写真を映像によるコミニュケーションと捉えてみた時に思うこと
完全に雑感を。
写真で何か(テーマ)を伝える、という行為の難しさをずっと考えてきたが、要はコミュニケーションと捉えることも可能ではないか。
「美しさ」という、本来言語化が難しいテーマを伝える、となると、その試みは途端に難解になる。
色彩学、錯覚、印象、心理学のような人間の構造的な領域に対するアプローチ。
統計、経験、希少性などの社会性を踏まえた戦略。
鑑賞者側にペルソナを使ってより効果的に魅せるための、プラットフォームごとのマーケティング的な発想。
色々考えなければならない。
だがとどのつまり、写真で伝えたいこと、があって、それが言語化が容易なものもそうで無いものも、どれだけ強く見る側に伝わるかの話で。
だったらそれは、言語を使わないコミュニケーションとも捉えられる。
本屋に行って風景写真の写真集を探してみたが
東京日本橋のマルゼンに行ってみた。
風景写真の写真集が少ないこと!
キャッチーな「絶景100選!」「KYOTO」などの文庫系は沢山あるが、違う。そうじゃ無いんだ。
人気ないのかなぁ…ポートレートは沢山あるのに。
ふと思った
まぁ、自然風景って実際何考えてるとかわかるわけないし、感情なんて(少なくとも人間や動物と比較すれば)無いみたいなもんだし。
それとコミュニケーションったって…ちょっとハードル高い印象あるよね。と。
例えば「歴史を変えた一枚!」とか、はみててすごく考えさせられた。キャプション含め、最後までのめり込んだ。なによりわかりやすい。
やはり、人の営みに関連した被写体の写真集は、多少のキャプションと時代背景があれば、すごく感情移入し易いし、意味がわかると凄く価値を感じる気がする。
仮に初見ではわからなくとも、少しキャプション読んだら、なるほど!となり、グッとその写真が心に刺さる。
最初はzipファイルそのもので中身わからなかったけど、解凍して中身がわかるようなイメージ。
風景写真は、意味が希薄?
モノクロの希少動物を捉えた写真がバン!とあり、キャプションに「これは密猟により絶滅に瀕した⚪︎⚪︎の最後の一頭で、死を迎える直前に捉えた様子」と書かれてたとしよう。
仮にそれが嘘でも、正直来るものがある。
当然嘘なわけないのだが、そういうことじゃなくて、、、
うーん。
もしかして風景写真って、そもそもが高尚なのかなぁ…