車椅子、コントラバス運び

高校と大学の時にコントラバスを演奏していました。
身長よりもでかい弦楽器です。
運搬方法としては楽器にタイヤを取り付けて、コロコロと転がす方法が一般的です。

大学の時、サークルの立場が弱くて学内の練習室が使えず、外の練習室を使う他なかったので、週2でコントラバスを電車で運ぶ生活をしていました。

コントラバスを運ぶということは要は車椅子ユーザーと同じような経路で同じように人の流れの邪魔をしながら運ぶということです。

駅のホームのエレベーター探しをするだけでも、かなり疲れるのに、階段やエスカレーターに向かう人の波に逆らって歩かなきゃいけない。
電車から降りるにもコントラバスがでかいので、道を開けてもらわないといけない。

でかいので運んでいるだけで視線を集める。
ほとんどの人は「でかい楽器だ〜」ぐらいの視線だと思いますわかります。でも「邪魔だ」と「楽器だ〜」の視線の違いは全然分かりません。視線を集めるというのは芸能人でもない一般人の私には恐怖でしかなくて、全部「邪魔だ」の視線に見えました。

舌打ちされた回数は数知れないです。
また知らない人に声をかけられた回数も数知れないです。ベビーカーとでかい楽器を運んでいる人にはなんで話しかけてもいいんですか??

すみませんすみませんありがとうございますすみません、、、
自分の行動一つ一つにすみませんって言ううちに何の誰に対したすみませんか分からなくなりました。
最後の方は無感情ですみませんありがとうございますを繰り返せるようになって、すみませんを言うのに体力を使わなくなることができました。いまでもすみませんという口癖が抜けません。

集める視線に対抗するには堂々とするしかありませんでした。
そうでもしないと自分が保てないと思いました。

何かあったら楽器の下についているエンドピンで刺してやると言う気持ちで運搬するようになりました。
(ホールの木のステージに穴を開けて刺すもので、普通に凶器です)
すみませんありがとうございます。も堂々とまるで自分は悪くないように言うようになりました。

でもたくさんの方に助けていただきました。
電車の角を譲ってくれた方、エレベーターの開ボタンを押してくれた方、道を譲ってくださった全ての方々、そして通りすがりに「チェロだかっけえー!」って言ってくださった兄ちゃん。
(訂正しようか迷った挙句、早歩きでスルーした方がかっこよく見えるだろうと思いスルーしました)

感謝です。

悪意か何か分からない視線を浴びるのは想像以上にものすごく恐怖で、開き直るか閉じこもるかしないと心に来ます。
自分が挙動を起こす度にその一つ一つにお詫びと感謝を伝えるのも、とっても疲れます。

あんまりいい言い方はできなかったかもしれないけど、言葉としてすみませんありがとうございますは口に出すようにしていました。それが社会で暮らす、公共交通機関を利用する立場として必要な社会性だと思っていたからです。

極力人様に迷惑がかからないようにお金をかけて楽器置き場を借りたり、タクシーを利用したり、両親に車を出してもらうよう土下座したり、色々工夫はしました。お金はかかるわ、親には文句言われるわでめんどくさかったです。

悪意か何か分からないものを浴びて辛くてスンってなる気持ちもわかります。でも、社会性の有無とは別問題です。
障害だろうが、健常だろうが、コントラバス運んでいようが、社会で受容されないならそれはあなたの社会性の欠如、もしくは思いやりの気持ちの欠如でしょう。
あなた個人の問題です。
当然のように介助すべきと求めるあなたも、店員の呼びかけに無言で頷くだけのあなたも(話せない方かもしれないので一概に言えないですね)、歩きスマホしてたのに私が運搬していた楽器に足ぶつけて爆裂舌打ちかましたあなたも。
同じように、あなたの社会性の欠如、もしくは思いやりの気持ちの欠如です。
カテゴリで括って主語を大きくできる要素はありません。個人の問題です。

自分で出来るところは自分でやって、どうしても出来ないところを丁寧に介助を依頼し、そして明るくお礼を伝える障害者の方を私は何人も知っています。

育った環境などの影響で本人のせいじゃないかもしれないという意見もあるかもしれません。
そうだ思います。
でもこっちは見ただけじゃ分からないので、そんなところまでエスパーして配慮できません。
だからコミュニケーション、社会が生じるのでしょうが。

それを無視する行為のことを「わがまま」と呼ぶのです。

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