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ライトノベルの賞に応募する(5)

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一時間目の国語の授業の漢字の書き取りテストが終ると、僕はいつも通り窓の外を眺めていた。これだってゲームだ。問いに求められた回答を知っているか知っていないかだけ。知っていることを書きだしたら終わってしまう。考えることなんて一つもない。国語の教科書に目をやる。国語の教科書にお話の全文は載っていない。オトナが選んだ抜粋が読みやすい大きな字で書かれているだけだ。こんなに文字を大きくしなくても、読むことはできる。なのに文字は大きく、書かれていることに前後はなく一部分だけが載っている。そんなものに価値はあるのか、いつも疑問に思ってしまう。教科書にミヒャエルエンデのモモの一部が載っている。モモも果てしない物語も、図書館にあるのでもう読んだ。この一部の抜粋だけで、モモを理解しろという方が乱暴だと思う。モモは結構長い本で、時間泥棒とモモの戦いを長い分量をかけて描かれている。もちろん僕がモモの全文を読んだからといって、そのすべてを理解してるとは思っていない。でもこんな抜粋だけで、モモはどう思うかなんて設問を出されても、こんな少しの情報の中から考えたモモの考えなんて、全部空想だ。話の経緯があってモモの行動にも理由があって、モモは葉巻を吸った時間泥棒と対峙することになる。僕が呼んだのはオレンジの枠がしてあるかなり古い翻訳だったから、わかりにくいところもあった。でもこんな一部の抜粋で、モモを読んだ気になっている周りのみんなが少し幸せに思える。テストだってそうだ。小学校の学校のテストは100点を取らせるために構成されている。どういう答えを求められているのか、それだけを考えて枠内に収めればいい。こんなのだってただのゲームだ。先生が理解しやすい言葉で、僕はわかってますよと示すだけでいい。僕の考えなんて求められてない。先生の求めることを、テストの回答として求められていることを短い言葉だけで吐き出せばいい。モモの全文を読んだ時とは感想は違う。そりゃ抜粋されていたり、線をひかれている部分だけのことを考えればいいのだから誰だってちゃんと点数は取れる。
 給食はパンとスープとサラダに揚げ物、牛乳だ。食べながら牛乳を飲むことに5年たっても慣れず、僕は一番最初に牛乳を飲んでしまう。残すのはよくないと一年生の頃から先生が言っていた。好き嫌いをせず何でも食べなさいと母親も言っていた。それが正しいことなのだ。黒板の方を向いた机を4人ごとの班に向かい合わせにして給食を食べる。何かを食べているところを人に見られるのはあまり好きではない。食べながら喋るみんなの口元を見て、不快な顔をしないように気をつけながら、僕はうんうんとうなずくだけにしてさっさと食べきってしまう。給食が終ればお昼休みになる。僕はサッカーができるのを楽しみに、早く給食の時間が終らないかとやっぱり宙を見ていた。
 給食が終るといつものみんなと校庭に出る。6年生の方がゴール前の一番いい場所を使っている。来年になれば僕たちの番になる。そう思いながらいつもの5人のメンバーとボールをパスして、遊んだ。時間は40分しかない。本格的な練習はできないが、サッカーをしている時間だけは、自分が11歳の小学校5年生だと思う。昼休みに校庭に出てボール一つで友達とつながれる。何も考えなくてボールの行方と、友達の動きを見てパスをすればいい。自分が自然に笑えてると思う。サッカーを強要してきたのは母親だが、続けて良かったと思う。

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