写真への熱量が下がる瞬間
ここ2〜3ヶ月、自分でも驚くほど写真愛が高く、インプットもアウトプットも濃い密度でやっていたと思う。
だが熱量が高いときというのは往々にしてそういうもので、また往々にしてそういう期間は長続きしないものだ。
今朝、ちょっとDownしている。
「そう言えば、最近カメラ触ってないな」とふと気づくことはあっても、「昨日より熱量のベクトルが下がり傾向かも」というのにリアルタイムできづいたのは初めてなので、それはそれで面白いと思い、なぜそうなったのかをちょっと考えてみたい。
結論から言えば、良い被写体に出会えない状況が続くと落ちるようだ。
対策としては、常に次撮りたい目標を作る。これしかない。
それで話は終わりだが、一応、この結論に至った経緯を残す。
写活を邪魔するものが複数同時に現れる
直接的には、写活を邪魔するものが複数同時に現れ、萎えた。
要素1:カネ
私の場合、落ちた要因の一つはカネが底をつきた点が挙げられる。
今年は本当にカメラに散財した。本当に。
後悔はないのだが、そんな状態で昨日ビックカメラに雲台を見に行って、雲台を試した。もう最高だった。(RRS BH-55)
定価がメチャクチャ高い(10万超え)のだが、恐らく今後この値段では買えないだろうと思うくらいの値下げをしてて(それでも高い)、でも流石に今年は…となった。
一般的にはよくある話だが、ちょっと続きがある。
要素2:撮影機会(時間、仕事)
そもそも私は年に何度も雲台を使わない。
それでも雲台が欲しかった理由は、私が撮りたい写真(風景写真)を最高のものにするためには雲台と三脚が必要だ と知ったからだ。端的には、角型フィルターと、SSを遅くした風景写真が凄くキレイだと思ったのだ。
では撮りたい写真に必要なギアなのに、なぜ年に何度も使われないのか?
それはそもそも撮りたい写真を撮りに行けてないからだ。なぜかと言えば、仕事と家族持ちで、そんな時間をなかなか確保できないから。もっというと、仮に時間が確保できても私が望む場所がどこかわからんというのが正直なところだ。
そこから当然の帰結として「本当に必要になってから買えば?」という内なる声が聞こえる。「カネもないしさ」とも。
要素3−1:色々悩みはじめる 〜そもそも必要か?〜
勿論ここで売り場をそっと去るのが正解。普通だろう。
だがちょっとまってほしい。
私は機材に引っ張られて写真の世界が広がり、人生の充実度を高めてきている面がある。その側面から、やすやすと機材を諦める選択に異議を唱える、散財家としての私が台頭する。
最初は子供を最高の形で写真に残したい という、一応「こんな写真が撮りたい」と、必要に迫られ機材を揃えた。ここは合理性がある。
だが思いがけないことに、その機材たちは子供のスナップだけでは勿体ない程の性能・魅力を持っていて、気づけば柄にもなく花を撮るようになった。
最終的に自然風景に魅せられ、単独撮影旅行に行くことが最高の楽しみになってきて、今や風景写真家の写真集を集め始めるに至った。
必要に応じて機材を揃えること「も」あるが、その逆だってあってもいいじゃないか! そんな(散財の顔の私の)心の声も聞こえる。
さてはて、パラドックスに入った。
ココからめちゃくちゃ考える。
要素3−2:色々悩みはじめる 〜雲台・三脚むずすぎ〜
実は私、そもそも雲台(+三脚)はハードルが高いと感じている。
三脚が無くても風景は撮れるし、外で三脚を使えるシーンは実は結構少ない。三脚NGのスポットのほうが多い印象だ。何より荷物がめちゃくちゃ増えてしまうデメリットがある。
しかもめっちゃ種類があって、調べるとどうやら用途に応じてベストチョイスが大きく異なる。
カメラ本体なら一番性能の高いやつを選べばまぁ間違いない。
エントリー機も、違うのは主に値段で大きさ重さはそこまで変わらない。いずれにせよスマホよりはデカい。
でも三脚・雲台には「コレ買っとけ!」という正解がない。
三脚・雲台。。。なんて厄介な存在か。。
重くてデカいほうが安定はするので、カメラを固定するという主目的だけを考えれば、重くてデカい良いやつを買えば良い となる。じゃあそういうのを買えば良いのか?
だが、自前の(または頻繁に使う)スタジオでの撮影などめったに移動しないなら良いが、風景写真は必ず運搬が必要であるし、その距離も長い。バカでかく重い三脚を担いで行ける場所はどうしても限られてしまう。買った機材が制約になって行けないなど、本末転倒甚だしい。
設営の容易さも非常に重要なポイント。
よって、軽さと小ささは相当重要なファクターになる。だから、可搬性に優れつつ、自分の機材がしっかり安定する良い塩梅を見つけることが肝要だ。
ここまでは私でもわかる。
だが、そもそも風景写真撮影の経験が浅く、どういう部分に気を遣えば良いか自体がわからない。。
要素3−3:色々悩み始める 〜あれ?俺何撮りたいんだっけ?〜
風景写真といっても千差万別。
登山のうえ山頂から撮影するケースも、駐車場や駅からすぐの場所から撮影するケースもある。
登山も、ケーブルカーで近くまで行ける場合も、何時間も山を登る場合もある。山によるし、季節で全然装備も異なる。
(登山は何回かやったので何となく知っている)
オイオイ、どないしたらええねん。と。
こんなパラドックスに陥ったとき、私のいつもの選択は、とにかく情報を仕入れ、最も評価の高い最高の品をとりあえず買う のだが、どれが最高の品かがものすごくわかりにくい三脚・雲台の世界では、通用しない。。
要素4:少し悲しい結論にたどり着く 〜思考停止〜
ここまで来るとイライラしてくる。
そもそもギアは副次要素。
「機材でゴチャゴチャ抜かす前に行って撮影することが大事でしょ」と内なる声が聞こえてくる。
「やってみないとわからないし、自分にあった機材は誰かが教えてくれるものじゃないんだから!やりたいことも人によるし。」
機会だ時間だと言っている時間が無駄だ。
一応持っているんだから、困ったら要件が見えてくるだろうよと。
これが昨晩の店頭での結論。
なんだかちょっと悔しい、悲しい気持ちで家電量販店を後にした。
いい被写体がなかなかない問題
ここまで私の心の内を時系列で書いてきた。
ゴチャゴチャ書いてきたが、どうやら本質的に私の写真愛の猪突猛進を止めたのは、私自身がどこに行けば良いかが見えなくなった点、具体的には素敵な被写体に出会う道が途絶えた点、がミソのようだ。
私が悲しい気持ちになったのはお金というより、「そもそもお前撮りに行けてない/具体的に何撮りに行くか明確になってない/目処がたってないじゃん」という整理結果に気持ちにブレーキがかかったととれる。
再考1:穴場の風景写真スポットが至高 だけど。。。
自然風景写真は、何と言っても「何を撮るか」が重要だ。
いくつか有名なスポットに行ってみてわかったのは、まず「施設」は(私にとっては)つまらない ということ。
撮影場所が決まっていて、入っちゃいけない場所だらけで、誰が撮っても一緒の写真にしかならない。
また、管理がしっかりしたトレッキングコース(上高地や戦場ヶ原)も類似で、ゴリゴリの観光施設よりは自由度は大きいものの、結局撮影ポイントが固まってしまう。構図を調整しようにも、「あの木が邪魔だ」となったら基本逃げられない。
以前整理したときもそう結論づけたが、本質的に手を加えられない自然という被写体に対しては、画角、アングル、構図 が撮影者ができる数少ない要素だ。それを奪われてしまってはつまらないのだ。
そうなると、あまり観光地観光地していない穴場の、多少ルートを外れても別に問題なさそうなゆるい管理の自然が望ましい。
再考2:今の課題 〜撮影地探し〜
あまり観光地観光地していない穴場の、多少ルートを外れても別に問題なさそうなゆるい管理の自然か。
…いや、それどうやって探すんだよ…。
登山はまぁこの要件を満たしてはいる。
だが実は登山道もそこまで自由度は無いし、ルートを外れると、下手するとガチで命の危険があったりする場所も多い。
過去、山んちゅに囲まれて(山んちゅではない私が)八ヶ岳に登ったことがあったが、ルートを外れようなどとは微塵も思わなかった。むしろルートがわかりにくいので、もっとハッキリしてくれ!とさえ思った。
そもそも登山は色々面倒すぎる。。
山グッズもなかなかに高いし、結構重い。テント泊なんてしようものなら、10Kgオーバーは当然になってくるだろう。値段も凄い。
難易度もある。有識者に金魚のフンで行くなら良いが、自分自身で計画するのはかなりの知識と経験を必要とする。冬山は計画と装備が命に直結する。言い換えよう、面倒だ。
あとこれを言うと山んちゅ勢に袋叩き似合いそうだが、実は美しい光景はごくごく一部だ。登山の疲労なり登頂の達成感が景色を何倍にも増幅してくれるが、冷静に絵として見て美しい光景は実は結構レアだし、定番スポットだったりする。
撮れ高だけを見るなら、天候などのヒット率を鑑みると手間に対してアガリが微妙でコスパが悪い と、正直思ってしまう。登山は、登山目的とし、カメラがオプションでついてくるくらいに考えたほうがベターだ。
実は山んちゅの友人に打診はしている。多分来年にはどこかに登るだろう。でも彼も家庭をもった同類。年1回か2回、奇跡的に調整できれば、というものでしかない。。
一番いいのは、車で近くまで行けて、人があまりいなくて、そんなにガッツリ登山しなくても行けて、かつ道がガチガチに整備されていないゆるい感じの場所だ。
多分そういう場所はたくさんあるだろう、とは思う。
地元民ならわかるかもしれないが。。
私の写活を止める根本原因はハッキリした。
雲台、君は悪くない。。