ふかふかトレイルは、ブナにある。その理由は?
『RUN+TRAIL - Vol.28(2017年12月発売号)』に掲載した「ブナ特集」から、自分が担当した箇所に加筆・修正を加えて再掲します。
この号での第1特集が「ブナの森を走ろう」。各地のブナの森を紹介する流れの中で、私がテーマにしたのは、ブナの森はなぜ、ふかふかトレイルなのか?という疑問を解明することでした。よほどスポーツ雑誌らしくない生態系リサーチものを担うことになった点も踏まえて、当時の記事をre-designします。
出オチのように冒頭から紹介するのは、リサーチ・取材した上で考えたプロット。つまり、記事の構成を図式にしたものです。取材手法や思考、企画の組み立ては人それぞれで、リサーチ段階で大枠の構成を考え、取材しながら筋道を形成していくのが私なりのオーソドックスなやり方です。
出発点は、編集長から「今度、ブナの特集やろうと思っているんですよね!」と聞かされたときのこと。すぐに頭に浮かんだのは、画像の上から2番目”ブナ林はなぜ、ふかふかなのか? じゃあ、調べてみよう!”でした。
ブナ林大減少の裏にあった国策
硬いアスファルトにはないトレイルならではの独特な感触として絶対的な支持を得ているふかふかトレイル。柔らかいふわふわした足裏感覚との出会いは、天日に干したあとの布団のような”極上感”にも似て、ランナーを幸福に導く。
あのふかふかなトレイルはどうやって出来るのだろう?とあれこれ考えているうちに一つの大会が頭をよぎった。今年11回(掲載当時)を数えた「Madarao Forest Trails」だ。ブナの植林活動も行なっている大会として知られるこの大会、主催している斑尾高原観光協会の佐藤豊さんを訪ねた。
新潟県妙高市と長野県飯山市にまたがる斑尾高原では、2006年にブナの植林活動を始めている。それは、大会を始める1年前のことだ。当時は地球温暖化が叫ばれていて、観光活動の一環として森を健康にしようと直径2cmもない細い指先程度のブナの幼木を植え始めます。ここで佐藤さんは、”戦後の国策”の話をしてくれた。
「斑尾に限った話ではなく全国的な話ですが、戦後、大規模なブナ林の伐採とスギやヒノキ、カラマツの植林が行われました。そこに観光開発も伴ってブナ林は減少の一途を辿るんです。高原全体がブナだった斑尾も人工林ばかりになるわけですが、安価な外国産に押されて国産の木の需要はなくなっていきます。すると植林したスギやカラマツの森は放置され、森は荒れていきます。勝手ですよね。人間の都合でブナを伐採して、新しい建材用の木に植え替えて、木が育った時には外国産に押されて放置ですよ。経済原理に翻弄されて人間の都合で捨てるわけです。もう一度ブナ林を取り戻そうと思って、植林活動を始めたのです」
でも、どうして『ブナ』だったのだろうか? 木は他にもあるのに……
「ブナを漢字で表すと『橅』と書きます。木がない、つまり役立たずの木と揶揄されるほどブナは敬遠されていました。しかし、近年は見直されているんです。ブナは森の最終形と言われます。ブナの森は自然の巨大ダムとなり、治水や水源を涵養することで山の自然と森の動物や人々の生活を守ります。また、多くの山菜や木の実、キノコ等を産し、人間はもちろん、森の生き物たちも育んでくれています。つまり、最後はブナ林になって森の形成が完了するのです。我々雪国を象徴するような木がそんなブナであり、北信地域に合ったものなんです」
ここから話は、私にとって核心に入っていく。”ブナ林はなぜ、ふかふかなのか?” 佐藤さんは続けた。
「大きく2つの理由があると思うんです。1つはブナ特有の保水力。そして、葉っぱです。『ブナの大木1本は、水田1反歩(約1,000㎡)の水を養う』と言われるように、針葉樹林の約5倍にも及ぶ水資源を涵養することができます。ブナが緑のダムと呼ばれる所以です。もう一つの葉っぱですが、ブナは落葉樹で、しなやかで強くて粉々にならないんです。この葉っぱが幾重にも積み上がって天然のスポンジになり、水を貯めて、良質な腐葉土を形成します。これだけであのフカフカ感をイメージできますでしょ? でもね、実はもう一点あるんじゃないかと思っています。それは雪の存在です。斑尾高原のブナ林は1年のおよそ半分は雪に閉ざされていて、人の侵入を拒みます。雪深い冬がブナの土壌を守ってくれているんですよね」
漁師は落葉樹の価値を知っている
ブナは「森の女王」とか「夏緑樹の王様」という異名を持っていたことを知る。落葉樹としての特性が抜群の保水力を生み出し、緑のダムと呼ばれるだけでなく、葉脈の特徴も加わって川を作り、ミネラル豊富な水脈として田畑を潤し、海へと流れ込む。
「良い漁場の裏には最良の山がある」こんな言葉を聞いたことはないだろうか? 三陸沖が世界有数の漁場の答えの一つとして、三陸海岸には豊富な山域が広がっていて、山で作られた良質な水が海へ流れ込み、豊かな漁場を生む。
『森は海の恋人』と言い、落葉広葉樹の森を創る活動を行なっているのは、カキ漁を行う畠山重篤さんだ。漁師さんは落葉樹の存在価値を知っていたのだ。
斑尾でブナの植林活動を始めた年、斑尾高原にプロトレイルランナーの石川弘樹さんが走りに来た。石川さんは斑尾のブナの森に惚れ込み、大会プロデュースを手掛けることにつながるわけだが、森を再生する佐藤さんたちの活動に共感した石川さんは、自分たちが遊ぶフィールドを大切にする気持ちを育て、森に恩返ししようと大会でも植林活動を盛り込んだ。
「アウトドアブランドのモントレイルさんが、ブナの紅葉の色である黄色をモチーフにした『斑尾イエロー』と呼ぶシューズを作ってくださいました。今年で3年目でしょうかね、大会でこの斑尾イエローシューズを履いていた参加者の数だけ植林してくれています。ここ斑尾では、トレイルランニングとブナとの間に密接な関係があるんです(笑)」
毎年紅葉シーズンの10月に開催される「Madarao Forest Trails」では、参加者数を600名と制限を設けている。この良質な森を持続可能にするためだが、大会以外のシーズンでも常設コースとして走ることが出来る。
ブナの受難な歴史と人工林で暮らす現代社会
落葉樹のブナは世界中に生息しているわけではなく、日本列島・ヨーロッパ
アメリカ東部と、世界的に3ヶ所にしか分布していない。この貴重なブナの原生林として世界自然遺産に登録されたのが白神山地だ。
秋田県北西部と青森県南西部にまたがる約13万haに及ぶ広大な山地帯の総称で、人為の影響をほとんど受けていない世界最大級の原生的なブナ林が分布し、この中に多種多様な動植物が生息・自生するなど貴重な生態系が保たれている。世界自然遺産に登録されたのは、1993年(平成5年)12月のことだった。
前述したように、ブナ林は、豊かできれいな水を吐き出し、多くの生物がその恩恵に預かる。川の上流ではアユやイワナなどの魚を育て、下流では平野の農作物や飲料水として人間が利用。沿岸の海藻類もブナ林由来のきれいな水で育ち、その海藻を海の魚が食べることから、森~川~平野~海と、きわめて広範囲の生き物がブナ林の恵みを命の糧として生きている。
そんなブナにも2度ほど受難な時代があった。まず1度目が江戸時代の人口爆発だ。諸説ある中、徳川家康が江戸幕府を作った17世紀初頭の日本の人口は1,200万人ほどと言われているが、開国の風が吹き荒れる幕末の頃には3,000万人だった言う。この間、建材の供給源としてブナ林は伐採されていく。
そして、戦後。国策に近い形で人工林の森となったのは前述した通りだ。そんな歴史の中で、原生林が広範囲で生き残っていた白神山地は、世界的に見ても貴重な生態系だった。
もはや人工林だらけの日本の森。現代病と言われる花粉症もこの人工林問題で語られようとしている。かつて、神戸にある六甲山周辺は見事なまでにハゲ山だったことをどれだけの人が知っているだろうか? もちろん、その原因は人的な伐採だ。
2018年の2度に渡る大型台風の影響で被害を受けた京都一周トレイルに取材で伺った印象と、案内をしてくださった地元の方に話を伺う限り、根こそぎ倒れていたのは人工林ばかりだった。しかも、人間がメンテナンス=間引きを怠り、放置された結果、土壌が痩せた斜面の木が見事に倒壊していた。
「人間がサボるから自然が間引きしてくれたのかもしれない」という言葉が強く印象に残っている。人工林が直接間接的に引き起こす問題点は、少なくない。
調べてみると、多くの自治体で森林率や自然林と人工林の分布図や比率が公表されている。私が住む鎌倉市では、市内の森林率は40%ほどで、そのうち人工林率は14%だった。自分が暮らす市区町村の環境をぜひ調べてみてほしい。
フカフカなトレイルを調べるとブナに行き着いた。それは森を知ることに繋がり、一方で人工林という経済性を知ることになり、生態系の偉大さに触れることにもつながった。と同時に、日本の森が危ないことも教わった。落葉樹を、ブナ林を取り戻す動きは全国各地で行われいる。
ひんやりした山の空気。頭上から光が差し込む木漏れ日。どこかホッとする森の匂い。ウエアがこすれ、落ち葉を踏みしめる足音と自分の呼吸音だけが耳に届き、そして、極上のふかふかなトレイルの感触。五感を総動員しながら走ることで得られる多くの体験とともに、トレイルを愛するランナーでありたいと再確認した。
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