ミュージカル『INTO THE WOODS』感想
はじめてプレビュー公演なるものを観ました。えー、たのしい!
って最初、書いたんですけど、カラメルは、カラメルくらい粘度の高いブルーベリーソースの方がイメージに近かったかも。
塩味、酸味、甘味みたいに色んな味や食感があって、さぁ、ここからどうなるの!?ってドキドキしました。
そのまま突き詰めても素敵だし、冷やして固めても面白いし、もっと熱々にしても楽しそう!
物語のはじまり
出だしの指揮者さんのジャン!のひと振りが、絶対この一発でお客さまを物語に引き込むぞ!!!みたいな気合いに感じて、キュンとしました!
タッタッタッタッて足音みたいなリズムを刻んでて、かわいい!
寝付きの良いパン屋とジャック(本当に眠っているかは分からない)。目を閉じないシンデレラ。赤ずきんは夜更かしでいないのかな?
色んな人の声を聴くのが大好きなので、たくさんの音色が一斉に鳴ると、劇場に来た!とワクワクします。
伸びやかに歌い上げる瞬間も大好きなのですが、やっぱり全員でウィスパー気味に歌う時の響きは、コンサートでもなく、ライブでもなく、ミュージカルじゃないと味わえないので、ささやきの洪水を浴びると幸せなきもちに。
魔女とパン屋夫婦とナレーター
望海風斗さんの魔女は作品全体を柱のように貫く、不思議な存在でした。
当たり前にそこにいて(お隣さん)、人ならざる者の動きをしながら、1番泥臭く人間らしい顔をして嵐のように去っていった・・・。ファンタジーとリアルの両方を自在に行き来する存在。
一切の違和感なく”魔女”としてあの場に在り切って、舞台のテンポ感を華麗に創り切っていった。観客の皆さんが虜になるのわかる・・・!
あらゆるものを味方につける存在自体がしなやかな方だった。
魔女が若返った後、待ってました!と起こる拍手に、今まで望海さんと歩んで来られたファンの方々の惜しみない愛を感じてほっこりしました。
ちょっと客席に視線をずらすと、うっとりと舞台を見つめる皆さんの表情がとっても素敵で、ここに在る幸福を分けて貰えた気持ちに。パッと華やいだ顔をみれると嬉しい。
オーケストラでラップ(?)!なのかな。リズムを刻む言葉がすごく心地よくて大好きでした。一幕は笑いもたくさん攫って行って、「ず・き・ん!それず・き・ん!」後の雄叫びがすごく良かった。
母の愛は、すごく泥臭くて人間だった。みっともなくて、不器用で、たまらなく情がたっぷり。
でも最後の夜を越えたら、とても穏やかに舞台を全体を包む空気のようでした。
お母さんたちの感想が気になります。
パン屋さん。仕込みが大変な菓子パンやドーナッツもお店に置いていたので働き者なお二人なんだと思います。
パン屋役の渡辺大知さんは、居住まいと声の尾っぽ、嘆きの響きがすごく独特で、なんだか印象的なカラーのインクを落としたような、ひそやかに、それでいて強烈に人を惹き付ける方にみえました。渡辺さんの声の持つ侘しさが、とても切なくて愛おしい。
パン屋さんは親世代の呪いを引き継いで振り回されて、一番大変そう・・・!
「もうたくさんだ!」いやほんとに散々、苦労した挙げ句、お子さんと取り残されちゃうって、踏んだり蹴ったりの詰みゲー風人生にビックリだね・・・。
僕一人で行くよ!って言っていたけど、後から変な見栄を持たずに「助けていたのは僕じゃなくて奥さんだ!」みたいに言い切れるのはすごく格好良いと思います。
「もう嫌だ - No More」の“子ども”と”妻”との”妻”の柔らかさに、あぁ、本当に奥さまのこと愛してたんだね・・って気持ちになりました。
パン屋妻役の瀧内公美さんは、すごく明確に自分の音色を持っているイメージ。薪の奥に灯る赤々とした優しい種火みたい。霧みたいにウェットな繊細さもあるのに、何かのキッカケで森をまるごと飲み込んでしまいそうなパワーも感じました。
パン屋の奥さんは現実感のある生々しい手触りこそがチャームの、すごく等身大の女性にみえて。キラキラとしたものに憧れつつ、地に足つけてちゃっかりしっかりもしている。
不妊に悩んだことのある女性がみたら、また印象が変わるのかな。どっしりしているようにも見えるし、とても可憐にもみえる。
お母さんになった後、赤ずきんちゃんをばぁばの家まで送ろうとしたり、残忍な現場を見せないようにしたり、シンデレラの継母に亡くなったジャックのお母さんのネックレスを差し出された時、明確に拒んでいたから、そういった良心はある人なのかなと。
「赤ちゃんは、お母さんの方が好きみたい!」って分かりやすく地雷を踏んだ旦那さんに対して、分かりやすくロマンチックな仮面を被った王子さまにフラッといっちゃう。キスされ・・・の甘さ。
人間誰しも過ち?はあるとはいえ、その後も豪快なスッポン扱い。
福井貴一さんのナレーター・謎の男。人間の”業”を描く中で、唯一、福音のような、運命のいたずらのような、ふいの”運”を象徴する存在に最初はみえました。
「むかしむかし」のたった6文字でオーケストラと一緒にお客さんを森の世界に引きずり込んでいった・・・!
物語が進むにつれ彼自身が何かの埋め合わせで行動をしている事が分かって、まぐれのような運や天の配剤にも、まわり巡って何か因果がある、みたいな象徴なのかなぁ。
魔女が呪いの話をする時に、何とも言えない顔をしていた。
「客観的にみる人も必要だ!」って安全地帯にいる人を、物語の当事者に引きずり込みたい気持ちはすごく分かる。
劇中の決める事に慣れていない人種って言い方は本当にヘイトがあって苦手なんですけど、ちょっと自分も流されそうになる瞬間はあって。
みんなが言いたい放題言って、しっちゃかめっちゃかになると、ネガポジの感情も受け止めた上で、落とし所を見つけるのめっちゃ大変だから、決める事に慣れている人とだけで一緒に決めたいなって、線引きをしたくなる誘惑は確かにある気がする。でもそれは一回やると際限がなくなっちゃう気がする(すさまじい脱線
ナレーターさんの「付いて来てますか?」に、友だちが「(それな!!!!!)」って深く頷いているのをみて、思わず吹き出してしまった。
息子さんにはお前も俺と同じで逃げるのか、と言いつつ本心では逃げて欲しくなかった気もする。
赤ずきんたちの物語
わたしは大人のひとが演じる思春期ガールが大好きです。なぜなら、等身大の女の子よりも、ナイフのようなキレ味が際立つからです。はぁあ、可愛い!翻弄されて本望です!!
赤ずきんを演じる羽野晶紀さんは、(ジェンダー表現が議論される現代においてこの言葉が適切かは分からないのですが)抜群の瑞々しい少女性をお持ちで、舞台「髑髏城の七人」で太夫を演じていらっしゃる時は「いやそりゃ全人類、太夫のこと好きになっちゃうよね?????」って説得力でした(主語が大きい
「森なんて~木のあっつまりー♪」と言い切る何も知らないが故の無敵さと、道なき道を平気で進む傍若無人さ。
お店屋さん相手にもへーきで「カゴ貸して~♡」とか言えちゃう。でも貸しちゃう。だって可愛いんだもん!(メロメロ
色恋は別として、違う界隈の人に教えて貰える新しい世界にワクワクする気持ちは分かる〜!
新しい世界を知る内にどんどん艶っぽくなって、ぴゃ!と顔の前に広げた手の平の隙間から覗き込みたくなるくらい魅力的でした。狼さんと・・・一度はそういう関係に持ち込まれそうになったってことですか!?
狼には、多少、酷いことしたって良いよね!みたいに、ナイフを鋭利に尖らせていく女の子はとっても蠱惑的で綺麗だと思うし、その切っ先の無邪気さにドキドキします。
私が男の子だったらしょっちゅうズタズタにされている自信がある(なんの
「狼の親に言ってみな!」って魔女に言われているって事は、トラウマを与えるようなことをしていたのかな。
元気が良くて潔よくて、喜怒哀楽がはっきりしていて、ちっちゃい正義感と優しい心もある赤ずきん。
狼は自分の周りにあんまりあぁいう人(?)がいなかったから、見たまま以上のどんな人かは想像が広がりづらかったです(完全に自分の問題)。ワオーンの遠吠えが素敵でした。
鞠谷さん演じるおばあちゃんもとってもキュートで、脈々と受け継がれる赤ずきん家の系譜を感じました。パジャマにパステルカラーのお花がついてて可愛い。新しいずきんのリクエストに革ジャン縫って返すロックさも。
間に挟まれた赤ずきんちゃんのお母さんは「道を外れちゃダメよ!」って言うしっかり者になるの想像できる。
革ジャンとひらりスカートがあまりに可愛くて、ミーハー心で人生初の革ジャントライしようと思ったら値段みてビックリしちゃった・・・!革ジャンを着ている人がなんであんなに誇らしげなのかの一端もみた気もしました。がんばった勲章でもあるのね。
ジャックたちの物語
表現者の福士さんが大好きなので、ジャックパートが長くなっちゃっても良いですか!? \いいよ!/
多くの方にとって望海風斗さんが特別であるように、私にとってもジャック役の福士誠治さんはいつも新鮮な驚きをくれる大好きな表現者さんです。
俳優としてのご活躍はもちろんですが作曲家・濱田貴司さんとMISSIONという音楽ユニットを組んで、ボーカルや作詞にも挑戦されているので観劇の合間にぜひ!
ジャックは、好奇心旺盛なのか視線や身体があっちこっちに行く危なかっしい若者で、意外に頭の回転は早そうだなぁと。
最初、可愛いアホの子~~~!!と思ったんですけど、「森が黙っているみたい」とちゃんと比喩表現もつかえていたし、謎の男に対して「なんで僕の名前知ってるの?」って疑問を抱いて、すぐ切り返していたので、精神年齢が低めでインプットとアウトプットの配線がちょっとズレてる人に見えました(何を持って正しい配線とは言えないけど
ズレてる、というよりは本能と行動が直結している感じかなぁ。その判断に理性の変換は挟まないの!?ってなる。多動のお子さんみたい。
ミルキーホワイトなでなでしてるの可愛い。動物に触れる時、自分はおっかなびっくりしちゃうんですけど、動物と仲良しの子は生き物を愛していることが、こっちにも伝わって来るくらい距離が近くて「生き物と共に在るってこういう事なのか・・・」って。その時の感覚に近い。
豆を5粒渡される時の音が「ミ、ド、レ、シ、ファ(音違うかも)」で、ジャックソロのメロディの下地にもなっているのと、ラプンツェルの歌や「Your Fault」もこのフレーズを踏襲してそうなので、何かを象徴しているのかなぁと。(他パートにもありそう
第一夜終了の途中、松明?蝋燭を持たずに列に飛び込んで来る前の、ジャックのスッとした立ち姿がすごく印象的で。
福士さんのホスピタリティに溢れたところも大好きなんですけど、削ぎ落として静謐な空気をまとった姿をみると、あぁ、とっても綺麗な方だなって毎回ハッとする。
妄想全開なんですけど、ジャックのソロ「巨人が空に - Giants In the Sky」って楽譜どおりに奏でれば、たとえ平場でも拡がる空や延びたツル、拓けた地上の景色が音だけでも立ち上がるようにすごく緻密に設計されていて、とても”舞台”上演を前提とした音楽に感じました。
舞台の横長フレームの中で豆の木の上下を表現するのは難しいと分かった上での、ソンドハイムさんのミュージカル作曲家としての誠実さを感じたというか。
どんな演出(セット)になるかは各国の演出家さんに委ねられているけど、究極、目線の動きと表情だけでもシーンが成立するように歌がつくられている気がします。
だから今回、福士さんのジャックにつけられた演出は、ちょっと変化球のストレートというか、曲を大事にした上で、さらに違う角度からのクリエイションなのかなぁと。
ちょっとどう表現して良いか分からないのですが、お膳立てから一度、離れてみる勇気みたいな。型としては変化球だけど、本質的にはこれも直球みたいな…これなんのはなし…。
まっさらな状態でみたくて予習せずにプレビュー公演を観たんですけど
そこ、どもりにして、(たぶん)元の譜割りを活かすんだ!?って凄く印象的だったんです。
後から原曲を聴いた時に、1拍目?4拍目から最初に入る16分音符(?)を変えると曲全体で緻密に構成されたリズムが崩れちゃうから、今回みたいな思い切った視覚的演出をつけるなら、そこは確かに手放して欲しくない気がしました。さっきからこんな妄想を書き連ねていて大丈夫ですか。
こうですか!?→違います!ってなるまでがセットです!!!
オケ伴奏で福士さんのジャックが歌ってくれているだけでも、生楽器大好き勢としては嬉しくなっちゃう!
まるで重力から解き放たれたように雲の上の巨人の国で自由に歌い上げる姿をみると、やっぱりすごく素敵な表現者さんだなぁと。勝手に目が追ってしまって、惹きつけられる。
サーカス的なショーとしてのカタルシスもあるんですけど、なんかフッと理性を手放すような浮遊感と快感が。
やんちゃ坊主の大冒険、かわいい。ひゃっほー!
冴えた心と身体と集中力で千穐楽まで走りきって欲しいし、関西圏のお客さまにもぜひこのシーンを観て欲しい〜!!
役者でアーティスト活動をされる方って、俳優さんとは違った文法で会場の空気の掴み方?制し方?を秘めている気がしていて。
脱線しちゃうんですけど、250人キャパくらいのライブハウスでやっていたアーティストさんがちょっとずつ大きな箱に立っていく過程で、射程距離が拡がって場を不思議な引力で巻き込みはじめる瞬間が必ずあって。これは作品が先立つ役者さんたちとは絶妙に違う筋肉だと思う。
以前、LUXEというアイスショーで福士さんが横浜アリーナに立たれていた時にも、そのバシッと会場にハマる清々しさを感じて凄く感激したんです。
LUXE以来、久々に一人の役として日生劇場でソロナンバーを歌う姿をみて、あぁ、きっと色んな事が、このミュージカルにも活きてるんだろうなぁと勝手にじんわり来ていました。(オタク、自論で、幻覚を、見がち
いやもうだからジャックのソロほんっっっと最高でしたよね…(語彙力
歌詞の気になった所でいうと「バケ”ツ”いっぱいのごはん」で高いファの音に、発声し辛いツ(ウの母音)を当てているから、歌いにくさを加味しても”バケツ”って外せなかった言葉なのかなぁと。
プレビュー公演のあと、原詞をみた時に
バケツとは書いてなかったから、翻訳の際に日本版スタッフさんの解釈が入ったところかなぁと思って。
バケツ=ひもじい男の子にたくさんご飯を恵んであげた表現なのか
たんにジャックが持っていたミルクを入れるバケツをお皿代わりにしたのか
バケツでご飯を食べさせる=ジャックは友達と言いつつ、巨人のレディからみたらジャックはペット扱いなのかなぁと(解釈の森よこんにちは
あとはジャックの言う「知らなかったことを”やった”」的な表現が引っかかって、そこで行為を指すのってすごく珍しいなと思ったんです。
原詞は
で、「知った」→「やった」と日本語版で変更をしているので、赤ずきんパートで匂わせていた”知らない世界”に繋げると、ジャックが大人の階段を登ったみたいな捉え方も出来るのかなぁと。
「ムギュっとおっきな胸」とか言っていたのと、原詞で巨人の旦那さんは「(ジャックを)お昼ご飯にしようとした」って具体的に書いてあるのに、日本語版では「(旦那さんジャック相手に)鬼の形相!」って大胆に変えていたし。
相手は巨人だから、そこは素直に”冒険を””やった”なのかも~!?
あとは原詞は一人称が"I"じゃなくて"You"なのがふしぎ。なんでだろう。高校の頃、ミュージカルを観ていたらもっと真面目に英語の授業を受けていたのに・・・!(機械翻訳頼み
「あ、何か盗んでいこう」の悪可愛い笑顔よ…!
巨人から逃げる時、緊張感のある「レファソ」の和音を八分音符で刻んだ後に、雲を抜けた瞬間に転調してパァアツと眼下に地上の景色が拡がるみたいなところがすごく好き!(※雲は明示されていないので自己解釈
ラスサビでフレーズ後の二拍目に入るアクセントが、ジャックの気づきの閃きみたいな感じ。
わたし絵を覚える力が弱くて、どこだったか失念しちゃったのですが、ジャックを肩にのせるパフォーマーさんが満面の笑顔で、それもとっても素敵でした。
ジャックが「間(あいだ)」をすごく大事に歌ってくれるのにグッと来て、言葉が大切にされていると嬉しい。
「間(あいだ)が良いな~!」は、そんな都合の良いことあるか~!ってツッコミが来るかもしれないんですけど、その気持ちはめっちゃ分かる~!
自由と冒険の空と地に足ついたスリルのない地上、大人と子供の狭間みたいなイメージ。
金貨の入った袋を落とす音も、絶妙に音楽の中に取り込まれていて、オケと息ぴったりなのがすごく良かったです。SEと音楽が交わっているの大好き。
身だしなみを整えて、ちょっと色気(欲)を出しはじめたジャックと赤ずきんの会話は、めちゃくちゃハラハラしてあわあわしちゃった。
自分はすごいんだぞ!って誇示したくなる時って歪みが生じ易いからハラハラします。でもそこで無茶をして、何か大きなものを得る事もあるのも知ってる・・・。
豆キッカケの巨人倒しは、ジャックにとって誇れる成功体験だったんだろうな。友だち(ミルキーホワイト)だけでは味わえないスリルと冒険。
パン屋さんの妻が、木の下敷きになって亡くなったって情報とジャックが「ごめんなさい!気付いたら死んでた」的な事(唐突な謝罪&気付いたら~)を言っているのが引っかかって、大丈夫??その木を倒したのジャックじゃないよね????って若干、ドキドキしました。
自分の親が死んだみたいに泣いてたって聞いて、チラとでもそういう想像をした自分を反省した。
ジャックの「巨人の足跡に埋めておいたよ!」って、埋葬する心はあるけど穴を掘る手間をサボったって、ちょっと気の抜けるセリフで。
ミルキーホワイトの時はジャックじゃなくて、パン屋のご夫婦が埋めたけど、ジャックも成長して人間としての悼み方も覚えたってことなのかなぁ。
ミルキーホワイトは魔女の力で戻って来たけど、お母さんは戻ってこない。
「悪いのはお前 - Your Fault」でめちゃくちゃ口が回っているから、やっぱりジャックくん頭の回転自体は早いのでは????
「誰が面倒みてくれるんだ」って発言も、面倒をみてもらっていた自覚があった訳だから、「まだまだ子供で~す!」って甘えている所と「もう大人だし!」って背伸びしている所と両方あった人なのかなぁと。
お母さんの死を知った後、ジャックから「償わせる」「殺す」「罰」「死ねば良い」みたいな怖い言葉が出て来た時はあまりの鋭さに耳を塞ぎたくなった。
周りがそういう言葉を使ってた時、自分はどうしてもそういう気持ちに同意出来なかったから、そういう話題に触れると緊張する。
大事な人を亡くして静かに泣いているジャックをみて、ただただ悲しいね、寂しいねって、一緒にハラハラ泣いてた。
ジャック母のあめくみちこさん。お母ちゃん!って言葉がよく似合う。とっても逞しくて、根性の座ったシングルマザー。
ジャックママは「うちの坊やだっておつかいくらい出来るでしょ!」って期待しちゃうのも分かるし、過保護になっちゃいそうなのも分かる~!(軽率な共感
自分もあまりにポンコツ過ぎて年中、親を怒らせ続けていたから、ジャック母みたいな人をみていると「その節は・・・大変あの・・・失礼いたしました・・・(ひやあせ」って気持ちになります。
「ジャックって呼んだら返事する!」って言い方が、もはやジャック=犬っころな扱いにみえて、お母ちゃんw
息子に「引き際が大事!」と教訓めいた事も言えるけど、平気でハープを(解放するんじゃなく)売って証拠隠滅をはかったり、我が子可愛さ故に家族を亡くした巨人にデリカシーゼロで臨むところはハラハラする。
シンデレラたちの物語
シンデレラ役の古川琴音さんは舞台で初めましての俳優さん!ネットでお写真だけ見たことがあって、とても雰囲気のある方だなぁと思って、拝見出来るのを楽しみにしていました。
パジャマパーティーの夜に、友だちとお気に入りの枕を大はしゃぎでめいいっぱい振り回した後、ふよふよと舞う羽毛の幸せのシャワーみたいなシンデレラ。可愛い!
和毛みたいに心地の良い声で「ナイス!シンデレラ グッド!シンデレラ!」がポンポン弾ける所が好き。
ドレス姿で森を駆け回る姿がとってもチャーミングでした。キラキラドレスが、えぐいくらい可愛くなかったですか???特にスカート!!腰あたりのふんわりフォルムとヒラヒラで走った時が一番、魅力的なとっとこシンデレラ。お転婆に、でんぐり返しして欲しい。
現し身のような存在は、本人も気付いていないシンデレラのちょっとワル(?)な人間性も側にいた的なことなのかなぁ(ママの声を吹き込んだカセットで、義姉を妨害をするような事をしていたから)次もうちょっと意識して観てみたい。
ヘアアイロンとかが出て来たのは、現代に接続するための小道具ってことかなぁ。
さらさら揺れる木に願う、ささやかな祈りも可愛かった。
鳥たちに真実を告げられた時、王子の浮気相手がパン屋の奥さんなこともシンデレラは知ったのかな。どっちだろう。シンデレラは「王子全員がそうじゃないでしょ?」って言っていたのに、シンデレラにはもっと良い人いるよ!!!!(何目線
そうだとしたらパン屋さんに真実を伝えない心がすごく優しいなぁと思いました。他人の秘密をずっと預かるのって時にはしんどいし、死なばもろともで「奥さんこんな事してたよ!」って言っちゃう人もきっといるから。そこを自分の腹に収めていたらすごい。
浮気話を「今、その話はどーでも良いの!」って言い切れる姿が清々しかった。
「みんなひとりじゃない - No One is Alone」の「一人だけど、一人じゃない」の時のシンデレラの歌声の美しさがね・・・本っっっっっ当に素敵で。
シンデレラの柔らかい歌声に導かれて、少しずつみんなが寄り添い合って、ほろほろと心の鎧が剥がれていく感じ。みんなのハーモニーがすごく優しかった。
古川さんが何かの拍子にCDを出す機会があったら、この曲絶対に入れて欲しい。
ミュージカルに教養がない身で語るのは本当におこがましいと思うのですが、難解なメロディは確かにソンドハイムさんの特徴ではあると思うんですけど、「みんなひとりじゃない - No One is Alone」や「子供たちは聴いている - Finale: Children Will Listen」の音運びはとっても素朴だから、全ては作品のために在る印象でした。分からない。他の作品を観たら「マジで良い性格してますね!!!???」ってなってる可能性、ある。
湖月わたるさんと朝海ひかるさんの継姉たちは圧倒的立体感と存在感で、てっきり二幕で大活躍するものだとばかり思っていたから、ビックリしました。すごくシンデレラ家の勢いを磐石なものにしていた。絶対、主役級のお二人ですよね????立ち姿や所作がとても美しくて惚れ惚れした。
シンデレラお継母さんとシンデレラ母/赤ずきんのばぁばが同じ毬谷友子さんなの気付かなかった・・・。全員、別人格だった・・・。
「この豆拾い~?」って方言なのは、継母は田舎出身という設定なのかな。方言ってその人と周りの人の文化的なアイデンティティと紐付いて居るから、急に出てくると人となりが分岐しそうになってぐるぐるする。
シンデレラ継母の「向いていない人もいる」発言は、自分もいっぱい言われて来たから、しょぼしょぼした。自分の可能性や、ほかの人の見えない努力まで無効化しちゃう言葉だと思う。
第一夜で「ワインさえあれば良い」って言ってたシンデレラパパが「息子が欲しかった」と言って(女性だらけで居場所がなかった?)、亡くなったジャックのお母さんから金品を盗む火事場泥棒をやっていて、おーい!ってなりました。
パン屋さんの奥さんにもシンデレラ継母がジャックママのネックレスを差し出して共犯にしようとするのが!
お城から出た今、先立つものが必要だから頂戴するって考えも理解出来るし、自分も生きている人を優先するタイプだから、命がかかってたら同じことをするのかもしれない(けど、あんまりやりたくない・・・)。
だからこそ生きている赤ずきんの鞄は勝手に持って行かないで欲しかった・・・替えの下着とか入ってたらどうするの!!??(まがお
ラプンツェルと王子たち
鈴木玲奈さんのラプンツェル、「天使の、天上の歌声」ってこういう事なんだ!と思った!!!!オペラ仕込みの声ってはじめて生で聴いた!!すご~~~~い!!!!きれい!!!!!
娯楽の少ないラプンツェルの時代に、あの歌を歌える人がいたら、何処かの貴族が「ぜひうちの専属に!!!」って大枚はたいてもおかしくない!!!(確信
絹糸のような美しい歌声が、お酒で嗄れていったっぽかったのが切なかったです。いや酒焼け声が好きって人もきっといるよね。
母子関係で一番、呪いを背負っていた子にみえました。ある程度年齢を重ねたら自分の力で運命を切り拓こう派なんですけど、それでもやっぱり今までの積み重ねが物を言うから、他人とのコミュニケーションの取り方を知らないって凄く大変だろうなと。
魔女ママとのコミュニケーションだけを参考にすると大事故になりそう。「なんでママみたいに王子は一緒にいてくれないの!」
しかももう本人が「お母さんのせいだ」モードに入っているから、そこにハマっちゃうとなかなか抜け出せなかった気もします。
廣瀬友祐さんと渡辺大輔さんの王子さまたちは、とんでもない歌うまお兄さんでした・・贅沢な歌声ってこの事かと。雲泥ほかテンポが百点満点過ぎて大好き。
兄弟ほぼペアルックなのにお兄ちゃんの方だけダメージズボンになっていたので、しょっちゅう森へ繰り出して、女性も枝も引っかけているのかな。
「好きで王家に生まれた訳ではない」と言いながら、女の子の夢・王子さまである事をちゃっかり活かして女性をオトしているお茶目さん。
役割を演じる辛さと立場上のメリットを謳歌しているの半々だから、自分から手放すのは大変そう(その前に役割を取り上げられちゃうのが先かもしれない
弟さんも元を辿ればお兄ちゃんの影響で張り合うために、女の子を追いかけているのかな。張り合ってそうに見えて、何だかんだ仲の良いお二人にみえました。
花王おさむさんの執事は、The トラディショナルジャパニーズ執事が本当に童話の世界から飛び出て来た感じ・・・・圧倒的中間管理職感・・・。世が世なら4代目のいる世襲会社のノー権限取締役みたいな(偏見
自分はゆとり世代だから偉い人の言うことを一方的に聞くって感覚があんまりなくて、感情移入はし辛いんですけど、自分より上の世代はそういう方が多いんだろうな、と最近やっと気付きました。
自分の意思で進んで動くのは好きだけど、同じ行動でも強制されたらそれは違うかもってなる。
全編通して、それが人間!って言われたら、まぁそうなんですけど、「それを言っちゃあおしまいでしょ??」って気持ちが心の何処かにあります(今、元ネタを調べたら寅さんだった。
世界の何処に光を当てるかは自由に決めて良いのだから、色々受け止めた上で最後は愛おしく感じたものになるべく光を当てていきたい。日はまた登る!!!
罪のようなものから逃げること
凄まじく個人的な話で申し訳ないんですけど、自分も知らない人に大事なものを奪られちゃったことがあって。
その事もまぁまぁショックだったんですけど、さらに相手のひとが執行猶予になった後に、借金をして行方を眩ましちゃったんです。
その知らせを受けた時は、事実だけとりあえず飲み込んで、そのままにしておいたんですけど、劇中で「逃げた・・・その罪から」的なセリフが出て来た時、完全に反射で「なんでそんなことを!!??」ってめっちゃツッコんでた。
(二幕途中、完全この顔だった)
頭で「己のやった事から目を背けちゃったんだろうな・・・」と人間味を感じつつ、自分は相手の人が逃げてダメの上塗りをしていった事が、ほんとはちょっと・・・いやだいぶショックだったんだと観劇中に今更うっかり気付いてしまいショボショボしました。ちょうど、ナレーター役の方くらいの年齢の人だったから絶妙にデジャブってしまった。
「逃げた」って重い響きの空気が耳の中に入った瞬間に膨らんで、ワンワン耳鳴りがするみたいだった。
自分の時は、相手の人に対して「あぁ、この人は深く考えて行動するのが苦手で、知識もお金もなくて、それが理由で他人に利用されて、こんな事になっちゃったんだろうなぁ」と感じて。
だから、シンデレラかパン屋の奥さんが巨人に「(ジャックには)償わせます!」って言った時や、誰かがジャックに「(お母さんを殺した召使いには)罰が当たる」的なことを言った時に、それは相手が”償い”について考えて、行動や自省が出来る人だって、ある種の理想を抱いている状態だから!(肩ガシッ
いつも思うけど、相手の可能性を信じることと、身勝手な期待を押し付けることの境目って何処にあるんでしょうね!?
また自分の話に戻っちゃうんですけど、私が知っているのは相手が”逃げた”ことだけで、相手が今どう生きているのかなんて、全く知る術がないんです。ほら「知らない物語を探さないで」(出典:ミュージカル『ストーリー・オブ・マイ・ライフ』)ってアルも言っていたし・・・。
ただわたし、逃げるって選択をした時点で、きっとあの人は、これからも上手に何かのせいにして生きていくんだろうな、って穿った見方をしちゃってて。
劇中の「逃げれば逃げるほど追いかけて来る」ってセリフを聞いて、あぁそうであって欲しいなとも思ったし、でもそれはとても苦しいことだろうな、それだけなのはちょっと嫌だな、って思いました。
わたし、自分よりうんと歳上だった相手の人に、ちゃんと謝って、しでかした事の後始末に、その人の人生をより善く生きる努力を下手くそでも良いからやって欲しかったんだなって。
謎の男にボロボロ泣かされるという完っっっ全に予想外の被弾をしました。そこで来ると思わなかったよ!!!!?????
だって、余りにもみっともなくて苦しそうで、でも何とかしたそうだったんだもん。
舞台を観終わった後、ぐしゃぐしゃに泣いてる私をみて、一緒に観てくれた友人が「(そんな泣くことある!?)」って顔してた。いやそうだよね、私もほんとそう思う。
"奪われた者"がアイデンティティになるのは嫌だなって思うし、嫌なんて反発しちゃう時点で、もうそれは自分の根深い所に居座ってる気もします。※これは私個人の話で、奪われた経験を元に何かの行動をされている方のことも全力で肯定したい
日常で"奪う"とか怖い言葉を使うのめっちゃそわそわするな。
あとは自分だってきっとたくさん間違えてるから、あまり他人を悪様に言えません。(この感想も相当大暴投だと思う)
書くかどうか物凄く迷ったんですけど、これもきっとこの作品を自分が観た時の大事にしたい何かというか、たぶん今だけしか感じないものなんだろうなと思います。
書き過ぎてもブレそうだし、抽象化し過ぎても匂わせのよく分からない文章になりそうだし、もうこういうこと初めて書くからどう書いて良いか分かりません!!!(大の字
一周まわって思うのは、「あの人もこのミュージカルを観るべきなのでは・・・?(まがお」
あえて普段つかわない”べき”という強い言葉を使わせて欲しい。
自分の欲
この文量が、何も手放すことの出来ない自分自身の欲その物のようで、とっっっても恥ずかしい。
削ぎ落とす事は筆力にまだまだ乏しい自分にも示せるせめてもの誠実さだと思うんです。
ただコメントを貰った時にいつもピンポイントで引用されるのが、どれもギリギリまで削るか悩んだ雑音にも思える一文で。そこは削らずに勢いで公開しないと分からない事だったので、すごく意外でした。
(マシュマロとかの匿名投稿フォームを置いていないし、かなり偏ったことを書いているのでコメント頂いた時ビックリしました。有難うございます。)
書くだけで発見があるのもそうだし、人の目に晒して気づける事がたくさんあるのは、どれも同じなんだなって毎回新鮮な気持ちです。
やっぱりもうちょっと時間をかけて何とかしたい気持ちと、もうこれが今出せる精一杯だって気持ちの間にいます。
人間とは本当に欲深い生き物で
ジャック役・福士さんの一人ひとりに作品の感じ方を自由に委ねてくれる懐の広さや姿勢が大好きです。昨年、すごく作品の感じ方について踏み込んで言葉にした瞬間があって、その姿にも何かのたおやかさをみた気がしました。
自分も感じ方は人それぞれ派なのですが(色んな方が観て、色んな感想が出ることが面白いと思う)、今度また観劇趣味のない友だちと一緒に日生劇場へ行くのに、誘う側として「絶対、面白いよ!」とは言い切りたくて。
その子の13500円を、私の言葉を信じて、この舞台に使って貰う訳だから、その体験がより素敵なものであって欲しいなと。
私が好きなミュージカルって、キャスト・スタッフの皆さんが、見えない所で私たち以上に感染対策も一生懸命がんばりながら、こんなに面白いものをみせてくれるんだよ~~~!って。
これはアレです。友人に「オススメしてくれるやつ、いっつも外れがないね!」って言わせたいアレです。作品に乗っかって、じぶんが良く思われたい欲と、自分ももっと素敵なものを観たい欲です。
舞台の前後、お喋りなしで友人に楽しく過ごして貰えるように工夫するのと、舞台がより素晴らしいものになるように祈る事しか出来ないんですけど。
その子とも一緒に素敵な時間を過ごせたら良いな!って願っています。何とか千穐楽まで皆さんが健康なまま楽しく公演が続けられますように。I wish!