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Disco Demolition Night 文化が殺され、復讐へ

 ある時点まで頂点に立っていた文化が一つのキッカケで崩壊する瞬間、例えばpsychedelic rockにおいて幻覚薬が禁止される。stadium rockが「産業ロック」と揶揄され始める。そんな転換点を探し出す度に、文化は新たなアンチカルチャーの代頭、あるいは新しい形へと進化しだす。その大きな流れが見ていてゾクゾクする。

 今から半世紀ほど遡ると、音楽シーンで大規模なデモクラシーが見られる。ディスコ音楽への大規模な反乱が起きた。1979年の「Disco Demolition Night」である。70年代後半ではディスコ・ミュージックが覇権を握り、世界でブームを引き起こしていた。この時代では同性愛者や黒人が安らぎ、刺激を求めてクラブで踊り明かす。
また1977年「サタデー・ナイトフィーバー」は白人が主人公であったために、人種の壁を越えてクラブという世界から全世界へと波を広げる。どのラジオ局もディスコを流すようになる。多くの人が聞いてくれるようになるから当然と言えば当然だろう。

 その裏、ロックシーンが衰退してしまうという危機感から一部の者はディスコを非難するように。彼らは過激化していき、ディスコレコードを破壊したり、イベントを荒すようになっていく。
一つ一つのトラブルはまだ小さかったが Disco Demolition Nightはその反・ディスコ運動の大きな転換点となる。とあるスタジアムで野球の試合の途中、ディスコレコードの山を作って一斉に爆破したのだ。そしてその後過激派はスタジアムに侵入し大騒ぎ、勿論警察が出動するという大騒ぎとなった。その結果、ディスコ・ブームが一気に下火になり、無事に過激派の理想が現実化したのだ!

 しかし!その火は消えることは無かった。ディスコはそのソウル、メロディをもったまま、新たな方向へと舵を取る。ダンスミュージックの始まりとも言えるハウスミュージックだ。そのサウンドは明らかにディスコの魂を秘めている。

女性ボーカルの美しいシャウト、小粋な笛のようなサウンド、これらはディスコの血を引く。

 「ハウスは、ディスコの復讐なんだよ」これはハウスミュージックの第一人者、Frankie Knucklesがかつて言った言葉。ディスコは確かにあの事件で死んだと言える。しかし形を変えて、ダンスミュージックの原点という地位を確立させる。固有の音楽シーンを再び造り出してしまった。こんなに面白いことがあるだろうか。ある意味では音楽が同じ音楽に復讐し、その道を隔ててしまったと言える。ディスコ、ハウスはそんな熱を持っているジャンルである。

 初め僕はその機械的な音に惹かれていたはずが、気づけばそこに秘める情熱の虜になってしまったのだ。

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