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きづいたらグラフィックデザインをやってた(学生編)

お久しぶりです、ほたるのほったーです。
下書きにしたままずっと放置してました笑

本日はなぜ
グラフィックデザイナーになったか
についての記事です。

小さい頃からの希望の仕事じゃなかったし、
憧れの仕事でもないし、
別に 夢 じゃなかったんです。


高校3年の進路選択

17才の頃まわりは絶賛大学受験ムードの中、
私はどんな高校生だったかというと

「出席日数の逆算で 何日しか休めないか」

そう、
授業出席と、高校卒業が
私の頑張ったことでした。笑

中高一貫の私立の女子校だったのですが
思春期鬱を患ってた関係もあり、
勉強は二の次!テストは名前を書いてくれば良い!単位さえ落とさなければ!といった具合

そんなこんなで
勉強よりも生きることと
朝起きて決められた時間の授業に出席し
単位を落とさないこと

それだけしか記憶にない高校生で
成績なんて、大学進学なんて、
それどころじゃなかったです笑

そんな高校生活でしたが
選択授業があって デザイン を受講したんです

単純に
絵とモノづくりが昔から好きだったから。
でも美術部のようなデッサンが書けるほどの力はない。

オリジナルの商品を考えて
ラフを書いて作ったり(非常に簡易的なモノ)

フライヤーやチラシを
ノートに貼ってどういうところが良いと思ったか?

というのが授業の提出点でした。

学力が関係ないということもあり
本当にデザインの授業が楽しくて楽しくて


そんな中で聞かれる 「進路」
四年制大学は行く気はなかったです。
なぜなら、学力がないから。大学受験なんて無理。笑
(ここでそれなりに元気で勉強が人並みにできてたら選択肢が増えて違う未来があったのかもしれない)

そこで考えたのは、専門学校。
体育(スポーツテストは絶対A)と
美術(デザイン) の二択しかない状況下

好きなモノづくりを
一日中やってて評価される → 楽しそう!

そんな理由でデザインの専門学校を調べて
母に言いました。
「ここのオープンキャンパス、行きたい」

後から聞いた話母いわく、
私が自分の意思で話を持ってきたことに驚いたのだとか
(どんな高校生だったのだろう笑)
(覚えてはないけど当時の自分なりにちゃんと考えたんだろうね笑)

その進路希望を先生に伝えると、
「専門学校は将来に直結するから良く考えた方がよい」と

絶対に美容師になる!から美容の専門
絶対にダンサーになる!からダンスの専門 等

将来の幅が、専門進学の時点で狭まるから。


なんで、デザインの専門学校に行きたいか?
そう聞かれてもぶっちゃけ

「モノ作ってたいから」

そんな理由です。
デザイナーになりたいなんて思ってなく、
いま興味があることだけ、やりたい。学んでみたいなぁー。

たったそれだけの事でした。


デザインの専門学校のオープンキャンパス

そこで行ったオープンキャンパスは、まぁ楽しい!!笑
プラスチックを専門の機械で切ってフォトパネル作ったり、
のりで切り貼りしたコラージュペーパーを差し込んでオリジナルのタンブラーを作ったり

その制作後の専門学校の先生の対応が
すごく印象に残ってます。

どの子の作品も全部誉めるんです。

ここがいいね。この感じ素敵だね。
要は、全部がまる
否定をしないんです

デザインに正解はない

この事を強く感じました。

正解がある事が私は根本的に嫌いだったんです。
歴史の記憶や、数学の公式、英語の単語
原則として楽しくないんです

正解がなくて
それぞれが違うものを作る無限の答えがあって
それがすっごくおもしろく思い、専門学校へ進学しました。

(ちなみに入学試験は消ゴムはんこの作品を提出しました)



デザインの専門学校に入学

mac book proもいっちょまえに買ってもらい
いよいよデザイン学生の日々がはじまりました。

本当に本当に毎日が楽しかった。
18歳から21歳まで3年間。

水彩絵具を使って絵を描いたり、
webデザインの基礎にコーディング、
商品企画とパッケージ作成、
写真撮影に、PV撮影と編集、
そして、リーフレット制作や雑誌風ページ制作。

グラフィックデザイン学科(2年制)もあったのですが、
当時なにがしたいかわからなかったので、
ビジュアルデザイン学科(3年制)に入学。

なので、
グラフィック制作以外にも
webページ作り、CM作りなど
トータルして作る課題が多かった印象ですね。

ある種、薔薇色の日々でした笑

意外にも評価も良くて、
学年末審査では優秀賞や奨励賞を2.3年で受賞し

[ SEBIT 2016 東京都専門学校アート&デザイン展 ]

こちらの展示会にて作品を見ていただけたり

最近でこそわりとメジャーになってきましたが
性的マイノリティー(LGBT)とその他の
あらゆる多様性を表現する&知ってもらうツールを制作しました。
(最近なら 「LGBTQIA」 という言葉もありますが、当時は「LGBTs」として複数系で制作しました)

当時はまだ2016年だったので、
アンケートでもLGBTsを
はじめて聞いたという声が多かったです。

この時制作した作品については
また今度記事で紹介できたらと思います🎨

目に見えないものを人に伝えることは
こんなにも難しく
そしてなんて面白いことか

強く学んだ3年間でした。


そんなこんなで、
気づいたらグラフィックデザイナーへの
一歩を踏み出そうとするところまで導かれておりました。


が、しかし!!
就活をろくにしませんでした笑

当時何を思っていたかわからないけれど、
なんか...今じゃない... という漠然とした気持ちで
(ずっと 学生でいたかったんだよ)

「4月から働かなくてもなんとかなる業界」
「卒業してからでも...まぁ働き口はある」

という先生の言葉を良いように信じてw
決めずに卒業しちゃいましたね!!!

決めたのは
5月にアイルランドに行くということ!

今の状況下では、ある種正しい選択だったと思う次第。


非常に自由奔放、
自分の運と成り行き任せで卒業し、
アイルランドへ旅立ったのでした...


以上、学生編はおしまいです。
もう5年も前の事なのですね。

長文となりましたが、
ここまで読んでくださり本当にありがとうございます!
近々、その後も投稿予定です...

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