目・耳・言葉—ヘレンケラーを演じるためのアプローチ法を聞いてみたら、深い話になった。
「三重苦」へのアプローチ
まだ劇団の研究生だったときのこと。舞台の本公演とは別に研究生の発表会なるものが催された。
当人曰く、その発表会は"学芸会の延長"のようなものらしいが、先輩たちが演じる本公演と同時刻・同日程で行われた発表会のテーマが「奇跡の人~ヘレン・ケラーの生涯」だったそう。
いかにもな、教科書的な題材だけど、その劇団にとっては、もちろん本公演がメインで、発表会は相撲で言えば序二段のような一部ツウだけが目にするものらしい。
でも、発表会とはいえ、演出家が付き、舞台装置もセットされ、本公演さながらの稽古も行われ、研究生にとっては舞台公演のイロハが全て詰まった体験公演であり、通過儀礼のようなものなんだそうだ。
ヘレン・ケラーを演じた当人にどうやって演じたのか聞いてみた。
無論僕は役者でもなければ、演劇なんて見たこともなく、アングラな論に興味を持っていたわけでもなかったけど、役とはいえ、ヘレン・ケラーの「三重苦」にどうアプローチしたのかその方法を聞いてみたかったからだ。
「目」
目は閉じずに開けっ放しのまま演じたらしい。「実際は見えているのに見えていない演技って出来るのか?」と聞いたら「結果的に出来た」そう。
言う事を聞かず、わがまま放題のヘレン・ケラーに腹を立てたサリバン先生(役の人)がビンタをぶち込むシーンがあった。その場面の稽古のときにサリバン先生(役の人)が寸止めのようにして手加減をしたそうな。
演技とはいえ、女の子の頬を殴る方の気持ちもわかる。
ところがヘレン・ケラー役の当人は実際は見えていることもあり、その寸止めでは身構えてしまう。そこで「見えていない演技が出来ないから構わず殴って欲しい」とお願いすると、本当に容赦なく殴られて痛かった(笑)と言った。
見えていないことを体感するために目隠しをして稽古したこともあったらしい。でも、逆効果だったそうな。
視覚を遮断するとどうしても「音に頼る」らしく、ヘレン・ケラーのもう一つの障害・聴覚障害を演じる妨げになってしまったとか。
一つの部位に制限を与えると、他の部位が敏感に発達するという話を聞いたことあるが、三重苦を演じるに、目隠しは妨げ以外なかった。
この女優さんは只者なじゃないな感がすでに漂っていた。
「耳」
人の話を聞いていない(と思われる)人って身の回りにいる。そのほとんどは「聞こえていないフリをする人」なんだそうだけど、人は意識的に音を遮断することが出来るそうだ。
当人は「聞く」と「聴く」を使い分けたと言っていた。
「聞く」は情報を音として耳を通じて取り込むこと
「聴く」は心を傾ける作業
両方とも意識すれば(≒訓練すれば)でき、これも「結果的にできた」そう。「聞こえていないフリ」のスキルも後天的な訓練で手することができそうだけど、概念は理解していても実践するのは簡単ではない。
「言葉」
ヘレン・ケラーで有名な(?)セリフとしてすぐに思い浮かべるのが「Water(ウォーター)」と叫ぶシーンだろう。
実際にヘレン・ケラーが「Water(ウォーター)」と発音したのかどうかは別として、演じた当人は「Water(ウォーター)」と叫ばなかったと言っていた。
じゃあ、何て言ったの?と尋ねるとこう説明してくれた。
「気が遠くなるくらい、とにかく辛抱強くサリバン先生が教えてくれるジじゃない。指文字で、口に手を当てて、何度も何度も教えてくれる。きっとヘレン・ケラーはそのほとんどを理解出来なかったと思う。
見えない・聞こえない・言葉で表現できないわけだから、もしかしたら“面倒くさいな~、いいから放っておいてよ!”と思っていたかもしれない。
三重苦で生まれたことがデフォルトだったヘレン・ケラーにとっては、見える、聞こえる、話せることが比較対象として浮かび上がってこないのかもしれない。
僕たち不自由のない目線になると、見えない、聞こえない、話せない状況は想像すらできない。彼女にとって三重苦が普通だったと考えると、話せた!という喜びではない違った感情が生まれたのかもしれない。
水(water)に触れた瞬間は、これまで辛抱強く教えてくれたことの点と点が全て繋がった『あ!なるほど~。これか!こういうことか!』という瞬間だったんじゃないかって思った。
たぶんそんな瞬間に「Water(ウォーター)」って叫ばないだろうなって思ったの。そこで「Water(ウォーター)」って叫ぶって私たち健常者目線じゃないかって。
じゃあ、「これだ!」と確信したヘレン・ケラーは、どのように口から音を発したのかって考えたのだけど、それを今っぽく言えば『うおおおお!!!!!!!』みたいな感情が声となって唸るように出たんじゃないかって思って、そう演技してたなぁ(笑)」
こういう思考で物事を考え、表現者として舞台の上で演じているんだと、感心した。天才かよ!と妻のことを尊敬したと同時に、深いことまで考えているんだなと、妙に気が引き締まる思いがした。
研究生によるこの序二段の舞台はヘレン・ケラーが水に触れ、声にならない声『うおおおお!!!!!!!』と叫んで暗転、幕を閉じる。
"学芸会の延長"は日を重ねるごとに評判を呼び、ついには本公演を食ってしまったそうな。