインフルエンザにかかったような感じ。とにかく悪寒が酷く、ガタガタ震えるほど寒くて冬布団と毛布を引っ張り出した。
それでいて頭痛もあり、倦怠感に関節痛。急速に体調が悪化して、ベッドの上から起きれなくなっていた。
熱を測ると39.7度。さすがに驚いたのと頭痛も耐えきれなくなり、ひとまず家にあったロキソニンを飲んで対応した。
気付けばもう17時くらいになっていて、夜ご飯を作らないと…と思いつつも、身体が言うことを聞いてくれない。私の隣にひっつきながらテレビでYouTubeを観ている次男、ゲームをしながらも何度も様子を見に来る長男。
いつもならお腹すいた~!と言ってくるはずなのに、子供なりに気をつかって私を寝かせてくれていたようでした。
旦那は現在、県外に単身赴任中。とはいっても、同じ関西にいるので連絡して子供のご飯をお願いした。旦那はご飯だけ作って食べさせ、また県外へと帰宅していった。
目覚めるとキッチンは油でベトベト、テーブルには洗い物の山で溢れていて、食器も全てそのまま。さすが、期待を裏切らないゴミっぷりでした。(失礼)
目が覚めたのは22時くらい。長男は自分でお風呂に入り寝る準備をしていて、次男は私にひっつきながら寝ていた。
起きて熱を計るも39.4度。あまり変わらず、再びロキソニンを飲んでこの日は記憶のないまま就寝。
7月16日38.7度、17日38.7度、18日38.1度
恐らくこの3日目辺りまでがピークだったと思う。長男には学校を休んでもらい、家にいてもらった。
起きると長男が次男にパンを食べさせてくれていて、二人で楽しそうにYouTubeを観ている。普段ならご飯中にYouTubeなんて!と叱られるので、少し音量を小さくして観ていたようだった。
この3日間はとにかく地獄のような日々でほとんど記憶がない。ネグレクトと言われても仕方ないほどに子供をみる余裕もなく、お腹すいたと起こされてはご飯を作り横になる。
身体の節々が痛く怠さも半端ないし、いまだに寒気もあってガタガタ震えてる。ご飯を作るたびに息切れをして、立ち上がるのもトイレに行くのもやっとな感じでひとつの動作をしてすぐに倒れ込む毎日だった。
一番酷かった症状は頭痛。常にロキソニンを飲んで対応するも、頭痛は収まらないし熱も下がらない。かといって一度飲めばすぐに飲める訳でもないし、飲んだ後30分くらいは楽になるものの、それ以降は「耐える」それ以外の方法はひとつもなかった。
中でも17日は特に忘れられなくて。夜にお腹がすいたと起こされたものの、しんどさで起きることも出来ない。ごめんね、ご飯作るねって言ったものの、私はそのまま寝てしまっていた。
目が覚めると21時になっていて、横には次男がひっつきながらウトウト。机の上にはビスコの袋が散らかっていて、お腹がすいて仕方なかったんだと思う。
ごめんね、ごめんねって泣きそうになりながら急いでご飯を作って食べさせた。大丈夫だよ、ママちんどいでしょ~。ママ大丈夫?って子供たちが言うから余計に病む。
子供たちは私に気を使って起こさずにいたからこそ、母親失格すぎて涙が出てきた。言うことを聞いてくれない体に誰にも頼れない現実。
子供の相手もできなくてこの3日は少しメンタル的にも辛かった。
19日 38.8度
ここまで熱が続くと思わず週末だったこともあって、この日にやっと病院へ。発熱外来に朝からかかった。
下が4歳なので置いていくことができず、次男と一緒に。発熱外来は予約とかなく順番なので、私はどうやら2番目だった。
前の人は日本語が通じていない(?)外国人。この日も朝からロキソニンは効かずにぐったりしながら順番待ち。
前の人はピンピンしていて、話が通じないからめちゃくちゃ時間がかかっている。少し聞こえてきたのが知り合いが濃厚接触者だから検査を受けさせろ!的なあれだった。
発熱外来は外で待たされてるので、暑さとだるさとで余計にぐったりする。プラス子供も見ながらなので、その順番待ちすら早くしてほしくてイライラしてくる。
途中から吐き気まででてきて、もう気分はぐちゃぐちゃ。やっと順番がきたと思っても問診から始まる。
これまでの症状を一生懸命伝えるも、めちゃくちゃキツく当たられた。多分前の人でかなりイライラしてたんだと思うけど、私も吐きそうになりながらでもあり、頭もボーッとしてるのでスムーズには答えられず。
ようやく問診が終わったところで、また外で1時間くらい待機。怠さはもちろん、暑さがかなり辛かった。子供も暑かったみたいで少しグズる。涙いっぱいにグズる姿がまたかなり見ていて心が痛む。
そしてPCR検査で両鼻に綿棒をぶち込まれて、カロナールを貰って帰宅。結局、問診と検査のみで特に何も診られてなく病院は終わった。
その後、数時間で陽性発覚。
病院に行ったので息切れが半端なく、体力もかなり使ったので記憶のないまま倒れ込む。でもそのまま寝れる訳もなく、そのあとは電話が何回もかかってきた。
保健所からの聞き取りから始まり、看護師やら先生やら。看護師さんには入院をした方がいい、誰かに子供を預けられないか?と聞かれるも、預け先なんかない。
その迄を伝えるとまた折り返すとのこと。疲れて寝ていたいのにまた電話が鳴り、同じような話。近所の人に頼めないのか、親には預けられないのかなど。
全て無理と話すと次は役所にどうにかしてもらおうと言われたので、役所からの電話。役所なら力になってくれると期待の言葉があったものの、役所からも同じことを言われるだけ。
親は無理なのか、近所の人に預けられないのか。
近所、近所とか言ってるけどコロナの濃厚接触者を誰が見てくれるというのだろうか。同じことばかり聞かれるので、児童相談所や施設はないのか?看護師さんから役所が力になってくれると聞いたんですけどと話した。
すると、折り返すと言われて電話待ち。
折り返しの電話がかかってくるも、そういった施設にも児童相談所にも預けられない。お母さんにみてもらうしかないとのこと。でもやばくなったら119で入院してとの事で。
結局、預け先がないとどれだけ身体が辛くても自分で見るしかない感じ。児童相談所すら無理なら呑気に119番なんて出来ないよなんて思いながら、怖さと悲しさでいっぱいになった。
というか、疲れていたこともあり、電話で何回もやりとりさせられて体力も落ちていたので、メンタルがきてたんだと思う。今思えば当たり前の対応なんだけど、役所の人がなんとかしてくれる!って期待を持たせられていたぶん、絶望したというのが正しい。
ネットで検索するも児童相談所が預かってくれる、対応するなどと書いていたのを見たから余計に少し期待してた部分もあって。結局のところ、誰も助けてくれない状況をはっきりと理解した。
20日 39.6度
この日は起きたらとにかく吐き気と頭痛がやばかった。早朝に起きるも頭痛で起きる感じ。熱を測るとまた上がっていて、いつ下がるのか、いつまで続くのか。終わりの見えない熱に気分までぐったりしていた。
ただこの日は初めてロキソニンがきいた。飲んで30分くらいたつと36.7度。身体がかなり軽くなり、ロキソニンが効いた事実がメンタル的にもすごくプラス思考になれた。
平熱になっていたのでお風呂に直行。汚い話だが、熱でずっとお風呂に入れずにいた。それから洗濯をするもやっぱり息切れ。
休憩を何度も挟んでようやく洗濯をおえた。
終えた頃に熱を測ると38.5度。ロキソニンが効いたのは一瞬だったけど、数時間でお風呂と洗濯が出来たことにかなり満足だった。
この日も朝から役所からの電話。お母さん辛いね、頑張ってるねって優しい言葉が唯一の救い。また明日もかけますね!って言葉に私はコロナの期間中かなり救われていたと思う。
電話では国から?の支給でレトルト食品などが貰えるとの事を聞いた。1人分を10日間だったかな?後、郵送で酸素濃度計も届くとのこと。
電話は他にもあって、コロナ陽性が出たので長男の学校に連絡。聞き取りや状況説明を行い、再び看護師さんからの電話など。
ぜえぜえと息切れしながら次々かかってくる電話に対応。結局、寝ていたいのにあまり眠れず、夕方になっていた。
夕方になると長男の様子がおかしく、熱を測ると39.1度。部屋を別に隔離していたのに、長男にまでうつってしまったようで。
それと旦那からPCR検査をしたとの事で電話がきた。旦那も味覚がないらしく、人と隔離して生活をしていた。
とりあえず長男にも解熱剤を飲ませて看病。倒れそうになりながらおかゆを作り、次男にはふつうのご飯を作り。頭痛が収まらない中で、このご飯作りはかなり辛かった。
ただ唯一、次男だけが元気なのが救いであって。机にあったバナナをニコニコしながら背中に隠し、イタズラ感覚でバナナを食べる姿が本当に可愛い。
私が横になったのを見計らってお菓子を物色したりと、元気でいてくれたのが本当に救われた。
21日 38.6度
旦那から電話で陽性が出たと聞いた。旦那ですら陽性なら長男も陽性はほぼ確実で。
送られてきた唾を出して検査をするタイプのPCR検査を長男にしてもらい、長男の検査結果待ちとなった。PCR検査は12時に役所の人がドアノブにかけてくれて、それを16時に提出。
そのやり取りに健康チェック。なんだかんだ電話はよく鳴るのでおいおい寝てもいられない。そんな中で次男の保育園からも電話が鳴り、事情を説明。
再び保健所からの電話で旦那陽性の話で聞き取りなど、寝ては起こされ、長男の介護に二人の食事作り。身体を休めることなど出来ず、ロキソニンは効かないまま耐えるしかなかった。
22日 38.0度
今までに比べて熱が下がってきた。38.5度を越えるとかなりしんどいが、38.0度でかなり身体が楽になる。ただ、相変わらず頭痛で目覚めロキソニンは効かない。それにずっと何も食べてなかったからか口の中がかなり気持ち悪い。
朝から長男の看病をしながら次男の食事作りをしていると、電話がかかってきた。どうやら宅配の人。今から家に行きますとのことで、数分後にピンポーン。
玄関前に荷物が置かれ、宅配の人が帰ったのを見計らってドアを開けると、玄関前には大きなダンボールが置かれていた。
荷物をサッといれようとするも、そのダンボールがかなり重い。持ち上げることができず、引きずりながらようやく玄関へ。もうこの時点で息切れが半端なく、クタクタになっていた。
コロナのせいで力が出ないのもあって、思うようにも身体が動かない。そこから何十分もかけてリビングへと運び、蓋を開けてみると国からの支給品が山ほど入ってあった。
これはほんの一部なんだけど、全てレンジでチンで調理できるものやすぐに食べられるもの。簡単に調理できるものが入ってあり、とても助かった。
というより、「楽をしてもいいんだよ」と言われてるみたいで、心が楽になったに近いかな。今までネットスーパーで頼んでいたけど、やっぱりどこかレトルトは、、と考えていたこともあったし。料理をイチから作ることによって結局は自分の首を自分で絞めたいた感じ。
今は料理を作らなくてもいいなんて考えることもできなくなっていたみたいで、頑張り過ぎていたんだと思う。だからこそ、この支給品を見て心が軽くなった。
早速この日から支給品のものをレンジでチン。子供たちも珍しがって美味しく食べてくれた。中にはおかゆも入っていて、長男と次男別々の食事でも楽に済ませることが出来た。
中には粉でとけるスポーツドリンクなどもあって、これもかなり助かった。この支給品がきてからかなり生活が楽になり、それと同時に頑張ってた自分を少し褒めてあげようと思った。
電話がきたタイミングで役所の方にもお礼を再び伝えた。そして、この日に長男も陽性発覚。ただ、長男は熱が下がり始めていたので、少しホッとした。
私はというと頭痛は続き、相変わらず食欲なし。ロキソニンはすぐに効果がきれるし、この日辺りから猛烈に咳がではじめた。
なにか話そうとすると咳が出て、一度出ると連続で出るので止まらない状態。健康調査として毎日電話が来るんだけど、その電話ですらまともに話せず。咳をする度に頭に響き、頭痛とコンボで今までとは違ったしんどさがあった。
23日 37.4度
この日も朝から頭痛で起床。恒例のように朝からカロナールを飲んで頭痛が収まるのを待っている。ただ、熱は初めて微熱になっていた。
微熱なので身体が軽いはずなのに、頭痛と咳のせいで息切れがする。咳こむと吐きそうになるくらい続くので、極力話さないで過ごすものの、自力で我慢するにも限界があった。
ちなみに昨日から旦那は帰宅。寝てるだけなのでなんで帰宅したんや?なんて思いながら、イライラ。まぁ彼も陽性なので仕方ないんだけど、人を心配する余裕なんて私にはない。
そして昨日からの役所の人との話しあいで、今日から旦那と長男をホテル療養が決定。3人陽性なので次男はまだ陰性の可能性もある。3人で固まるより、私一人だけにして症状のない次男に症状が出ないようにするために。
ホテル療養は2日後からなんて聞いていたので何も準備をしていなかったので、急いで用意。
朝に電話がきて夕方16時に迎えに来るとのことで、大急ぎで用意した。まととに洗濯をしていなかったので急いで洗濯を回して、長男の服、旦那の服や身の回りのものをつめた。
頭痛に耐えながらだったのと息切れもかなりしたが、ご飯を用意するぶんが減ると考えると、2人には申し訳ないが少し気持ちが楽になった。
夕方になり長男と旦那はホテルへ。長男は体調が戻っていたのでどこか旅行気分で楽しそうだった。
荷物をつめているとカバンに次男が猫みたいに入っていた。「どこに行くの?お出かけするの?」なんてニコニコしながら。
ごめんね、違うよって説明すると、涙をためて「なんで?なんで僕は行けないの」って。そりゃそうだよね、4歳に説明してもわかるわけもない。
次男は濃厚接触者認定をされていて2週間以上は経っている。ずっと家にいて外に出られていないのだから、キャリーケースを見ると出かけられるって思うのが当然。
本当に可哀想でたまらなくなり、だからといってごめんねしか言えなくて胸が痛かった。旦那と長男が行く時も「置いていかないで、僕も行きたい」って泣き叫ぶ次男の姿があまりにも可哀想で今でも目に焼き付いている。
そのあとは、いつ帰ってくるのか、お兄ちゃんはどこにいるの?なんて質問攻め。なんとか病院に行ってるの説明でわかってくれたようで、落ち着いた。
ただ、長男がいない違和感はあるようで、珍しくハッピーセットが食べたいとわがままを言う。この日初めて「お出かけできないし〜」なんて言葉を聞いて、夜はハッピーセットを頼んであげた。
嬉しそうに食べるも長男がいないのはやっぱり寂しい様子。この日は少し大人しく、家にふたり静かな夜だった。
そして9日ぶりに私は夜におかゆを食べた。久しぶりに口にしたご飯でもあり、2口しかたべられなかったんだけどすごく美味しかった。
人間って不思議なもので、食べたあとはなんだか治る気がして元気がでた。口の中の気持ち悪さがすぐに消えたのもあったのも大きかったかな。まぁでも久しぶりの食事だったからか、お腹を壊していた。
24日 37.1度
この日も朝から頭痛で起床。カロナールを飲むのは毎朝の日課。お腹も相変わらず壊していたけど、ただ、熱がかなり下がったことで身体は軽かった。
朝から洗濯もしたし、お風呂にも入れてすごく順調。ずっと終わりのない熱が続いていたので、気持ち的にもかなり余裕が出た感じ。
今更だが、この日は酸素濃度計が届いた。郵便局の人がドアの前に置いてくれるって聞いていたが、インターホンが鳴り、普通に対面しようとしていたのだインターホン越しにドアの前に置いて!と言ったんだけど。
荷物をみても非対面で〜みたいなのが書かれてあり、郵便局の方はどうやら確認してなかったらしい。ちょっとゾッとしたけど、まぁようやく届いたことで酸素濃度を測れるようになった。
早速計るも96とギリギリ。どうやら96以下がダメみたいで、たぶんもう少し早く届いていたら96以下だった自信しかない。笑
この日もおかゆを食べることができた。5口程度だったんだけど、食べるのと食べないのではやっぱり全然違う。
お昼は横にはなっているが起きてる時間がかなり増えた。次男の相手もできるようになって、少し余裕がでてきてかなり楽になった。
そして保健所と話し合った結果、私の療養が終わった後に次男を私が病院へ連れて検査をすることに。次男にとっては2回目の検査にはなるんだけど、このまま熱が下がったままなら26日の月曜日に病院へ行くことが決定した。
25日 36.9度
頭痛とカロナールの恒例行事を済まして、役所からの電話。最低10日間の療養プラス熱が37.5以下が3日続けばコロナの療養解除になるとのことで、私はその条件に当てはまったようで今日で最後の療養の日となった。
保健所の人は祝日でも日曜日でも毎日電話をくれて、優しい言葉をかけてくれていたので改めてお礼を言った。お母さんよく頑張ったね!なんて言って貰えて、私の方が救われていたのに最後まで優しかった。
休みもなく毎日、本当に感謝しきれない。絶望したこともあったけど、電話での言葉で私のメンタルは保たれていたと思う。
病院の人はもちろん、保健所や役所の人も休みなく働いてくれている。見ず知らずの感染者に対し気を遣い、健康チェックをしてくれて、そういう人が影で頑張ってくれていることもちゃんと知って欲しい。
気軽に遊びに行ってる人や、少しくらいなんて思ってる人は今すぐ考えを改めるべきだと思う。
ちなみに療養期間が終わった私だったが、頭痛、咳はいまだ続いている。息切れもするし体力も食欲も未だに戻っていない。ただ、こんだけ地獄のような日々でも私は軽症扱いであり、重症になればもっと大変なことになっていた。
コロナは交通事故に近いと思うし、誰がなってもおかしくないけど、自らかかるリスクを増やすのは絶対にやめるべき。
ちなみに結果的に次男も陽性になり、家族全員コロナ感染者となって現在も療養中。約1ヶ月、仕事を休んで外出もできていません。
もうすぐ家族全員の療養期間が終わるけど、コロナにはもう二度とかかりたくない。今まで生きてきた中で一番しんどくて精神的に辛かった病気だったから。
ちょっと遊びたい気持ちと、8日ご飯が食べられない苦しみ。どっちを取るのか。
みなさん、どうか後悔しない選択を、、。
コロナが早く収束しますように、願いを込めて。
はなちゃんです╰( ⍢ )╯趣味でnoteを書いています。投げ銭というよりもコメントいただけますと嬉しいです。よろしくお願いします♡