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大好きな人。

もう何年ぶりかな?

こんなに泣いたの。

GW前の計画


GW前は長い連休を取る為、周りに協力してもらいながら一生懸命仕事の調節をして働いていた。

洗濯物が片付けられなかった日、夕飯が遅くなった日、キーボードに触りながらウトウトして文章を全部消してしまった日、机で寝てしまって子供にお布団をかけてもらった日。色んな日があったし、仕事と家事の両立なんでとてもじゃないけど出来ていない。

挙句の果てには、長男が次男にママはお仕事頑張ってるから静かにして!寝かせてあげて!と言わせてしまうほど、母親としてはダメダメな日常を送っていた。

途中からはこんなことしてていいのかな?と自問自答していた日もあったけど、GWに笑う子供の笑顔を想像しながらギリギリ何とかやりきった。

目標としてGWはスマホやPCからも離れて過ごそうと決意。そして、いよいよ連休当日の午前2時。

「お休みはゆっくり過ごしてくださいね!」

この担当からの連絡を最後に予定通り私はスマホを閉じた。ここまでは私の予定通り、理想としては完璧だったと思う。

GW当日。


前々からGWには色々と出かける予定を立てていたけど、初日は平日なので長男は学校、旦那の仕事の都合で私だけオフ。初日は出掛けないとはいえ、久しぶりにゆっくりするぞー!と、連休を満喫するかのように朝寝坊の計画を立てて眠りについた。

そして、迎えた連休初日の朝。
私は突然、仕事に行ってるはずの旦那に起こされた。

なんで仕事に行ってないの?と聞くまでもなく言われた一言。

「起きて、ばあちゃんが死んだ」

「………え?」

このおばあちゃんとは旦那の父方の祖母。私の子供からするとひいおばあちゃんになる。

驚きすぎて咄嗟に出た言葉はこれしか出なかった。だって、おばあちゃんはとっても元気だったから。

白内障などは聞いていたけど、きっとおばあちゃんの症状からしても命に関わることはない。一人暮らしだったし、しっかりお料理も趣味も満喫しているような人。

あんなに元気だったのに、突然死んだとか言われても理解が追いつかない。

その後、聞いたのは数日前にICUには入っていたが回復していた。でも突然悪化したとのこと。

義家族も入院時は命に関わることでもなかったから連絡は迷ってたらしい。それに多分、悪化した時点で余裕がなかったと思う。

病名は大動脈解離。実の父親が一度死にかけた病名と同じだった。

最後の日。


すぐに病院に…と向かうはずが、遺体は献体に登録しているからすぐに別の病院に運ばれるとのこと。

コロナ禍の影響もあり、私と次男。そして、学校にいるまだ何も知らない長男は最後の挨拶には行けず旦那だけが病院へと向かった。

後から聞いたが延命治療はしないで人間の自然なままの形で逝かせてほしい、献体は亡くなってからも誰かの役に立ちたいというおばあちゃんの意思で遺骨が帰ってくるのは数年後と聞かされた。

亡くなってからも誰かの役に立ちたい。

最後に顔を見れなかったのはとっても寂しいけど、この言葉がおばあちゃんらしくて。私の大好きなおばあちゃんそのものだった。

知って欲しい。


おばあちゃんとはいっても私には血の繋がりはない。でも本当に大好きで自慢のおばあちゃん。

長男が産まれた時は涙を流しながら喜んでくれて、おじいちゃんがまだ生きている頃は長男の抱っこをどちらがするかで喧嘩を始めてクスっとさせてもらった。

それに新婚当初、旦那の仕事が忙しくて毎日一人でご飯を食べていると話した日から、おばあちゃんは必ず私がご飯を食べ終わるまで横に座っててくれていた。

コロナで会う頻度が少なくなった時でも毎月のようにお菓子が送られ、子供の好物だけでなく私の好きなお菓子を覚えてくれてて、お誕生日プレゼントを送るといつも泣いて喜んでくれていた。

おじいちゃんが亡くなった時は酷く落ち込んでいたけど、亡くなった日からおじいちゃんを待ち受けにして照れた顔で自慢してくるとってもキュートな一面もある。

私の子供もそんなおばあちゃんに懐いていて、おばあちゃんの小さい海苔おにぎりが大好きでいつも作ってと甘えていた。

特に長男はおばあちゃんと性格が似ているところがあって、親の私達にもわからない気持ちを理解してくれていた時もある。二人はとても仲が良く、初めてのお泊まりはおばあちゃんの家。

長男が学校で招待状や手紙を書く相手は必ずおばあちゃんだったほど、おばあちゃんっ子だった。

ここまで長々書いてみたのは気持ちを整理する為でもあるが、おばあちゃんはこんな素敵な人だということを知って欲しかったからでもある。

でもどうしてかな。書けば書くほど薄っぺらくなるし、全然良さが伝えられていない。長年、書くことを仕事にしているけど、真剣な気持ちほど言葉で表すのは難しいことだなと改めて思う。

子どもたち


おばあちゃんという存在はそれほどまでに私にとってはかけがえのない大切な人。もっと長生きして欲しかったし、コロナ禍で会えなかったのが悔しい。

もっと色々教えて欲しいこともあったし、二人きりで夜に内緒話もたくさんしていたかった。

ありがとうも全然伝えられていなくて、もっともっとたくさん大好きだよって伝えればよかった。

気がついたら私は嗚咽を漏らしながら泣いては、ごめんなさいと繰り返していたようだった。

一通り泣き終わったあと、ある課題を思い出した。その課題とは「長男にどう伝えるのか?」だ。

長男の事に迷っているとタイミングよく旦那から電話がきた。

病院へ向かった旦那からは「最後に会えてよかった」と言われ、血の繋がりのない現実も含め、会えない寂しさや悔しさが込み上げてきてまた涙が溢れてきた。

それから、少し状況が落ち着いた様子の旦那に長男の話を持ち出し、長男へは旦那から話して欲しいとお願いすることにした。

まだ何も知らない長男。夕飯を作りながら普段通りに頑張って接している中、旦那が帰宅した。

そして、「なんで帰ってきたん?」と聞かれた旦那が長男を呼んで話し始めた。

「ひぃおばあちゃんいるやろ?」との問いに、目をキラキラさせる長男。GWにおばあちゃんちに…と続くと期待していたと思う。

でも次に旦那が話す言葉は悲しい現実。

長男はすぐに涙でいっぱいになりながら、顔を押さえて下を向いた。

肩を震わせている長男を見兼ねた旦那が「連れて行きたかったけど行かせられなくてごめん。今度、一緒にお墓参り行こう」と。

それを聞いた長男は、涙をたくさん溜めながらも目を真っ直ぐみて深くうなずいていた。

激しく泣くというよりも、泣かないように我慢して涙がこぼれている感じ。普段は本当にくだらないことですぐ泣くし、叱られたらすぐおばあちゃんに寄り添って泣く長男なのに…。

この時ばかりは目に力強さを感じた。私よりもよっぽど強く、現実を受け止めている。

次男にはハッキリとは話してはいないが、長男と旦那の話を少し聞いていた後にYouTubeを観ながら突然ボロボロと涙を流して静かに泣いていた。

子供って親が思っているよりも成長しているみたい。最後の最後までおばあちゃんには大切なことを教えてもらった。

大好きなおばあちゃん


私は家族には恵まれなかったけど、おばあちゃんの人柄で家族の温かさを初めて知ったし、おばあちゃんの家で義家族や孫、曾孫が集まっている光景を見て初めて家族っていいなって思った。

私にとっては本当に特別で大切な存在。会えないのは寂しいけど、人の為に最後の最後まで一生懸命頑張ってきたおばあちゃん。

天国ではゆっくりおじいちゃんと過ごしてね。

血の繋がりのない私にまで、大切なことをたくさん教えてくれて本当にありがとうございました。

本当に素敵な人で大好きだったおばあちゃん。

今でも「はなちゃーん♪」って。

ニッコリと笑う
優しいおばあちゃんの顔が目に浮かぶ。


はなちゃんです╰( ⍢ )╯趣味でnoteを書いています。投げ銭というよりもコメントいただけますと嬉しいです。よろしくお願いします♡