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#013 札幌北斗高校演劇部…猫はみえない④

 舞台上に溢れている「死」という存在。当時の石狩支部の創作台本でみられた違和感が自分の中にあった。じゃあ自分ならどうするか。この話は娘を失った夫婦の下にある日一匹の猫がやってくる。娘の死以来、何もできなかった妻が、この猫により次第と元気を取り戻したかのようにみえたのだが…。こういう話が出来上がってきた。 娘は幕が開いた時にはもうすでに居ないという設定。脚本上で意識したことは、「死」というフレーズを使わない、ということ。そして極力説明しない台詞まわしを意識した。書いた台詞をどんどん削っていく。削られ残った台詞も本当に伝えたいことは台詞の通りではない。出てくる猫は無対称として、役者たちの視線とパントマイムで表現する。おそらく脚本だけ見せられると高校生が困るような代物なのは間違いない。ただそんな状態だったが6月上旬頃には第一稿が完成した。

 ただ今回は副顧問から一方的に互いの脚本をコンペで決めましょうと通告されていた。タイムリミットは仲間内の顧問たちで行っている台本検討会という集まりが6月末にあり、ここで決めるということだった。
 自分は特に隠し立てする必要もないので出来た脚本を副顧問に渡し、そっちも出来たら事前に見せてね、と告げていた。その副顧問は、SNSでお洒落なcafeで脚本を書いている写真をアップし「お洒落なカフェで書くと、いい台本が書ける」などとコメントをつけていた。まぁ、こちらは授業の合間の職員室や、仕事帰りのマクドナルドなどが主な執筆場所なんでお洒落でも何でもないのだが、脚本はとりあえず完成はしていた。
 6月の末の期日が近いので「出来た?」と聞くと「あともう少し。ラストの書いたら終わります」と言っていた。そして検討会の前日、職場で飲み会があり、私は一次会で帰ったのだが、副顧問の彼は二次会の方へ流れていったようだ。

 そして翌日の検討会。すでに参加する他校顧問にジャッジしてもらうと彼が宣言していたのだが、結局当日まで彼の書いた脚本を、私は見せてもらうことはなかった。本当に参加されていた先生方に申し訳なく、さらには内輪揉めみたいな状況を晒すことにも恥ずかしい気持ちしかなかった。
 幸い私の書いた『猫を飼う』という脚本は概ね好評だった。特に参加した一人の先生は絶賛してくれたので、少しほっとした。

 いよいよ彼の脚本が配られたのだがその本は6ページしかなかった。通常私たちは40〜60ページ前後は書く(1ページ1分くらいのイメージで。もちろん人によります)。この6ページは幕あきから6ページのところで終わっている。つまり途中ということだ(開始してから5〜6分程度)。読まされている他校の顧問も困惑している。私は更に申し訳ない気持ちで居た堪れなくなった。昨年やったことを彼は今年もやったのだ。しかも他校の先生方まで巻き込んで。

 読んだ先生方は半ば呆れ顔で「書くなら最後まで書かないと」「これだけ渡されてもどうコメントして良いのか…」と彼を諭すように話してくれた。私としては、「私によって、自分の才能が潰される!」と言われたのだが、ならば、せめてその才能を示して欲しかった。自分で喧嘩を売っておいてこれはないだろう、と正直、腹立たしくなった。
 脚本コンペは私の不戦勝という形で幕を下ろしたのだが、この後も芝居づくりは彼に振り回されることとなるのだった。

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