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「価値」の本質を考え続けたい

その日、突然夢が叶った。
電話の向こうに憧れの二川幸夫がいた。

2011年3月11日を何日か過ぎた日だったと思う。僕は当時担当していた物件の建築現場にいて、建築誌出版社の方からその建築を撮影したいので日程を調整させて欲しいという電話を受けていた。

「では二川にかわりますから」
突然だった。二川先生と話したのはそれが初めてでした。今近くにある木々の様子を教えてくれと言われたので、山桜が1本咲き始めそうだと伝えると、じゃあすぐ行きたいから調整してくれと。それから合計で確か4回ほど現場に来て撮影していただいた。撮影の間、二川先生と色んな話をさせていただき、今でもその時の言葉は大切に記して残している。

「Yukio Futagawaに撮影してもらいたい。」
僕だけじゃなくて、世界中の多くの建築家が夢見たひと時代がある。そしてその建築は二川先生が発行する建築雑誌、GA HOUSE 123の表紙を飾った。僕はその本を仙台の書店で手にして震えた。2011年の秋、僕は仙台で膨大な数の被災建築の調査や復旧設計の仕事に追われ、意識の遠くなる日々を送っていた。

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二川先生との出会いは大学の図書館だった。
『日本の民家』
二川先生が20代のころに全国を旅しながら撮影した古民家の記録集を開いた時、僕は衝撃を受けた。田舎育ちの僕にとって、古民家は汚くて見すぼらしくて、美しさとは真逆にあるものだった。しかし、その本の中に記録されていた古民家はどれも、とてつもなく美しかった。価値観が揺さぶられた。

『人間生活とともに長い歴史を生きつづけてきた民家のガンバリと力強さ、私は民家のなかに民衆の働きと知恵の蓄積を発見し、この現在に生きつづけているすばらしい過去の遺産を、自分の手で記録しようと思いたった。『日本の民家一九五五年』 二川幸夫』

二川先生がこの一連の撮影を行った当時、高度成長期を迎える日本では、古民家が「価値」のないものと見放され、解体され、姿を消しつつあっただろう。そんな時代にあって、借り物ではない自分の中の「価値」を信じて記録し続けた、二川先生の「価値」の置き方に、僕は憧れた。

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仙台の書店で、GA HOUSE 123を開いた時に驚いたことがひとつある。
そこにあるはずのない、霧の中に浮かび上がる茶室棟の写真があったからだ。それも見開きページに堂々と。

僕が二川先生に「霧の中の茶室が美しいんです」と話した時に、先生は「俺は霧は撮らない。霧の中の建物は良い写真にならないから」と坦々と返された。なるほど二川先生が言うなら間違いない。だから、その一枚はあるはずのない写真。驚いた。もしかしてあの時に撮影されていたのかと思い当たる節はある。

掲載された写真はもちろん美しかった。
そして驚いたのは、当時80才近くだったと思うが、その価値観を動かせる二川先生の柔らかさだ。「価値」に絶対的なものなんてないんだなと思った。

僕は自分の中の「価値」の本質を考え続けられる人間になりたい。

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