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学校の常識について考えたい!<その4>ー給食のあり方ー

戦後まもなく給食が当たり前となり、いつしかそこに「残食はよくない」という考え方が生まれた・・・・

時代も変われば子どもも変わる。なのに、給食のあり方は変わらない。

給食というテーマで話してきた。給食で一番大切にしなければいけないのはなんなのか。そこに迫っていきたい。

給食に対する疑問

いつものように給食を食べ終わり、子どもたちが食器を返しに前に出てくる。

そのとき、僕の顔を見て、

「先生、今日も全部食べれたよ!」
と、笑顔で教えてくれる子ども。

それを、素直に褒められない僕がいる。食べられないことが悪いと認めてしまうようで。
食の選択はどこへいったんだ。なぜ、嫌いなものを食べられないだけで後ろめたさを感じなければいけないんだ。

そんな日々が続いていた。


ある日、学年主任に、

「給食ってなんで全部食べないと褒められないんですかね。個別最適な学習とか何とか言ってるけど給食は、性別も体型も好き嫌いも配慮されないのに全部食べろって言うのはかわいそうで指導に迷っているんです。」

学年主任は、大笑いをして2つの考えを教えてくれた。
なぜ、給食が、食育が、残食にこだわるのか。僕の中で納得のできる答えを教えてくれた。

作ってくれた人の気持ち

家族の作ってくれる弁当を思い出してほしい。

弁当を残してしまったことがある人は心が痛んだのではないだろうか。

空っぽになった弁当箱を見てうれしそうな親を見て心が温かくなった人もいるはずだ。

そこには、作ってくれた人の気持ちがある。

給食も同じである。
給食を食べる人がいるということは給食を準備している人がいる。

調理員さんである。その調理員さんに焦点を当てる。

調理員さんの朝は早い。7時には学校に来ている。そこから、何百人もの子どもの給食を作るのである。

複雑な調理工程で魚を骨まで食べられるようにしたり、野菜を楽しく食べられるように星形にくり抜いたり子どもたちのために様々な工夫をしている。

しかし、子どもたちとの直接的なかかわりはあまりない。ゆえに、調理員さんの気持ちを想像するのは難しいのではないかと感じる。

だからこそ、担任の先生が伝えていかなければいけない。

目の前の子どもたちがご飯を作ってくれた人の思いを大切にできる大人になってほしいと心から思った。

もったいないという気持ち

料理を作る人がいれば、料理するために食べ物を作った人があり、食べ物の命がある。

残した食べ物はどうなるか。

最近では、様々なリサイクル方法が実施されているようだが、いまだにそのままゴミになることも多いだろう。

食べ物を残すことに何の抵抗もない大人に育ってほしくないと思った。

以上が、残食に対する一番納得のいくアプローチだと考える。

まとめ

給食は、時代遅れであることには変わりないが、その中で食べ物の大切さやそこにかかわっている人の気持ちを伝えることができる。

学校が給食にこだわるのなら食育の観点を見直す必要があると考える。


給食のあり方編 おわり



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