親ガチャハズレにならない国作りは時代錯誤
やっと秋めいて来たと思ったら、政界は暑いバトルが始まった。
腹の中がそのま顔に現れて、国民の為にと言われても、自己保身が丸見えだ。
政策に「親ガチャで親を選べない子供達に格差のない社会を創る」と言う演説を聴いたが、ハテ?と思う。
親ガチャと言う言葉の古さと、子供は親を選べないと明言しているからで、いつから日本は唯物主義国になったのだろうと戸惑ったのだ。
つまり、魂の存在を認識しておらず、死んだらお終いの考え方で、神や仏の教える輪廻転生は無く、新たに生命が発生するから因果も無い。
しかし日本の宗教観は、死して魂の安寧を願っているはずで、魂の存在を考えると、生まれてくる肉体に魂が宿り転生する訳で、多くの魂が0階(レイカイ)に集まっているのである。
この中には先人の魂があり、行基はこれを例えて、山鳥のほろほろと鳴く声聞けば父かとぞ思ふ母かとぞ思ふと詠んでいる。
つまり、魂が先にあり後に生じた肉体を選ぶ訳で、どの親を選ぶかは魂に従い生じた肉体である子供が選択するのだ。親ガチャは比喩ではあるが、魂は決して博打をしない。
生涯を通して全て自己選択の世界と言う認識を持たないと、必ず不平等が発生する。
生まれてくれて、ありがとうの世界なのだが、文明国に子供が少なくなったのは、豊かになって子供が選ばなくなったからで、この世は修行の世界だから、厳しい環境ほど好まれる。
ぬるま湯に浸かって、はしゃいでも何の進化も魂には無い。
そうして魂のレベルが熟してラストスパートの場合は、進化に専念出来る文明国が選ばれる事になる。
国が目指すのは、唯物論を唱えて物や金を与えて堕落させるのでは無く、選択する機会を平等に与えることで、喜びと感謝に満ちた唯心論の社会を創造すべきで、実現すると平和が訪れる。
この平和な社会では、誰もが外に目を向ける事なく、自分の内面に向き合って、良心に従い、より全体の役に立つ人間となるよう進化していくのである。