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ショートショート 「恩人」
退院して1週間ほど経った日、警察から電話があった。
私を刺した通り魔が捕まったらしく、犯人逮捕の報告に来たいとのことであった。
SNSに上がっていた動画や現場近くに設置された防犯カメラの映像が犯人逮捕に繋がったらしい。
場所が繁華街に近かったことから目撃者がそれなりにいて、通り魔の若い男が現場から逃走している様子の動画がSNSにいくつか上がっていることは知っていた。
かなりの重傷だったが、術後の経過が良く、入院の途中からはスマホを見る余裕もできていたからだ。
自分が被害者となった動画を見るのは辛くてそういった動画はすぐに飛ばしていたが、チラリと見えるアクセス数がどの動画もかなりの数あって、私自身がSNSへの投稿をしている身としては何とも言えない気持ちになった。
通り魔に刺されたのが私ではなく、近くにいた他人の誰かで、それを私がスマホで撮影していれば、私はすごい動画を上げることができたのに。
そして、アクセス数や「いいね」数がすごいことになっていただろうに。
退院した今では、そのようなことを思うことさえあった。
一年近く前に長年勤めた会社を定年退職し、毎日家に居るようになった私にSNSを始めることを勧めたのは妻だった。
会社時代には、メールと電話でしか使ったことがなかったスマホだったが、妻に教わりながら小学生の頃に呼ばれていたニックネームでアカウントを作りSNSに投稿し始めるとその面白さがわかってきた。
二人の子どもはどちらも就職して家を出ていた上に退職金が入ったことから、週末には夫婦二人でグルメな外食を楽しむようになったことがその面白さに拍車をかけた。
有名なお店で出てくる見た目も豪華で美味しそうな料理を、いかに美味しそうにスマホで撮るかに私は熱中していった。
そして、妻も褒めてくれるベストな写真をSNSに上げ続けていた。
アクセス数は微々たるものだったが、それでも写真の出来栄えやその写真に添えるコメントの内容によって上下する数字に一喜一憂したものだった。
そんな私の投稿で、これまでに多少「バズった」と言えるようなことが一度だけあった。
その日は、妻と二人で今日は気楽にラーメンでもということになり、子ども達が中学校の部活などで忙しくなる前、まだ家族で時々外食をしていた頃に行ったことがあり家からそう遠くないところにある中華料理店を思い出して久々にその店を訪れたのだった。
当時から年月が経ち、古びてしまった店の外観に妻は怪訝な顔をしていたが懐かしさが先に立って入ってみることにした。
店に入って、壁に貼ってある品物ごとの価格を見てこれまた不安になった。
妻の顔を見ると、小さな店のために話すと店主に聞こえると思ったのか、表情で私と同じ思いであることを伝えてきた。
かなり安く思えたことから、味も価格なりなんだろうという思いだ。
しかし、出てきた料理を食べ始めると、これが美味しかった。
以前家族と来ていた当時よりも味が良くなっているようで改めてこの味でこの値段、とビックリしてしまった。 コスパがいいのだ。
勤めていた頃、会社の近くに数軒ある中華料理店に時々行くことがあったが、とてもこの値段では食べることはできないものであった。
その時の中華料理店と比べても、このお店の方が美味しいと思えた。
妻を見ると、妻の顔もほころんでいる。
私よりもずっと社交的な妻は、早速店主に話しかけた。
「美味しいのに安くてびっくり。私達この近所なの。子ども達がまだ小さい時には時々利用させてもらったわ、もう相当前だから覚えていないでしょうけど。このお値段って、もしかしてその時から」
「ええ、少なくともここ15年間は変えていませんよ。だから、前に来られていた時と同じってことになるんじゃないですかね」
ニコニコして人の良さそうな店主が自慢気に話をしてくれた。
「すごーい。こんなに色々な物の値段が上がってるのに。この物価高の中で本当に庶民の味方だわ。近所だし、これからも時々来て応援しちゃいますね」
「ありがとうございます。これからもどうぞご贔屓に」
そう言いながら、店主は本当に嬉しそうに笑った。
それからは、週末の高級グルメの合間に時々その中華料理店を利用することとなり、段々と私も店主と気軽に話せるようになって連絡先を交換したり店主と一緒に肩を組んで自撮りなどをするほどまでに親しくなった。
「この物価高の中での奇跡。15年間値上げなし。コスパ最強の街中華見つけました」とのタイトルとともに、私は、店主やその奥さんが厨房で働いている姿などの店内の様子や壁に貼ってある価格の紙、料理の写真を沢山SNSにアップした。
私なりの応援の気持ちだったのだが、これが結構反響を呼び、その中華料理店には行列ができるようになったのである。
結構な長さの行列に並ぶ気になれず、我々夫婦はその中華料理店から足が遠のいてしまった。
そういう時に店主から電話があった。
「このところお見えになっていませんけど、もしかしたら行列ができているせいでご遠慮されているのかな、と思って思い切って電話してみたんですが」
「ええ、あの行列を見るとですね、流石に。でも、おめでとうございます。商売大繁盛じゃないですか」
「ええ、急に忙しくなっちゃって私もビックリです。でも、SNSに上げてくれたんでしょう。わかっていますよ」
「えっ、何で」
「いやだなあ、SNSに上がっている写真を見ればわかりますよ。写真の端っこに奥さんの肩が少し写っていたり。これはあの時に撮ったものに違いないっていうのが沢山あって。いやー、おかげさまで行列ができる程になって。もう忙しくて忙しくて嬉しい悲鳴ですよ。うちの店の恩人ですよ」
「ええ、まあ、実は。でも、私のお気に入りのお店が人気店になって嬉しいのが半分、入りづらくなって悲しいのが半分ってところですかね」
「あっはっは、今はもう大行列って程はないですよ。それでも来られる時は電話して下さいよ。なんてったって恩人なんだから、裏口からこそっと入ってもらえるようにしますから」
そうは言われたものの、私たち夫婦はそういうことを平気でお願いできるほどの強心臓を持ち合わせていなかったし、繁盛して忙しいだろうからとこちらから連絡することもなく、相変わらずその店からは足が遠のいていた。
店主からまた電話があったのは、事件の前日だった。
「なかなか来られないですね、本当に遠慮しないでくださいよ。もう落ち着いてあんなに長い行列なんて出来ていませんから。で、今日はですね、SNSにうちの店を上げてもらったお礼を是非させて頂きたくて」
「そんな、お礼なんていいですよ」
「いえいえ、それじゃ私の気が済みませんよ、恩人なんですから。私も中華料理以外の美味しいものを食べたいしと言うか、たまには若い女の子がいるようなお店で飲みませんか。もちろん、私の奢りで。明日は店休日でしてね。でも、そういう主旨なんで、うちの母ちゃんには商工会の会合だって言って出てきますんで、そこんとこうまく話を合わせといて下さいよ。」
「ええー、そんな」
「いいでしょう、たまには、ね。で、そちらの奥さんにも会社の後輩と合うとか何とか言って出てきてくれませんかね。この先、回り回ってうちの母ちゃんに、そういうお店に行ったってことがバレたら私が困ることになるんですよ」
「はあ、わかりました。では紳士協定ということですね」
「紳士協定か、いいですね、では二人だけの秘密でお願いしますよ。明日の夕方6時に、◯◯町の◯◯ビルの裏通りのところで待ち合わせということでいいですか」
そして、その待ち合わせ場所で店主の到着を待っていた私は、若い男による通り魔事件に巻き込まれてしまったのだった。
ピンポーン。
病室に何度も来て、私に当時の状況などを詳しく尋ねていた私服の刑事さんがやってきた。
「ご退院おめでとうございます。本当に災難でしたね。でも犯人達は逮捕しましたのでご安心下さい」
「ん、今、達って言われましたか」
「ええ、実行犯と教唆犯の2人です」
「ああ、では通り魔本人と通り魔をするようにそそのかした者という意味の」
「いいえ、あなたを狙った計画的な犯行です」
「まさか」
「この写真を見て下さい。こちらが実行犯。取り調べではいわゆる闇バイトのサイトを通じて雇われたと言っています」
出された写真には、大学生と言っても通じるような見知らぬ若い男が写っていた。
「で、こちらが教唆した者です」
「えっ、これって」
「そうなんです。あなたと待ち合わせていた男ですよ」
刑事が示したのは、あの中華料理店の店主の顔写真だった。
「そんな馬鹿な。あの人が恩を仇で返すようなことをするはずないでしょう」
「恩を仇で返す、ですか」
「そうですよ。この人はね、私のことを恩人だ、恩人だって。あの時だって行列が出来るようになった恩人の私へのお礼で何かお美味しいものを食べに連れて行ってくれるとか何とかで。そんな人が何で私を」
「そうでしたね。でも我々が取調室で聞いた話とは随分違うんですよ。ここのところ料理の材料を始めガス代や電気代も色々と値上がりして、周りの飲食店が軒並み値上げをしている中で、あなたがSNSに『値上げをしない店』って紹介したものだから値上げをしたくてもできなくて、本当はほとほと困り果てていたらしいんですよ。長い行列ができても忙しいばかりで儲けは少なかったそうで。でも行列が出来ていた頃はまだ良かったそうですよ。お客が減り出してきて、でも来てくれるお客さんは値上げしない店ということで期待してやって来る。赤字になっても値上げできない。いったいどうすればいいんだってことで経済的にも精神的にも追い込まれて行ったそうなんです。で、同時にその大元となったあなたのことをどんどん恨んでいったそうなんです」
「そんな。でも病院にもお見舞いに来てくれましたよ。心底心配してくれた
様子で。私が命に別状ないことを知って本当に喜んでくれていたようだった。あれが演技だなんて信じられない」
「ああ、それはこういうことですよ。事件のすぐ後に、あなたが死んだらあのSNSはどうなるんだろうって思い始めたそうなんですよ。ずっと残ったままになってしまうんじゃないだろうかと不安になったと。何とか策を講じてあなたにあのSNSの記事を削除してもらってから犯行を実行すべきだったと悔やみだしたそうなんです。そうしたら、あなたが一命を取り留めたとのニュースを見て本当に喜んだ・・・。あっ、どうかしましたか、だいじょうぶですか」
私は目眩に襲われ、それ以上話を聞くことが出来なかった。
了
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https://www.wage-price.caa.go.jp/
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https://www.kokusen.go.jp/wko/pdf/wko-202111_02.pdf