ライトノベルの賞に応募する(27)
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午後は高瀬さんに誘われて、アニーのDVDを見た。かなり古そうな映像だった。僕と同じ11歳の女の子、赤毛のもしゃもしゃ頭のアニーが主人公だった。アニーは幼い頃に孤児院の前に捨てられて、そこで育つ。大金持ちの丸坊主頭のウォーバックスさんに拾われて、現実の両親を高額な懸賞金をかけて大騒ぎで探すけど、孤児院のオトナたちはアニーの両親がすでにこの世に居ないことを知っていた。アニーが持つ唯一の両親の証拠、ロケットのハートのペンダントの片割れも持っていた。ウォーバックスさんとアニーは絆を感じながらも、そのロケットのペンダントを見せられると、実の両親だと信じて別れを選ぶ。でも、孤児院の仲間たちが、それは孤児院のオトナたちの策略だ、嘘だと、知らせてくれる。アニーは高い橋のようなものをずっと高いところまで登って逃げる。ウォーバックスさんたちがそれを追いかけ、助かる。孤児院の仲間たちとアニーは、ウォーバックスさんと幸せに暮らす。
僕が一度見ただけでもストーリーがしっかり分かる位、わかりやすい映画だった。
僕が昨日弾いたトゥモローがいろんなシーンで効果的に使われていた。特に最初の方で、なんの希望もない孤児院の中で、アニーが歌うトゥモローは印象的だった。実の親と暮らすことだけが幸せじゃない。そんなことを教えてくれる映画だった。
僕の実際の家が、アニーの暮らす酷い孤児院なのだろうか。僕がここに来ることは、アニーがウォーバックスさんに拾われるような助けなのだろうか。いや、僕の家はそんなに酷いところじゃない。両親だってちゃんと存在する。夢や希望がないわけじゃない。学校にだってちゃんと行ってるし、勉強だってちゃんとしてる。僕はマトモなオトナになるために、毎日頑張ってる。
高瀬さんが、トゥモローを聞いて涙を流した理由が、なんとなくわかった気がした。でも、高瀬さんにとって、僕は、僕たちは、アニーみたいに、ただかわいそうな存在なのだろうか。なんの希望もない状態で、トゥモローを歌ってお互いに励ましあう、そんな風に見えるんだろうか。そう思ったら、なんだか少し腹が立ってきた。アニーは面白い映画だったし、トゥモローもいい曲だった。でも僕はそんな無力な、かわいそうな存在じゃない。傷の舐めあいをしながら、なんとなく生きてるわけじゃない。誰かに何かをしてもらわなくても、僕は僕自身で自分の未来をつかみ取る。父親のようにならないように、必死で生きている。それさえもかわいそうに見えるんだとしたら、オトナは勝手だ。腹の底からふつふつと怒りがわいてきた。
「どうだった?」
高瀬さんに話かけられたけど、僕は返事をしなかった。
ほかの子たちはわからないけれど、僕とミワはそんな無力なかわいそうな存在じゃない。ハジメだって、すぐ帰れるって言ってた。僕はウォーバックスさんはいらない。僕にはウォーバックスさんなんて必要がない。僕は家に帰る。帰って学校にいって、ミワの面倒を見て、立派はオトナに自分でなる。誰かに助けてもらわなくたって、ちゃんと自分でできる。
僕は黙ったまま、部屋に戻って、ベットの上に転がった。不快な感情はいつまでたっても消えなかった。僕は夕食に呼ばれるまで、すごく珍しくベッドの上で何もせずにただ転がっていた。
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