ハッピー☆マテリアル
今回は「現在のアイドルはどのようにして今の形になったのか?」という、主にAKB48についての考察です。
私は1999年にTBSの深夜のバラエティー番組内で放送されていたデジキャラットというアニメのイベント・ライブへ参加したのがヲタクとして現場へ参加した始まりでした。
2000年頭頃はアイドル冬の時代と言われてた名残で、アイドルといえば目立った存在はハロプロぐらいでした。一方で、1995年に放送されたエヴァンゲリオンの影響で大量のアニメが放送され、出演する声優がイベントやライブを行う事が盛んになってた時代でした。2005年からアニメロサマーライブなどアニメの主題歌や声優アーティストが歌う大きなフェスも開催されました。
2003年に週刊少年マガジンで「ネギま!」という漫画が連載されます。先生の少年と女子生徒が30人ほど登場するハーレム物で、アニメ化され若手の女性声優によってライブイベントも行われとても人気でした。
ストーリーが進むにつれて登場人物が増えるのではなく、最初から多数のキャラクターを物語に登場させていく方法は、自身をヲタクという赤松健氏がハロプロを見たときに少しずつメンバーを覚えていく過程を参考にしたと言われています。また、どのキャラクターにスポットライトを当てるかを雑誌で人気投票を行い決めていました。
ネギま!がアニメ化された時の主題歌が2005年に発売された「ハッピー☆マテリアル」という曲でした。当時はアニメや声優の楽曲は音楽番組などで評価が低く、オリコンなどで上位にランクインしても番組の紹介される時間が省かれたり、紹介されても短かったりしました。
そんな中で、匿名掲示板(2ちゃんねる)を中心に「ハッピー☆マテリアルをオリコン1位に」という呼びかけが行われます。オリコン1位になれば、テレビ番組でも無視できないだろうと。。
結果的には3位が最高で1位にはなれなかったものの、CDは音楽を聴くために1人1枚購入するものから、応援したいモチベーションに合わせて複数買うものに転換された事件でした。
当時通ってた木谷高明氏(ブロッコリー、ブシロードの創設者)の公開トークラジオ番組のなかで、ハッピー☆マテリアルについて「ゲーマーズの店舗で何十万もハッピー☆マテリアルを購入し、CDは要らないので集計だけしてほしいといってた人がいた」と触れていたのが印象に残ってます。
2005年12月にAKB48が結成されました。秋元康はAKB48を作るのに当たって、自身がニューヨークに住んでいた頃に通っていた劇団を参考にしてるといってますが、もっと具体的に参考にしたのは1990年代に活躍した東京パフォーマンスドールではないかと思っています。
AKB48という名前もTPDと似た名付け方だし、原宿RUIDOをホームに口コミ的に人が増えてキャパを増やしていったのですが、当時の地熱がある秋葉原に劇場を作ったところもに似ています。そしてTPDと同様にAKB48のレーベルはSME(デフスターレコード)でした。
その頃の自分は声優ファン(いわゆる声ヲタ)だったのですが、声ヲタ仲間がどんどんAKBに通い始めたのもこの時期でした。(花やしきにバスツアーへいってアイドルの手作りのオニギリを食べたとか聞かされて、自分自身もAKB48に通うようになって、それ大島優子だったのかってビックリするのですが。笑)
ただAKB48はデフスターレコードでは上手く行かず契約解除、軌道に載ったのはキングレコード(週刊少年マガジンを出版する講談社のグループ会社)から大声ダイヤモンドを出してから。その大声ダイヤモンドからAKB48を担当したのがキングレコードの湯浅順司氏で、実はアニメ「ネギま!」の担当でした。
大人数の女性アイドルによるイベントや、総選挙に繋がるCDの大量買いのアイデアなどは「ネギま!」での経験によるものだと推測されます。
また、ハッピー☆マテリアルなどの振付をした石川みゆ氏はももいろクローバーの振付や育成を担当しており、スターダストの当時のマネージャーがネギま!について触れていたりします。
大声ダイヤモンド発売の少し前からAKB48は地上波で冠番組をもち、そのスポンサーが名古屋にある享楽産業だったことで、名古屋にSKE48が結成されました。
アイドル冬の時代という物が続いてた中でいくつかのパーツがAKB48上で重なり合って、1人のファンがアイドルとの接触を目的に複数買いする仕組みができ、それが全国各地に展開され2010年代のアイドル隆盛の時代になったと思います。
しかし、その10年近く続いた仕組みが昨年からのコロナ渦によって危機に直面していて、このまま衰退するのか?新しい仕組みが生まれるのか?注目しています。