おい、なに死んでんだよ。早すぎるだろ。
2024年となってまだひと月ほどしか経っていないが、次々と著名人の訃報が舞い込んできている。写真家の篠山紀信さんやコメディアンの南部虎弾さん、さらには世界的な指揮者として活躍した小澤征爾さんも亡くなられた。しかし、私にとって最も大きな衝撃を与えたのは、車椅子に乗ったお笑い芸人・ホーキング青山の死だった。
ホーキング青山のことを知ったのは、まだ私が世に出る少し前、今から25年以上も昔のことだったと思う。何かの雑誌に彼が寄稿していたコラムを読んだのだが、「車椅子×お笑い芸人」という、ずいぶんパンチの効いた肩書きに衝撃を受けただけでなく、コラムの内容がまた痛烈だったのをよく覚えている。
これは車椅子あるあるでもあるのだが、ある日、彼が路上に車椅子のまま佇んでいると、彼に同情を寄せたのであろう通行人が、彼にいくばくかの金を渡したのだという。いわゆる一般の車椅子ユーザなら、「いえいえ、受け取れませんよ」などと言って返しそうなものだが、彼はそのカネを受け取ったばかりか、そのまま“よりかわいそうな佇まい”を装ってで路上に座り続け、一日かけて“集金”に勤しんだ。そして、あろうことかそのカネで風俗に行ったというのだ。
いま、「あろうことか」と書いたが、本当のところを言うと、あまりに痛快で、読み終えたときには思わず快哉を叫んでいた。薄っぺらい同情心からわずかばかりのお金でマスターベーションする奴らから金を巻き上げ、それをみずからの射精につなげてみせるというアクロバティックな手法を得意げに披露する先輩に、まだ『五体不満足』を出す前の乙武青年は、ハンマーで頭を投げられたような衝撃を受けるとともに、どこか感動を覚えたりもしていたのだ。
それからしばらく青山氏の存在についてはすっかり忘れていたのだが、また彼のことを思い出すようになったのは、『五体不満足』出版後のことだった。まもなく彼は『笑え!五体不満足』という本を出版し、『五体不満足』を自身の著書の盗作だと言ってみたり、返す方で私のことを自身のLIVEで盛大にディスったりという活動の様子が耳に入ってきたのだ。
正直、それを聞いて、ムカついた、腹が立ったということはなかった。それどころか、「あー、あのコラムを書いたお笑い芸人の方だ!」と、当時読んだコラムの感動が蘇ってきたばかりか、“先輩”に認知してもらえたような気がして、いささか照れくさいような、そしてうれしいような気持ちがあった。
その当時、私は悩んでいた。というのも、『五体不満足』やメディアを通した私のイメージが、すっかり聖人君子のようなものとなってしまい、じつはそこまでたいした人間ではない自分とのギャップに苦しんでいたのだ。わざと露悪的に振る舞い、「みなさんが思っているような人間ではない」と抗い続けるのがいいのか、それともみなさんが求める「きれいな乙武さん」として振る舞い続けたほうがいいのか。しばらくは方針が固まらずに振り子のように行ったり来たりを繰り返すのだが、最終的に「“きれいな乙武さん”を演じていくしかない」と腹をくくるようになったのには、ホーキング青山という芸人の存在もあったのだろうと思う。
かつてホーキング青山のことを「ダークサイドに落ちた乙武さん」と表現をしていた方がいたが、まさに言い得て妙だと、変に納得してしまった。ある意味、私と彼とは表裏一体だったと思っている。本当の意味での“障害者のリアル”を知ろうと思うなら、ダイバーシティな社会の実現を真正面から訴える乙武洋匡と、自身では処理しきれない性欲も含めて、すべて赤裸々に語るホーキング青山の存在は、どちらも欠かせないピースだと思うのだ。
私自身も決して根が真面目な人間ではないため、いわゆる障害ジョークでネットを騒がせててしまうこともあるが、基本的には彼に対して「そっちは任せた」という気持ちでいた。たとえ150キロを超える豪速球を投げることができるピッチャーでも、そればっかり投げていてはバッターに打たれてしまうように、好投手の条件とは豪速球に加えて、キレの良い変化球を投げることが求められるのだ。例えがおこがましいかもしれないが、私は全力でストレートを投げ込み、そして変化球は青山氏に任せることが、ある意味、役割分担だと思っていた。
8年前のスキャンダルで、私自身が決して聖人君子などではなく、むしろダークサイドに満ち溢れたキャラだったことが露呈してからは、ずいぶんと“あちら側”に侵食して迷惑をかけてしまったようにも思うけれど、基本的には、彼が自身のライブなどで私の悪口を言っているという話が聞こえてくるたび、心の中では「いいぞ、もっとやれ」と煽っている自分がいた。
ここ数年、私自身もスキャンダルで吹っ切れた部分もあり、「障害者の性」についてYouTubeなどを中心に語るようになってきたが、その20年以上も前から、当時タブーとされていたこの分野に切り込んでいたのはホーキング青山その人だった。何とかヘルパーを口説いてセックスに持ち込もうとするなど、とにかく面白おかしく語ろうとする彼に、どこまで「社会問題としてこの課題に日の目を当ててやろう」という思いがあったかどうかわからないが、少なくとも「見て見ぬフリはさせない」という役割を、長年にわたって果たしてきたことは賞賛に値するし、深く感謝もしている。
障害者専用のデリヘル嬢を主人公とした映画『暗闇から手をのばせ』にも出演していた。障害者の性欲という、社会が見て見ぬふりしてきた課題をグロテスクに提示してみせた怪演も含め、彼がこれまで果たしてきた役割は決して小さなものではないはずだ。
だから言いたい。
なに死んでんだよ。まだまだアンタの役割は残ってただろ。
まだまだやり残したことがあるだろう。なに勝手に死んでんだよ。
ぜんぶ俺にやらせる気かよ。
わずか3学年とは言え、年上の彼に対してこんな口の聞き方がいかに失礼かはわかっているつもりだ。だが、彼の訃報を聞いた際の率直な私の心境は、「ふざけんなよ」だった。「障害者×お笑い」「障害×性」など、これまでタブーとされてきた分野が、いよいよ語られるようになってきた。いよいよ、彼の出番だったはずだ。やっと時代が彼に追いついてきたはずだったのだ。だからこそ、彼が亡くなったことをニュースで知り、「悲しい」よりも「悔しい」が先に来たのかもしれない。50歳、あまりに早い別れだ。
おたがい落語が好きで、時々客席で遭遇することがあった。自身のライブで盛大に私をディスっていることに対して、私も一切なじるようなことはなく、彼も一切詫びるようなことはなく、ひたすら上っ面で落語の話だけをして、「じゃあ」と別れるだけの関係だったが、一度腹を割って、じっくり酒でも飲んでみたかった。
そのときは、酒の勢いで風俗にでも誘われていたかもしれない。きっと彼のことだから、バリアフリーで、かつ私たちのような重度の障害者がやってきてもドン引きしないような女の子がいる“優良店”を紹介してくれたのだろう。チクショー、そんな店があるなら生前に聞いておくんだった。
青山さん、道を切り拓いてくれてありがとう。あなたがこじ開けてくれたドアからこの小さな体を潜り込ませ、これからも「タブーなんかクソくらえ」と大きな声で叫び続けていきます。
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