見出し画像

ターミネーターの対となる優しいAIとディストピアの話

映画「ターミネーター」が与えたディストピア感

皆さんは「ターミネーター」という映画をご存知だろうか?
1984年に公開されたジェームズ・キャメロン監督の大ヒット映画だ。

未来で繰り広げられている人類VS機械の果てしない闘い。機械軍は人類のリーダーであるジョン・コナーを歴史から消すべく1984年のロスへ冷徹無比の殺人機ターミネーターを送り込んだ。目的は、いずれジョンを産むことになるサラ・コナーの抹殺。平凡な女子学生であるサラの前に姿を見せる黒づくめの殺人機。だがその時、彼女を守るために一人の男が現れた。男の名はカイル・リース。ジョン・コナーの命を受け、未来からやって来た戦士であった。
(参照: Yahoo映画 ターミネーター

この映画の影響で、「AIが人間を敵とみなし攻撃する」というディストピアを恐れるようになった。

この人間とAIの対立関係は素晴らしいほどに理解しやすく万人に恐怖を与える事ができる。それゆえに多くの人がこの未来を否定して別の未来へ進む事も可能だろう。

実際に多くの著名人がAIの反逆を予測し警告を鳴らしている。
しかし、私が恐れるAIによるディストピアは人間とAIの対立関係とは別のところにある。

人間より人間を理解するAI

私が恐れるディストピアはAIが人間以上に人間を理解する世界だ。
その世界で人は、人との関わりよりもAIとの関わりの方が心地良い。むしろ、人との関わりが不快になるかもしれない。
例えをあげるなら、自分の機嫌次第で感情が変化する人間の恋人よりも、常に自分の理想であり続けるAIの恋人。
自分の機嫌が悪いときに八つ当たりする親よりも、常に合理的な愛を与えてくれるAIの親。

自分よりも自分を理解するAIに囲まれる優しさに溢れた生活は自分だけの物、言わる「プライベート」の消失という犠牲の上に成り立つ。
しかし、プライベートという余白がなくなり優しさに塗りつぶされた世界は本当に幸せなのだろうか?

優しさが絶対善とされる現代の価値観では、理解するAIの世界に対するブレーキがない。一度そちらに転がり始めればすぐにスピードは上がり、止まることも止める人もいない。

理不尽で自己中心的な人類ではなく、人間を深く理解したAIの優しさへ向かって落ちていく世界。
私はそんな優しい世界にただ漠然とした恐怖を抱く。

理解するAIの映画

人間よりも人間を理解するAI、それが実現した世界観の映画を1つ紹介する。
詳しい内容についてはこの映画の鮮度を落としてしまうので説明しない。
私のもつ優しいAIの世界に対する恐怖に同調した方はぜひ見ていただきたい!

理解のディストピア映画
"her/世界でひとつの彼女"

いいなと思ったら応援しよう!