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障害者は、弱者でなければならないのか。
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「乙武洋匡の七転び八起き」
https://note.mu/h_ototake/m/m9d2115c70116
水曜日のコラムでも書いたが、これまで3年間にわたって『AbemaPrime』の月曜MCを務めてきた村本大輔さんが、今週25日をもって卒業。最終回は、村本さんが「いま話したい人」と対談をするという企画だった。その対談相手の一人として、村本さんは私を指名してくださった。
制限時間は、ジャスト10分間。その序盤で、村本さんは私にこんな疑問をぶつけてくださった。
「乙武さんと話していると、『あれ、これは僕がこれまでしゃべってきた強者の人々と同じ目線だ』と感じることがたまにあるんですよ。何と説明したらいいかわからないんですけど、障害者に見えたことがない」
村本さんに限らず、この20年間、同じような言葉を何度もかけられてきた。「乙武さんは障害者ではないから」という言葉をもらったことも一度や二度ではない。
そうした言葉を受け取るたび、私は苦笑いをこらえるのに必死だった。ちょっと待ってくれ。両手両足のない、電動車いすに乗った人間が障害者でなくて、いったい誰が障害者なのだ、と。
では、村本さん(や同様の考えを持つ人々)は、手足のない私を前にして、なぜ「障害者に見えない」と感じるのだろうか。
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