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ミュージカル『INTO THE WOODS』東京千穐楽 感想
改めてちゃんと観たら人間の泥臭さも見つめた上で、孤独に人と共にある事への呪いと祝福があって、それぞれの人生の選択を肯定してくれる力強い作品に感じました。
ラスト大阪公演で、ますます深化されているとは思うのですが、東京千穐楽の思い出(と呼ぶには余りにも長い何か
傷ついて少し斜めに育った赤ずきん
大筋で語りたい事は、前回の感想の時にほぼ書いちゃったのですが、羽野晶紀さんの演じる赤ずきんが可愛い!(総括
前回から気づかなかったところを書くと、赤ずきんちゃんソロの時、おばあちゃんが狼の内臓をみじん切りにして、ナイフを砥石で研いでて笑ちゃった・・・バイオレンスおばあちゃん。パン屋さんドン引き。
赤ずきんちゃんはソロの途中、ナイフで自分の手首を切ろうとする動きをしていたから、 少なからず赤ずきんちゃんはオオカミ事件で(心と物理の)ナイフをゲットして、それをおばあちゃんの助けで内から外に向けるようになったのかなぁと。攻撃性というか、心のトゲトゲ。
赤ずきんちゃんが、赤ずきん(幼い装い)を脱ぐのは、きっと子どもから大人になる大事な通過点なんですけど、自分は女の子たちが周りを意識して可愛い服を着なくなるのを物凄く残念に思っているので、女の子は本人がいいやと思う時まで着たい服を着てて!!!(声大
ずきんを盗ったパン屋さんを、きーーー!!!って追いかける所がとっても可愛かった。賑やかな子も好き。
パン屋夫婦の赤ちゃんを預かっている時に、かわいーって見てたのに赤ちゃんが粗相をしたみたいで「くさい!」って顔してるのが可愛いかったです。クンクンって音で表現するんじゃなくて、舞台は全身をつかって表現するのが新鮮。
男性への不審もあって、パン屋さんの「プリンセスに抱かれてるほうがよっぽど幸せだよ!」みたいなセリフに(はぁあ!?この人信じらんない!)って顔をして、帰って来たパン屋さんにも「ほとんど置いていったけどね!!」とキツイことをサラリと言ってた。
巨人を殺すのは罪悪感があるけど、オオカミに酷い事をするのはOKなさじ加減が、まだ赤ずきんちゃんの中で矛盾しているようにも感じました。
「Please!」という台詞が王子さまと共通なので、二人とも”道を外れた欲しがり屋さん”みたいなのを意味してるのかなぁと。
「子ども」という括りでジャックとリンクする所もあって、新しいことを知る悦びみたいな。
ジャックがぽろぽろ泣いてるのを横目でみて、赤ずきんちゃんはママになる!って決めたのかなぁと。ミルキーチキンの時にジャックへ「嘘つき!」って煽ったことへの後悔と、ママがいなくなっちゃった同士の寂しさがちょっとはあったのかも。
前回、あまりに自然すぎて気づかなかったのですが、廣瀬友祐さんの狼とパフォーマーさんたちの動きが凄かったです!動物的な野生のしなやかさだった。すごかった。
王子さまとオオカミが一緒の方だなんて最初まっっったく気がつかなかった。すごいね!?
狼と王子を同じ方が演じるのは、どちらも表裏一体(?)である示唆だって解釈をみてなるほどなぁと思いました。
自分にも嘘をつくシンデレラ
劇中では嘘をつけなかった子ども赤ずきんと、嘘をつく大人シンデレラという対比もあるのかなと。
巨人にジャックの居場所を訊かれた時、赤ずきんちゃんの「知らない~!(出来ない?やっぱ無理?)」みたいなセリフを受けてシンデレラが「これ以上、隠しておけない!」って言ったから、アレ?って。シンデレラがひと芝居打ったように見えたんです。あぁでも赤ずきんちゃんもやっぱり芝居をしてるのかも。
あと、パン屋さんに「奥さんは、あなたのことを誇らしげに話してました」と言うのも、過去にパン屋妻がシンデレラの前で夫のことを明確に褒めた事はなかった気がするのでシンデレラの嘘な気もします(記憶違いだったらすみません…
シンデレラが鳥さん達から王子さまの浮気を告げられた時、一瞬チラッとパン屋さんを見たので、シンデレラは浮気相手がパン屋さんの妻だと知った解釈なんですけど。
浮気を黙っているのは優しさだけど、慰めるために嘘をつくのは、発言したシンデレラ自身に”人は嘘をつく”と呪いがかかっちゃうから、少し怖いと思いました。
でも、”パン屋妻が自分のことを誇らしげに話してくれた”という嘘の物語で、きっとパン屋さんは、ほんのちょっとピカピカな気持ちで子育てを頑張れる気もするんです。
自分は正直なほうが好きなんですけど、動機と結果だけをみるなら、こういった嘘はありなのかなぁと。
なんていうか「シンデレラは、ほんと良い子だね~!」って言いたいキャラだけど、何でも押し付け過ぎちゃいけない子にみえました。
お掃除が楽しい時もあるってことは、楽しくない時もきっとある気がします。
シンデレラは大好きなお母さんとそれ程でもないお父さんから「良い子に、感じ良く」と言われて、「わたし良い子にならなきゃ!」って呪いがかかっていたから、無意識に則松亜海さん演じるシンデレラの影に、良い子じゃない部分(欲望に忠実なところ)を分離させちゃったのかなぁと。
お姉さんの髪をぶっち切ったり、素敵な男性(概念)と踊ったり、継姉の靴フィッティングを妨害したり、最後は継姉たちの「目潰し!」を受けて、時計の秒針で二人の目を潰してしまったり。
切ないのが、一幕最後シンデレラ結婚式の集合写真撮影で、シンデレラ(影)がシンデレラたちにおそるおそる近づいた時に、シンデレラはシンデレラ(影)のことを思いっきり脇に突き飛ばしてて。
突き飛ばされた影は、最初、床に臥しながら呆然とした顔でシンデレラを見ていたんですけど、だんだん怒りが湧いて来たのか、すんごい目でシンデレラを見てて
「散々、あなたの願いを叶えて来たのに、今更、わたし(悪女の自分)を捨てて、良い人のフリをして、プリンセスの座に収まるつもり・・・?」みたいな顔してた ※セリフは想像です
しかも床に倒れ込んだシンデレラ(影)は一幕最後、少しずつみんなの後ろに紛れて、「幸せーに!」の時、お客さんの視界から消えちゃうんですよ。えぇええぇ。
それもあって二幕で巨人が王国を揺らした時に、シンデレラの影も一緒に大道具を揺らしてて、良い気味!みたいな笑顔をしていました。吹っ切れているからか、すごく蠱惑的な笑顔だった。
あと魔女がLast Midnightで「嘘ついた、盗みした、道外れた」と歌ったのに、その後の後悔のセリフではジャック・赤ずきんちゃんは魔女と同じこと言ったのに、シンデレラだけは「舞踏会に行っちゃいけなかった」と魔女と違うことを言ってて。
シンデレラの罪って、自分にも嘘をついちゃう事なのかな、と何となく思いました。
王子さまを欲しくもないのに結婚しちゃったりとか。
王子さまが「それが"本当の願い?"」ってシンデレラに訊いた時の物悲しい響きに、王子さまもシンデレラが自分のこと好きじゃないって気付いていた気がしました。だから満たされなかったのかなぁと。
ママの木に祈った願いは押しつぶされちゃって。
「王子が何とかしてくださる!」ってシンデレラは言えちゃうくらい、シンデレラも王子さま本人のことが見えていなかったし。でも王子さまも「美しい人」に心惹かれた訳だから、二人はある意味で似た者同士だった気がします。
うぅ、シンデレラにとって受け入れがたい影の部分も、シンデレラ自身だから、その感情も大事にして欲しい~!
シンデレラが「やる意味あるの!?」って言っていたような他人から見え辛い努力や工夫って、本当に素敵なことだから、なるべく拾えるようにするね………(よく分からない着地
シンデレラは「巨人を殺そう!」と決めた時に、”ママはいない”ことと”良い子じゃない自分”のことも受け入れて、両親の期待=呪いを一個、手放したような気がしました。
巨人殺しの前に、柔らかい笛の音で「行きたいのよ フェスティバル」のメロディをなぞっていたから、シンデレラは王族のフェスティバル(ありものの幸せ)じゃなくて、自分のフェスティバル(選択した人生)に臨んだのかなと。
それは赤ずきんちゃんにも、ママに言われた”誇れることをしなさい”って期待を手放しても良いんだよって促したからだと思いつつ。ママの期待に応えられなくても、私がいるよ!みたいな。
それでも「1人じゃない。"たぶん"」みたいに曖昧にした所が、人間らしいなぁと思います。
あとは東京千穐楽の毬谷友子さんが凄かった。最初、シンデレラの継母は随分な人だなぁと思っていたんですけど、巨人を前にグチャグチャになっている時の嘆きの声があまりに真に迫りすぎていて、あぁ、継母さんの器でこの状況はとっくに限界なんだって、納得しそうになっちゃった。
器以上のことを求めて、器が広がる時とそうじゃない時があって、継母さんは後者だと思う。
自分の娘がプリンセスエントリーに落ちた時、シンデレラを隠すんじゃなくて差し出すあたり お金持ちに対する執着が凄かった。
シンデレラのお父さんは、出かける前に鏡を見て身だしなみを整えたり、シンデレラのお母さんや再婚相手もたぶん美人を選んでるから綺麗なものが好きなのかな。
湖月わたるさんと朝海ひかるさんの継姉は癒やしでしたね・・・目を潰されてもしぶとく逞しく生きていく感じが凄く良かった。継母・継姉たち3人のハピハピハーモニーも堪らなく心地よかったです。は~~好き。
一緒に行った子が「湖月さん背たっか!!!」と言ってて、調べたら174センチでした。気付かなかった!
合唱の時、お二人が伸びやかな声で高音を担ってらしてキュンと来ました。
ラストの歌で、シンデレラ父と継姉たちが目を合わせて笑い合っていたり、王子さま兄弟がシンデレラ(影)に求愛していて、影ちゃんもまんざらじゃない顔してて「えーん、みんな良かったね~~~!!」って、夢まぼろしだとしても泣きそうになっちゃった。
合わない靴では何処にもいけないけれど、自分の足でたくましく生きていく感じ。
まわりをみる執事
花王おさむさん演じる執事は改めて見てみると、ジャック母と巨人の反応の両方を交互にみて最終的にジャック母を殴りにいっていたのと、ラプンツェルが巨人につぶされそうになった時、「そこを踏むな!」と巨人を制していたり、自分が殴り殺したジャックのお母さんをシンデレラのお父さんと埋葬していたので、彼なりに全体を守る仕事人としての美学は本物なのかなと。
パン屋父が死んだ時に、「惨いことを・・・」って顔をして、ちゃんと手を合わせていたけど、祈りを終えるのは早くて、すぐパン屋たちのこと見てたり、ちゃんとプリンセスになったシンデレラの事も立てて、口調真似してあげてたし、脳死で忖度するけど、めっちゃ周りをみてる人。
仕事人としての美学って、突き詰めていくと人間らしさから離れちゃう時がある気がします。
すごく難しいな…何だろう。ジャック母を殺した事とか、あれは仕事だから仕方なかったって思わないと、心が壊れちゃうとも思うしなーーー他人を殺しちゃった人って、メンタル処理どうしてるんでしょうね?????
理想は向き合って、やった自分も素直に受け止めて欲しいけれど、心を壊してしんど過ぎる人生を送って欲しい訳でもなく、、、、みんなこういう矛盾した気持ちを抱えた時どうしてるの・・・(みけんしわしわ
ラストシーンでは執事さんも自分で鏡をみてヘアセットしたりパフ使ってみたり、自分を楽しませるために紙吹雪を降らせたりしているのをみて、あぁ自分のためだけに行動出来るのも素敵だね、良かったねってまた泣く。
東京千穐楽の記憶じゃないんですけど、カテコで執事役の花王さんがピースマークをした後、王子さまにバッテンマークつくって王子さま役の方が吹き出してて笑っちゃった。
背伸びをするジャック
視線があっちこっちにいくから、福士誠治さんのジャックはすぐ色んな事に興味を持つ子なんだろうなと。悪く言えば注意力散漫。
得意・不得意を早めに把握出来ないとジャックとの友だち付き合い大変そうだから、無条件に一緒にいてくれたお母さんとミルキーホワイトにそりゃ懐いちゃうよね・・・ジャックにとっては世界ぜんぶだもん。
あめくみちこさん演じるジャックのお母さんがジャックの顔にペタペタ触れるから、ジャックもミルキーホワイトにペタペタ触れて親愛を示すのかなと。
「俺もう大人だし!」って、俺って言い始めていた所を、お母さんがずっと坊や扱いしていたから、ジャックはいつまでも子供だったのかも。
オオカミのワオーンにビックリしたり、ミルキーチキンにつつかれてきゃわわでした。
ミルキーホワイトはジャックの友だちだけど、ミルキーチキンは戦利品みたいな扱いなのか、どっちなんでしょう。赤ずきんちゃんのナイフ&オオカミのずきんに対して、「僕のもみて!」って言い方だったから。ご自慢の一品。
途中、ハープとミルキーホワイトが、めっちゃバチバチしているのを見て、身内同士で反目されるのが苦手な身としてはヒヤヒヤしました。どっちかに付き合いが偏ったりすると「あっちの方が好きなの!?」みたいな詰め方をされたりしません??答えられないことを訊かないで!
お母さんのために床に落ちたお札集めを手伝ってて可愛いね(ニコニコ
10枚ずつまとめるんじゃなくて、てんでバラバラの数でまとめていたから、お母さんにはあとでバチクソに怒られるんだろうなと思いました。それでもハープにはお金を数えさせないお母さん、徹底してる感じある。
ジャックはお金が欲しいんじゃなくて、純粋にお母さんに褒められたかっただけな気がします。何をやっても母さんが怒っていた中で、金貨を持って帰ったら、物凄く褒めてくれて、それがとっても誇らしくて嬉しかったんじゃないかなぁと。
お母さんが喜んでくれたから、今度はお母さんの目を離れて、もうちょっと色んな人に認めて貰いたくなって、赤ずきんちゃんにも声掛けたり。
2幕最初にパン屋さんが来た後、ジャックは真剣にどうするか考え込んでいたので巨人から物を盗んで倒す冒険は、子どもジャックの世界を広げてくれた、とってもワクワクする体験だったんだろうなと。
「巨人を殺し方なら知ってる!」って無邪気に言っていた所から、たぶん魔女に捕まった時にジャック、魔女からばちくそに説教を受けたんでしょうね。
それでパン屋に対して後ろめたさを持って謝りはしたけど、まだちょっと心の何処かで自分は悪くないと思ってた気もしました。
バツの悪そうな顔をしながらも、魔女の「人なんてそこら中で死んでる!〜あんただけじゃない」みたいなセリフに「そうだそうだ」みたいに微かにジャックが頷いていたから。
それを経てから、お母さんの死によってジャックがはじめて大事な人を喪う痛みを知るのが・・・本当に・・・惨いことを・・(よろよろ
最初、すごく怒ってて、理解出来ないって拒絶していた所から、だんだん実感が湧いて、膝を抱えてしずかに泣きじゃくりながら「さみしいさみしい」って全身から発しているみたいで。
大元はお母さんも褒めてくれた!って、子どもなら誰でも持ってるささやかな願いが巡りに巡ってお母さんの死に繋がった気がするから、すごくショックだと思う。直前に「母さんには言わないでね!」ってあんなにキャッキャして言ってたのに。
一緒になって、かなしいねさみしいねってボロボロ泣いてた。でもちゃんと最後はジャックなりに静かに死を受け止めていた気がした。
ネガティブな感情は自分の身にも降りかからないと真の実感は湧かないから、他人の悲しみ・苦しみに対しては、より気を配って接しなさいという教訓なのかなぁと。なんか腫れ物扱う感じにもしたくないしむずかしい。
一緒に行った友だちの感想で面白かったのが「ジャックは罰を受けてない。母親は亡くなったけど、ジャック自身は何も失っていない」と言ってて、親を失うのは罰じゃないって解釈が、その子らしさある~!って爆笑していました。誰にとっても親=大事な人だとは限らないもんね!!
あと東京千穐楽までに何があったの・・・!ジャックソロの歌、めっっっっっっっちゃ良かった~!ますます自由になってた。
個人的にgiants in the skyを歌う福士さんのジャックだけで、チケットの時価総額が1万を越えちゃうんですよね・・・!(チョロい
日生劇場みたいに素敵な劇場で、オーケストラをバックに福士さんの歌が聴けるなんて初めてだから物凄く感激しました。いつか帝劇にご出演される日も来るのかな!楽しみです(ニコニコ
パフォーマーさんたちと舞台上を飛んで跳ねて、本当に空の上にいるみたい。新しい世界に来たワクワクと、言葉のひとつひとつがセリフみたいに飛び込んで来て、「やりました!」って笑った後に、背中から舞台に飛び込む時、重力からも自由になる感じ。
本当に軽やかに表情豊かに歌ってて、目が離せなかったです。
giants in the sky大好き語り(長いです)
楽曲としての隙がなくて、「こんな全部、メロディとオケに書いてある事あります???」というのが最初の印象でした。これ以上、何も足さず、何も引かないで欲しい…!
すごくバランスよく楽器を曲の中で配分してある感じがして、ゲームミュージック的な趣き。
曲単体じゃなくてFirst Midnightの流れからで1セットになっていて、「第一夜終了!」と「INTO THE WOODS」を繰り返した後に、トライアングルのチーンッと高音楽器キッカケでアクセントをつくってジャックが飛び込んで来た後、歌に入って一気に空間を拡げる低音ドーンッ!。そこから煌めくピアノたちが入って来て。
メロディでは二拍目と四拍目の音(シ♭を重ねた後、階段にして上げる)を軸にしつつ他の音で浮遊感を出して、すごく自由!って感じ。
細かくリズムを刻むメロディに対して、後ろに優雅で滑らかなストリングスを入れるから、ジャックの後ろにもう少し大らかな空が浮かび上がるイメージ。
そして、二拍目と四拍目の音に比重を置いていた所から、サビ前のメロディでは一旦、1拍目と3拍目のファをフックに使って、少し前のめりな印象にした後に、流れるようなサビのメロディに入る緩急のつけ方がもう~~~~~!!ソンドハイムさん~~~~~!!!
そしてソンドハイムさんの凄い所は一番を全て伏線につかって、二番以降をかまして来るところだと思うんですよ。
巨人の国で良い感じだったところから一転、だんだんピンチに陥るのが、メロディとオケの両方に書いてあって。
鬼の形相!くらいで伴奏のファをファ#?にずらして「あれ?」って不穏さを出した後、本格的にちょっと不安を煽る音になっていく。
ズルいのが、基本二番のオケは、むずがゆい音にしていたのにサビ前の八分音符でまた一旦、据わりの良い音にして体勢を整えるんですよ。跳ねる前に重心を整えるみたいに。
あのくだりはゲームミュージックが好きな人、みんな好きだから!!!(主語が大きい
そこからさらにサビの転調が1番よりさらに一つ高いのが!やだずるい!!好き!!!それによって視界が開けて地上がパァツと広がるカタルシスがより出て。
そこでもうお腹いっぱいなのに、オケとトライアングルで閃きのような音が入ることで、ジャックの気づきだったり、「スリルがないね~」のメロディを一番と変えることで、ちょっと安心して浮ついたジャックの心が現れている感じがするというか。
そしてまた導入と同じドーンッ(ミ、シ、ファ#、レ♭)の後を、ジャックが高らかに歌い上げることで、ジャックの大冒険がひとつ完成するんですよ~~~~!!!ソンドハイムさん何ひとつ無駄がない~~~~~~!!!!
物語とキャラ、シーンの意味を踏まえて聴くと、ちゃんと全部が洗練されて美しく機能しているイメージなので、作品にすごく誠実な方なんだなと感じました。
少しさらっただけでも、これだけ出て来るので音楽に詳しい方が聴いたら、もっと色んな仕掛けがみえるんだと思います。
ここまで好きに書いておいて、お恥ずかしながらファゴットの音色がどれかすら分かっておりません・・・!オーケストラには憧れがあるので、いつか仲良くなってみたいです!(デジタル音楽育ちより
だから、この曲の演出ってソンドハイムさんがほぼ全部書いてくれている所(※個人的印象)を、どう描くかすごく演出家さんの色が出そうというか。
余計なことをしなくても楽譜どおりキチンと奏でれば、目線と表情、ちょっとした動きで成立するくらい、この曲は具体性と強度が高い気がするんです。
そのお膳立てに乗っかっちゃった方がきっと綺麗だと思うんですけど、”子どもが大人(先人)の振る舞いを聞いた上で、自分の進む道を選んで行動する”って作品のもうちょい大きい所に乗っかるなら、あえて真っ向から壊してみるのも、この森らしい気がします。めちゃくちゃ抽象的な妄想解釈を話しているな。
いやもうだから、海外のすごい作曲家さんがこんな緻密につくった素晴らしい歌を!!!大好きな福士さんがジャックとして!!!こんなに素敵に表現してくれて!!!すごく嬉しかったです!!!
これ本当に配信ないの???やだ~この福士ジャック、全世界の人に観て欲しい~~~!!
脱線するんですけど、自分は生まれた時からネットがあって、リアルとネットの両方を行き来する(?)文化だから、演劇のガチガチライセンスに毎回ビックリします。
何でもシェアすれば良いというものでもないけど、今ここにいない人たちとも時間や場所を越えて何かを共有する事への意識が、肌感覚でもうまったく違うんだろうな(育った環境が違うので
他にも合唱の中にメロディを支える福士さんの歌声を見つけて嬉しくなったりとか、細かい所でたくさん笑わせて貰った事とか!もうほんとに!書き始めたら!書き終わらないくらい!
ジャックのお母さんは華やかな色の手入れの行き届いた2段?3段フリルのワンピースを着ていたから、息子のこと大事に思いつつ、「この子にはツギハギのボロ着せときゃ良いの!」みたいな割り切りは、ちょっとあった気がします。
いやそれくらい割り切らないと、一人でジャックを育てるのまいっちゃいそう〜!アホの子可愛いは外から見た話で、一緒に暮らしてお世話するとなると絶対たいへん(まがお
自分も周りに算数障害の知り合いとかいるから、軽率にアホの子とも言い切れない・・・本人に出来ないことやるのもやらせるのもお互い辛いよね。
ミルキーホワイトも動きがほんと表情豊かで、謎の男の登場でガクガクブルブル震えていたり、ジャックと再会出来た時にウッキウキで喜んでたり、ハープとバチバチしてたり、他にもたっくさん雄弁で可愛かったです。最初にばったり死ぬときめっちゃ笑っちゃった。
ハープは凄くセクシーでしたね・・・艶っぽい音楽を奏でてくれそう。ミルキーホワイト(牝)とバチバチするって事は持ち主に懐くのかな。
パフォーマーさん全体的にすごく艶めかしい動きで、肉体美!な感じの生命としての躍動感があって、とても素晴らしかったです。
特異さと身近さが同居するお隣の魔女
最初、実は”だい”もんさんは渡辺大知さんか渡辺大輔さんの事かと思って、めちゃくちゃ誤読をしていました。全然違った・・・!
望海風斗さんの魔女は、お隣に住んでそうな魔女そのものだった。すごかった。全てを味方につけるしなやかな存在…すごく色んなものが凄まじいバランスで同居しているイメージ。
宝塚の方ってどんな舞台でも、あ、元宝塚の方だ!って分かる宝塚バランス(?)みたいなのがあって、それが宝塚を経た方の素晴らしさだと思っていたのですが、望海さんはそれをほどいた上で、さらに新しいものを紡ぎ出す人というか。そこに至るまでにどれ程の試行錯誤があったんだろう。
圧倒されちゃって、受け取る側のメーターがバグって機能してなかったんですけど、それでも何とか見つめると初日から、さらに深みを増されていてすごかった。
人間の多面性を見せる時、別人みたいにするんじゃなくて、1人の人間として同じ顔をしたまま多様な表情を魅せるのってとても難しい事だと思うんです。そこを圧倒的魔女でありきってた。すごかった。
お隣のパン屋さんが「売り切れでーす!」「あいつきらい」ってツルッと言える感覚って凄く大事だと思うんですよ。
なんか明らかおかしい存在なんだけど、身近にいてもおかしくない感じ。すごかった。
「Stay with me」「Lament」「Finale: Children Will Listen」に出てくる(ミファーミラーミソー~)の共通メロディが場面によって、まったく違う響きになるのがすごくて。とても個人的な感情を吐露したかとも思えば、教訓的(?)に作品をまとめあげてもいて。
なんかその全部を担い切れるところが、望海さんの魔女のすごさだなぁと思います。
「学べるのは愛するものを失う時」の魔女の悔恨が、あまりに大きすぎてボロボロ泣いてた。あんなに愛していたはずなのに。
細かい所でいうと「Your Fault」で皆が大げんかしている時に、じっとパン屋さんの赤ちゃんを見つめてぎゅっと抱きしめる所に、ラプンツェルに対する深い後悔があった気がします。
魔女はテキパキと状況を打開するために行動出来るけど母子関係がポンコツなのって、元はお母さまの言いつけ(豆を盗まれてはいけない)を守れなくて、お母さまから罰を受けたからで。
娘(ラプンツェル)がそうならないように言いつけを守る事に固執するのであって、呪いの再生産なんだろうなぁと。
「美しくないから私は愛されない」という呪いを魔女からは感じたんですけど、外からみると、そこは魔女自身の心映えによる行動の問題だから、呪いを受け止めつつ、行動や投げかける言葉を変えないとあの母子が共に在る事は出来ないんだろうなと。そこに父親(他者)が不在なの、リアリティがあってかなしい。
「孤独になれ!」って呪詛のように吐いて帰ったのは、他ならぬ魔女が孤独だから自嘲もあったのかなぁと。
「Last Midnight」で、豆(問題の種)をばら撒いたまま、人間に拾わせて去っていったので「映画なら第二弾(もう一悶着)があるやつ!!!」と感じました(続編脳
箱入りラプンツェルと王子さま
鈴木玲奈さんのオペラ仕込みの美しい歌声と清楚さで、絶妙な箱入り娘感が最高でした!!
魔女から「私のラプンツェル」と言われ続けて、「私はお母さんのものじゃない!」ってなって巣立っていったヒヨコみたい。「私の◯◯」「僕の◯◯」という表現は、他にもたくさん出て来た気がする。
ふんわりマシュマロが、酒浸しのマシュマロになっちゃった感じ。そのままだとアレだから誰か温めてあげて!
初めて会ったのが渡辺大輔さんの格好良い(?)王子さまで、初手から好感度MAXだったら、だんだん一緒に生活して幻滅していくのは悲しかっただろうなぁと。少なくとも王子も魔女から身体を張って守ってくれようとはしていたし。
ラプンツェルは魔女の娘だから、涙に盲目を直す魔法が宿るのかなぁと。不思議な力が使えて、可愛くてみんなとちょっとずつ仲良く出来る未来もあったはず。シンデレラの結婚式では、あんなにニコニコ幸せそうだったのに。
王子さまは既に髪ボサボサで、他の女の子に目移りしていたので、不幸への足音は聞こえていたような気もします。
ヒステリーのラプンツェルから逃げちゃう王子さまを責めるのは簡単なんですけど、自分も昔、酒浸りの子が引っ越して来た時に2~3ヶ月でギブアップしちゃったので、アルコール依存症の人に当たり散らされながら生活するの大変だよね・・・って謎の目線でみていました。アレは専門家の支援がないと自助努力では無理………。
いやでもそれも元を正せば王子さまが浮気性だったせいと言われたら無限ループ・・・。アルコールに逃げた原因がやっぱりあるから切ない。
最初、Agonyで王子弟さんのところに録音班の人が出て来たのを唐突に感じたんですけど、もっかい観たらラプンツェルの塔から王子さまが出て行くのを目撃した人がいて、タレコミ→王子を盗聴→魔女に報告って流れだったんですね!把握!何処にでも見てる人はいるぞ!って事なのかな。
一緒に行った子にどのシーンが好き?って聴いた時に、「王子二人のシーン。あの曲のスローなテンポで一切間延びさせずに軽快な兄弟の会話と関係を魅せてくれて、すごく面白かった。」と言ってて、観てるとこ全然違う~!!wと楽しくなりました。
最後、魔女に駆け寄って手を取ったラプンツェルが、魔女にコーンの髪の毛を梳いて貰っているのに、ありし日の二人を見出してまた泣く。
散々だった巨人の妻
巨人が!麻美れいさんの声で喋ったら!もう!圧倒的存在感!
お母さんに怒られてジャックは豆の木を登って逃げて来たのかな。「匿ってくださ~い!」みたいに。
ご飯抜きのお腹を空かせた若者にバケツでご飯を恵んであげたら、旦那さんに見つかって怒られて、助けた若者に泥棒された挙げ句に、家族も自分も殺されるという文字にすると、とんだ踏んだり蹴ったりですね!?
夫を殺された悲痛な声や、ジャックの居場所を教えてくれた女の子たちへの優しい声が相まって切ない。差別の強い国だと受け取りが方が変わるのかなと感じました。
海外にいる友だちが「アジア人は夜、街を一人で出歩くなって注意喚起出てるんだよね~」みたいなことをナチュラルに書いてて、容姿や何かで線引きをする人たちがまだいるんだろうなと。
もちろん若者を探す過程でラプンツェルも赤ずきんちゃんの家族、流れでパン屋さんの妻や色んな人も巻き込んでいる訳だから、巨人の妻自身も反撃を食らう理由は十分にあるんですけど。
最初、巨人への「ジャックにはちゃんと償わせるわ!」というセリフを聞いた時、ジャックたちは本当に償いについて考えてくれるかな?とよぎったのですが、東京千穐楽の全体重の乗った言葉に、あぁ、この子たちは弔って悼むくらいの事はしてくれそう、と感じました。
等身大のパン屋一家
パン屋のご夫婦ってすごく普通の人として描かれているし、演者のお二人が等身大で演じられていた分、キャラの好感度がそのまま演者さんの印象と混ざってないかヒヤヒヤしました。
なんだろう。クセのある友だちを他の人に紹介する時って、どう伝えるか気を遣うじゃないですか。あいつ、あんなだけどこういう理由があってね・・・みたいな。
映画版だと大きなところで
・パン屋は父がいなかったから親になるのが不安
→自分が親の愛を知らないから、子どもから逃げようとしてしまう
・パン屋の妻は子どもに甘過ぎるくらい優しい子ども好き
→だからたぶん切実に子どもが欲しくて、手段を選ばずに行動してしまう(ここはニワトリ卵かも
みたいな描写を強調してくれてて、一般人代表2人の好感度ダウンを物語の中で和らげてあったんです。
だからチャームの上方修正がないミュージカル版のパン屋夫婦って、台本をそのまま全力でなぞって演じると少し嫌われ易くもあるのかなぁと。
それはお二人の演技が素晴らしいからだと思うし、過度に愛されキャラに仕立て上げない事こそ、ミュージカル版においては大事なポイントだったとも思うんですけど。
ミュージカル版だと血を分けた子どもを欲しがっていたのは旦那さんのほうなのに、果ては「子どもだの、巨人だの」って巨人=災厄と並列にしていたし。
もちろん、巨人が家を壊した後に真っ先に子どものことを気にしてたことや、王族に巨人のことを訴えにいった時はパパしてた!!!
東京千穐楽の「ふたり一緒に - It Takes Two」めっっっっちゃ良かったです~!!サビのハーモニーが息ピッタリになっていって、お茶目夫婦なのがすごく可愛かった。
渡辺さんも瀧内さんも自分の音色をすごく明確に持っているように聞こえたから、デュエットするの大変だと思うんです。そのユニークな音色こそご自身のチャームだと思うから。
でも音色の違う二人が息を合わせて、お互いの声を聴いて、ひとつの曲をつくりあげようとする姿が、ほんとに夫婦の共同作業みたいで、すごく愛おしかった。
パン屋のおかみさん、いきなり現れた魔女が呪いを解く材料を並べだしても、咄嗟にメモを取るし、もしものためにナイフをハンカチに包んで夫のカバンに忍ばせておくしっかり者。あなたの問題は、夫婦の問題!って一緒に考えて行動を共にしてくれる面倒見の良い方でした。姉さん女房っぽさも。
お子さんを産んで内面の変化があったのか、二幕から明らかに子ども(赤ずきんちゃん)への接し方が変わったし、ちょっと重心が低くなったイメージ。
赤ずきんちゃんに「(ジャック母の死体を)見ちゃダメ!!」って叫ぶ時、ものすごく体重がのってたし、パン屋さんを叱り飛ばす時の音が変わってた。
オオカミの腹を切り裂いた後、完全にビビってイっちゃってるパン屋さんが可愛かったです。ずきん欲しさだったけど、裂いた後のことは考えてなかった気がする。
完全に想像と妄想だけど、金貨5枚で一年分の仕入れができるぞ~!おうちを改装して、とか具体的に夢を馳せていたので、お店の経営をしてたのってパン屋さんなのかなぁと。
だから、奥さんよりお金に対してこだわりがあって、二幕でシンデレラの継母から死んだジャック母のネックレスを差し出された時に、受け取ろうとしちゃったのかなと。家も壊れて、妻とお子さんのこれからのために先立つものが欲しかったから。
それをみたパン屋妻が(信じられない!)って顔して、ネックレスをシンデレラ継母に突き返して、夫のあまりの情けなさに打ちひしがれていた。うぅ~動機たぶん家族のためだろうから辛い~!!!
シンデレラの継母から、握手を求められても絶対に手を伸ばさなかったのはある意味でパン屋さんなりの矜持なのかなぁと。
「プリンセスに抱かれているほうが幸せだ!」ってパン屋さんが言った時は、それ、シンデレラのこと肩書きで見て、ご本人のこと全然みてなくてお子さん見捨てるのと合わせて二重で失礼なことですからね???????“プリンセスであろうとするシンデレラ”と”プリンセス”は、全然違いますからね?????って勝手に怒ってた(※外野です
映画版のパン屋さんは「お母さんのことで君に話がある。」って、柔らかく前置きしながらジャックへ母の死を告げていたのにミュージカル版のパン屋さんは「棒で殴られて殺された。」って右ストレートな死亡告知をしていて、グリーフケアだいじ!!!!!ってなってました。
こうしてみるとパン屋さん、ビックリするくらい台本にポンコツっぷりばっかり書かれててホント可哀想・・・。
パン屋父、「逃げれば逃げるほど追いかけてくる」のところ、謎の男・福井さんのお芝居が真に迫り過ぎて、あまりに心がしんどくてボロボロに泣いてしまう……。なんかもう解放してあげて欲しい。
それなのに、おどけて笑っている所をみるとそれはそれで腹立つわとも思ったので人間の心ってままならないですね!それはそれ、これはこれ!!
パン屋パパの償いも、自己満足なとこもある気がして「母さんのため。報いがあるなんて知らなかった」ってこの期に及んで言えちゃうのはそういう事な気もする。
やらかした後ほど、人間って「自分は悪くない」って言葉を尽くしたくなっちゃうんだろうなと。自分にも責任がある失敗、大体饒舌に言い訳したくなっちゃう(自覚がある
映画版を観た時に「ふたり一緒に - It Takes Two」の「森のせいなのか、あなた(パン屋)がいつも以上に素敵にみえる」的な歌詞が強調されていて、「森のせい」が「森のひと時 - Moments in the Woods」と対比になっている事に気付きました。森の魔力がそうさせた、みたいな。
ミュージカル版だと、「森のせいなんて体の良い言い訳では!!!???」ってツッコミたくなる感じだったんですけど、映画版だと本当に”森の魔性”?森の不思議な磁場がある感じに演出してあって、そこの判断は受け手に委ねたのかなぁと。森のせいか、本人の人間性か。
パン屋妻ソロの時は、外にある理想の音じゃなくて、今の瀧内さんのパン屋妻さんの内から出る音を鳴らして!ってなんだか手に汗握る気持ちだった。その音もお綺麗ですから!大丈夫!!!
二幕最後、「話してあげて」の時はあんなに優しい声で語り掛けていたのに、去り際に振り返ってもの凄く名残惜しそうな顔をパン屋さんの妻がしていて、そうだよね。出来るなら、ずっっっと二人の側にいてあげたかったよねって、また泣く。
先代の負債を払うパン屋さんの描写は、実際そういったものを抱えた方がみると、また印象が変わるのかなと思いました。後は1987年代のアメリカでいうと親子感染のエイズとか?。親から引き継ぐ貧困もそうだし。抽象的に色々なものを被せられる仕掛けになっているんだろうなと。
逆に最後のシーンでパン屋の奥さまがパンとリンゴと豆が入ったカゴをジャックに託すのは、先代の贈り物(恵み)、みたいなイメージかなぁと。パン屋父が与えたような不意の幸運にみえるもの。負債もあるが恵みもある。
・・・にも関わらず、奥さまが一幕でパン屋さんに持って来てくれたマフラーと託されたパンを使って殴り合ってる彼らに、そういうとこやぞって思いつつ、与られたものは手にした瞬間から、どう使うかは本人たちの自由!みたいな清々しさも感じました。
パン屋の奥さまが最後、「願う!」に併せて、手を胸の前で結んで祈りのポーズをしてた所から、握った手に額をつけて深く祈るのをみて引くほど泣く。
カーテンコールで客席に向かって、誰よりも深々とお辞儀をする瀧内さんは、とても美しかった。
360度みて楽しい衣装
背中から見た時にも映える(?)工夫が行き届いていて、「これが舞台衣装・・・!」となりました。若返った魔女のお尻のクジャクとか、ジャックの柄の継ぎ接ぎが背中にあったりとか。
シンデレラのキンキラドレスは、走った時に一番チャーミングに見えるようにスカートはヒラヒラ布を重ねて、お尻をまわりを持ち上げてあって可愛かったです。
シンデレラのカチューシャが三夜とも違うの何でだろうと思ったんですけど、1幕最後にティアラになったから、シンデレラの何かの変化を表しているのかな。2幕最初はカツラを被ってたし。お姉さんの髪を世話していたから、頭のオシャレには何か思い入れがあるのかも。
パン屋の奥さまのスカートも市井の人のストンとしたシルエットだけど、少し布を多めにつかってあって、くるって回った時に可愛いかったです。
ジャックがお金持ちになった時に着ていたジャケットの背に、なんで蜂の刺繍があるんだろう?と思っていたのですが、蜂=GUCCIのモチーフらしくて高価な服を着てるって示唆だったんですね!
舞台一本を通してみると、自分の捉える時の得意・不得意がモロに記憶量の差になって出て来るのが面白いなと思います。
前回、絵を描こうとしたら、ジャックのズボンや魔女の服の色をぜんぜん思い出せなくて爆笑したので、もうちょっと素敵な色とか形も覚えられるようになりたいです…。
初見の時はとっとこシンデレラのスカートのひらひらが可愛いなとか、赤ずきんに至っては衣装はもちろん、ピンクのドーナッツにカラースプレーが散らしてあって可愛いなとか、ジャックもフードと靴に赤のワンポイントが可愛いなって、ピンポイントで覚えていました。可愛いへの関心、執着に近いものがある。
物語る言葉の呪いと魔法
語る人の願望が、思いがけず聴く人を呪うから。物語を語るなら気を付けて
自分がめっちゃ願望をのせて熱く語ってしまうタイプなので、アイタタタタと耳に残るフレーズでした・・・!
周りの人に声を掛ける時もそうだし、感想を書く時もそうなんですけど、「◯◯だから素敵!」みたいな言葉だって時にはピカピカの魔法にもなるけど、誰かにとって「◯◯じゃないと素敵じゃない」って聞こえたら、すぐ呪いに転じちゃう気がしていて。
コロナ禍もあって色んな人の話を聴いてたら最近は、なんかもう一人ひとりのまなざしで、それぞれが懸命に何かを選び、生きていくこと自体が既に尊くない!!??って気持ちに(三周くらいした
もちろん何か目的がある時は、何かの基準や軸がそれぞれの中に必要だし、試行錯誤をして突き詰めた先の美しさもやっぱりあると思います。そのために日々を何かに費やす訳だし。
ただ人生の中で色んなジャッジや取捨選択をするからこそ、今在る何かを肯定して、リスペクトする姿勢も一緒に持っておきたいというか。
その根底があった上で、色んな言葉を積み上げたいなと思います。
量とバランスもね!もうちょっと加減したいね!
森とは誰もが行くもの
作品やキャラのことをつらつら書いたんですけど、やっぱり色んな人間の声を合わせた時に感じる問答無用のエネルギーがミュージカルにはある気がします。
「「怖くて、森の暗さに迷って」」
の硬質で透明なざわめきがどんどんクレッシェンドで膨らんで「「INTO THE WOODS!」」と放たれる時、無条件にすごく感激するというか。
原詞では割と教訓めいた言葉だった歌詞を、力強いオケと共に
「森では手探りしかない!それでも行けば何かある!
くさるな!気を張れ!~がんばれ!さぁ行け!行くんだ!」
[2022/02/25追記]
J-LODlive用のPVが公開されたのですが歌詞ちがいました!!!(記憶力~~~~~~!!!!失礼しました!!!!!
誤:がんばれ!→正:かんがえ!
誤:さぁ行け!→正:伝えて!
[追記おわり!]
~みたいな泥臭い言葉でまとめあげているの、それが人生~~~~~!って感じの祝福と2022年日本版「INTO THE WOODS」の総括感があって好きでした!
明日の千穐楽も素敵な時間になりますように!
めちゃくちゃ長いのに読んで頂いて、有り難うございました・・・!!!!
ここまでお付き合い頂いた勢いのオススメで(被せていくスタイル)、ジャック役の福士誠治さんがアーティストとしてライブDVDを2/17(木)に発売されるのでこちらもぜひ!
パフォーマンスはもちろん、ライブの時に福士さんがMCで「僕たちを、音楽を、エンタメを応援して下さい」みたいな事をおっしゃっていて。
自分たちだけじゃなくてエンタメ全体を考えている姿勢とかも込みで素敵な表現者さんだな~!と感じたのと、その言葉どおり、とっても広いまなざしでモノづくりに取り組まれているのが、いつも本当に格好良くて!
INTO THE WOODSで気になった方は、ライブ映像やサブスクの曲だけでも聴いてみて下さい~!
『シアターロック・ザ・ミッション「0627」』ライブDVD💿ティザームービー公開✨https://t.co/GcO4n2rhaj
— MISSION 福士誠治×濱田貴司 (@mis_rocks) February 7, 2022
昨年の6月27日に新宿ReNYで開催された約1年半振りの有観客ライブDVDを、
結成3周年を迎える2022年2月17日(木)にリリース‼️
詳細はこちらhttps://t.co/jcatTB7RGx#MISSION公式.#MISSION0627 pic.twitter.com/NRmBJv2ARQ
[2022/02/25追記]
↑記事を書いた4日後に福士さんたちのMISSIONから22年6月を以ての活動休止が発表されるという~~~!
端からどうみえているか分からないのですが、個人的には数トピック前に書いた
コロナ禍もあって色んな人の話を聴いてたら、なんかもう一人ひとりのまなざしで、それぞれが懸命に何かを選び、生きていくこと自体が既に尊~
今在る何かを肯定して、リスペクトする姿勢も一緒に持っておきたい
あたりの文が時限式の前フリみたいに機能しながら、全てを腕力で解決していて爆笑しました。そんな事ある?????
今はそうなんだな!って気持ちと、活動休止の告知文に「また活動再開し~」と書いてあるので、今後のお知らせをワクワクしながら待ちたいと思います。
春以降も新曲やライブツアーが予定されているので、ここ(※この感想1万7600文字あります)までお付き合い頂いたよしみで!ぜひ!チェックしてみてください!笑
追記おわり。