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POOLO卒業制作【前編】
▶︎POOLOを振り返って
8ヶ月間のPOOLOが終わる。
ずっと続いていた変わり映えのない日常が、彩られた期間だった。
POOLOで得られたものはたくさんあるけど、特に大きなものは、自分に向き合えたことと受け入れられたことだと思う。
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私はチーム活動の中で、「自分を愛する」という豊かさに行き着いた。
少し前の私なら、綺麗事のように思えていたし、自分ごととして捉えられなかったはず。
でも今は心からその豊かさがわかるし、自分を愛そうと思える。
今の自分も、未来の自分も、そして過去の自分もまるごと愛したい。
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▶︎卒業制作、まさかの二部作に
卒業制作を書くにあたり、これまでの人生のことから振り返ってみた。なので、ちょっと長くなってしまった。
前編 【生きる意味もわからず人生拗らせていた編】
後編 【POOLOでちょっとずつ自分のことがわかり、人生を堪能しようと思えた編】
後編だけ読んでもらってもPOOLOの魅力は伝わるかと♡
お忙しい方はここから後編へ。
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▶︎生きるのが嫌になっていた過去、拗らせていた過去
過去の私が今の私を見たら、とても驚くに違いない。
実は、記憶している中で一番最初は小学校低学年の頃から、生きるのをやめたいと思っていた。その時の今にも、未来にも希望を持てなかったから。
まだ幼稚園や小学校しか知らないし、出会う大人も先生や家族という、限られた小さな世界で生きていたからこそ、その世界が全てだと思ってしまっていたんだと思う。
学校の成績、授業参観の様子や、習い事など色々な場面で人と比べられていた。できないことや劣っていることばかりで、自分の良さがわからなかった。
この年齢になった今なら、親にたくさんの習い事をさせてもらって、いろんなことができるようになって可能性を広げようとしてくれていたことがわかる。今でこそそれは感謝できるようになった。
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でも、振り返ると多くの場面でできない自分にフォーカスされていて、常に心が緊張状態だった。怒られて、ダメなところばかり指摘されて、自己肯定感が底辺まで下がって、心から死んでいた。
優しくされないから人に優しくできないし、周りよりも秀でていないとだめだと育てられたからか、周りの友達は敵とさえ感じていた。
常に戦闘モードで外敵から心を守っていたけど、何か少しでもダメージを受けると、すぐに生きるのが嫌になっていた。
成長して、受験や就活期にも、自分はダメだとはっきり見せつけられて生きる意味が見出せなかった。
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でもそうしなかったのは(そうできなかったのは)未来に希望があったわけでもなんでもなくて、勇気がなかっただけだと思う。
もし、実行に移していたら、やっぱりダメなやつだったなと言われるし、他にも何を言われるかわからない。確実に親からは幻滅される。そう思っていたから、行動に移せなかっただけだと思う。
▶︎幸せの正解
こんな感じの幼少期からの人生を過ごしてきたので、大学時代や大人になってからも、誰かに認めてもらうためだったり、無意識に心の中でもマウントをとるために、行動していたような気がする。
友達の間でも、ライフステージが変化していく人が多く、少しでもリア充(死語?)に見せるための焦りがあったことも事実。
学校や学部の偏差値、会社のネームバリュー、彼氏彼女、パートナー、結婚、出産、家、、、。メディアは如何にもこれらに価値があるように煽り、今思うと私達は振り回されて消耗させられていた。
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受験や就活に失敗したら、人として無価値の烙印を押されたように感じる。その先の人生でも、結婚して子どもを産むことが未だ当たり前かのような風潮もある。結婚をしていないこと、子どもがいないことに、焦らされる。
「本当にそうなの??すべて叶えたら幸せ確定?」そう思っても口には出せない。
だからその疑問を掻き消すように、世の中で言われていることが正解だと自分に信じこませて、そのすべてを手に入れるために走る。
でも、ふと立ち止まった時に自分というものが無くなっていることに気づく。その時には、すでに心と体がボロボロになっていたりする。
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そして、やっとそこで「自分にとっての幸せ」を考え始める。世の中のいう幸せではなく。
私にとってそのタイミングはPOOLOに入った時だったと思う。
後編へ続く。