Tinderは世界を救うのか?あるいはドナルド・トランプの誕生について
ここ2年くらい考えている。
Tinderは世界を救うのか?ということについて。
この2年の思考の変遷について、簡潔に順を追って説明していきたい。
第一期 社会階層の通り抜けフープ
はじまりはひとつの仮説だった。
高度に発達した出会い系は、社会階層やクラスタの異なる男女を結びつけ、価値観を拡張することが可能なのでは?という仮説だった。
たとえば官僚の男性が幼稚園の先生と出会ったり、アパレルで働く男性が女医さんと出会ったり。そうすることで、Tinderを使うまでほとんど出会うことのなかった男女の人生が交錯し、あらたな価値観を見出すことができるのでは、と。
Tinderによって、社会の分断を埋めることができるのもしれない、と。
第二期 闘争領域の拡大
第一期の仮説にはひとつの落とし穴があった。
誰しもが平等にマッチすることを前提としてしまった点である。
マッチングアプリ比較サイトの独自調査などに目を通すと、どのマッチングアプリもマッチ数と会員数は当然、正規分布にはなっておらず、ロングテール型になっている。
つまり、マッチ総数全体のなかでは、おそらくパレートの法則(8割のマッチが、2割のユーザー間において生じている)に近しい状況になっていると推測される。
これではまるで、社会の分断を埋めるどころか、性愛の領域にまで市場原理を拡大適用している=闘争領域が拡大しているに過ぎない。
少数の勝ち組が経済でも性愛でも圧倒的な報酬を得る、というウェルベック的状況が生まれているのだ。
第三期 世界はもっと悪くなっている
それでも、「強者による搾取」と並行して、価値観の拡張が起きるのではないか?という希望はあった。受験戦争を勝ち抜いた「エリート」が、夢追い人の専門学生と出会うことで、新たな生き方に開眼するのでは、という夢物語が。
しかし、ひとはマッチングアプリで相手を選別するときに、純粋に容姿だけで評価しているのではない。
顔貌、髪型、髪色、装飾品の数、服装、プロフィール文に書かれた趣味嗜好、プロフィール文の書き方のくせ、などによって、「無意識的に」価値観の近しい人を選別している。
すると、たとえ第一期で述べたような官僚と幼稚園の先生、アパレル店員と女医が出会ったところで、彼らは職業こそ異なれど、おそらく価値観の近しさを「無意識的に」かぎ分けた出会いであり、それはもはや社会の分断を結びつけた、などとは言えない代物である。
ほとんどのひとは、価値観の異なるひとと余暇の時間を敢えて削ってまで対話をしようとするほど、高尚には生きていない。
どれだけの人間とマッチングアプリで出会おうと、「無意識的な」行為によって相手は選別され、価値観の再生産をしているだけ、だ。
この事態を解決するためには、完全にランダムに相手をスワイプするしかない。
ただ、だれがそんなサービスを欲しがり、あるいは現行サービスのそんな使い方を望むだろうか。
Tinderは世界を救わない。
そしてぼくたちは今日もアルゴリズムのなかで価値観の再生産に精を出している。
これがいま、ぼくの第三期の結論です。