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担任していた子どもたちと、13年ぶりにタイムカプセルを開けた日のこと。
「ふざけんなよ、コロナ」
この3年間、日本中の、いや世界中のあちこちでそんな声が上がっていたと思うけれど、御多分に洩れず、私もそんな叫び声を上げたひとりだ。
小学校教員を務めていたとき、担任していた子どもたちとタイムカプセルをつくった。地中に埋めたところで、だいたい場所がわからなくなったり、容器が劣化していて中身の保全が保たれなかったりするのがオチなので、お菓子の缶に入れて、私が長らく自宅で預かっていることになった。
「10年後、みんなが20歳になったときに開けよう」
そう約束した10年後、みんなのスケジュールを合わせ、会場も確保したところで、コロナに襲われ、会が中止となったのだ。
「ふざけんなよ、コロナ」
そう叫んでから、3年が経った。約束した月日からはだいぶ経ってしまったけれど、ついに“その日”がやってきた。
私たちの思い出の学び舎は、廃校になってしまっていた。いまは、その校舎の一部がこども園として使われている。当然、中には入れないものとあきらめていたけれど、いまでも地域活動に携わっている保護者の計らいで特別に30分だけ入らせてもらえることに。
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エモい、エモすぎるよ……。
「わあ、なつかしい」
「この階段、すごく大きいと思ってたけど、いま見たらそうでもないんだね」
23歳になった“卒業生”たちが、なつかしそうに感想を漏らしている姿を目にしただけで、すでに私の涙腺は決壊しそうだった。
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(さすがに早すぎるだろ……)
そう自分に言い聞かせて、ぐっとこらえていた。ウソ。こらえられるわけないと思ったから、そっとみんなの輪から離れてみた。
予定していた30分があっという間に過ぎ去って、私たちは近くのカフェに移動した。カフェと言っても、劇場内に併設されているカフェのスペースを幹事のM君が特別に予約しておいてくれたもの。じつはこの劇場にも「芸術鑑賞教室」で来たことがあったので、「みんなで観に来たよね」「来たことは覚えてるけど、何を観たんだかさっぱり覚えてないや」という会話でひとしきり盛り上がった。
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さあ、いよいよ“開封の儀”。
ところが、みんなの顔を見ているとワクワクというよりも、不安そうな顔をしている子がほとんどだった。じつを言うと、私もきっとそんな顔をしていた。「13年前のタイムカプセルを開封する」という事実だけを抜き出せば聞こえはいいのだが、13年も前に「何を入れたのか」、誰も思い出せなかったのだ。
みんなの“証言”をつなぎ合わせていくと、どうやら「習字」を入れたらしいことがわかってきた。「10年後の私へ」という手紙も入っているらしい。そして、音声データも入っている。そういえば全員で夏川りみさんの『涙そうそう』を合唱した記憶がある。いや、でも合唱だけでなく、ひとり一言ずつ何かをしゃべったような、しゃべらなかったような……。
みんなの記憶を寄せ集めてわかったことは、ここまでだった。あとは開封してたしかめるしかない。
ドキドキ。ドキドキ。
みんなの心臓の高鳴りが聞こえてくるようだった。いや、私の心臓の音が高鳴りすぎて、みんなの胸が高鳴っているように思えただけかもしれない。
黄色いビニルテープを剥がした。13年の月日で粘着部分がベトベトになっていた。それも厭わずに、S君が紫色の缶のフタに手をかける。
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「え、新聞?」
“中身”は、どうやら古新聞にくるまれているようだった。いまの時代だったら、みんな新聞を紙で取ったりしていないから、代わりに何でくるむんだろうなどと考えているうちに、S君が新聞紙を剥ぎ取っていく。
最初に出てきたのは、習字だった。ただ、みんなが書いている文字はバラバラ。どうやら、「自分の好きな言葉(文字)」を書くというお題だったみたいだ。一文字だけ書いている子もいれば、二文字書いている子もいる。なかには、なぜか「稲妻」と書いていて、みんなから「なんで稲妻なんだよ笑」と爆笑されている子も。
「ねえ、自分の名前の文字を書いてるやつ多くない?」
「たしかに。みんな、どんだけ自分のこと好きなんだよ笑」
「うちのクラスらしいな!」
そうそう、うちのクラスはやたら自己肯定感の高い子が多かった。もちろん、はじめからそうだったわけではない。担任がやたら自己肯定感が高かったのを見て、子どもたちの自己肯定感まで高まっていったのだ(えっへん)!
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次に出てきたのは、「10年後の私へ」。みんなが最も恐れていたのが、この“自分への手紙”だった。裏を返せば、この時間がいちばんの大盛り上がり。「わはは、俺こんなこと書いてやんの」とみんなに回し読みさせてくれる子もいれば、誰にも読まれまいとひったくるようにして自分の分を受け取り、腕で隠しながらひっそりと読んでいる子も。ここでも、それぞれの個性が咲いていた。
さて、「最後の一品」は音声データだった。S君が透明のケースに入ったそれを持ち上げると、みんなの顔に「?」マークが浮かんだ。CDでもない。カセットテープでもない。なんだ、これは……。
「MDだ」
誰かがそうつぶやいて、みんなが我に返った。そうだ、MDだ。1990年代後半〜2000年代前半だっただろうか。わずか10年にも満たなかったのではないかと思われるほど実働期間が短かった記憶媒体で、それでも当時は音楽を録音したり、音声データを録音・再生したりするには、とても便利なツールとして利用されていたのだ。
「こんなもん、どうやって聞くんだよ」
「MDとかマジでウケる!」
さあ、困った。しばらく思案していたところ、ひとりの女の子が提案してくれた。
「うちのパソコンで変換したら聞けるかもしれない。そこで再生できれば、その再生してる音声をスマホで録音して……」
それだ!
というわけで、その子を含めた数人が彼女の自宅で「音声解析チーム」に。残る我々が、仕事の都合などでこの日に参加することができなかった子の自宅や職場を訪れて、「自分への手紙」や習字を渡しに行くことに。1時間後の合流を約束して、その場を後にした。
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そうして1時間後。参加者のひとりのバイト先だという居酒屋の開店前の時間をお借りして、私たちは再び合流した。すでに音声を聴いている女の子たち数人はニヤニヤして、吹き出しそうになるのを必死にこらえている。その表情が、まだ音声を聴くことができていない参加メンバーをやけに不安にさせる。
「じゃあ、流すよ!」
お店のBGMを絞りに絞って、音声データをスマホに録音してくれたUさんが「再生」を始める。
「出席番号1番、◯◯◯◯です。私の宝物は——」
女の子にも声変わりってあるんだな、と思わせるかわいらしい声が聞こえてきた。どうやら私たちは、「私の宝物」というテーマで一人ずつスピーチしたものを録音していたらしい。
「2番、◯◯◯◯です!」
小3の頃から休み時間になると司馬遼太郎の本を読んでいた秀才のT君。いまは早稲田大学法学部の4年生だ。この日もずっとしゃべりっぱなしで、会を盛り上げてくれている。そんなT君の当時の宝物とは——。
「僕の宝物は、イルカのぬいぐるみです。いつも一緒に寝ているし、家の中にいるときはいつも一緒にいます!」
ぶははははっ。
一同、大爆笑。ひとの大切にしている宝物を笑い飛ばすなんてこんな失礼な話はないのだが、それにしてもみんなの前でガンガン酒を飲み、合間に紫煙をくゆらせる23歳の彼を目にしながら、当時の彼がイルカのぬいぐるみをだっこしている姿を思い浮かべると、どうしても笑いが込み上げてきてしまうのだ。当の彼も机に突っ伏して、「もう勘弁してくれ」というポーズを取っていた。
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そんな“順番にやってくる罰ゲーム”のような過去の音声データを肴に酒を飲み進めていると、あっという間に出席番号の最後までたどり着いた。23人分の宝物が語られ尽くした後に流れてきたのは、ピアノの音色。そう、私たちは記憶通り、やはり合唱を録音していたのだ。曲も、記憶通りに、『涙そうそう』。
私は13年前の彼らの歌声を聴きながら、ひとつのことを思い出していた。そういえば、当時から私は彼らの歌声を聴くたびに涙ぐんでいたのだ。正直に言えば、普段の音楽の時間での合唱ならば「涙ぐむ」程度で済んでいたが、たとえば学習発表会などの行事で彼らが合唱する際には、もう「涙ぐむ」などという表現では大きな乖離が生まれてしまうほど、むせび泣いてしまっていたのだ。
はじめは自分たちの歌声に涙する担任に驚いていた子どもたちも、あまりに毎回のように私が泣くものだから慣れたもので、合唱しながらもその傍で涙を流す私を横目で見ながら、「先生、また泣いてらあ」と呆れた表情を見せていたものだった。
そんな記憶を蘇らせながら、私の視界は次第にぼやけていった。13年前の子どもたちの歌声に心を打たれているだけでなく、その子たちと、いまこうして酒を酌み交わしているという事実に心を動かされ、私はカウンターの端っこでひさしぶりにむせび泣いていた。
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そんな私の様子に気がついたUさんが、となりのNさんを肘でつつきながら、ニヤニヤと笑いながらスマホのカメラ機能を立ち上げて私に向けてくる。「照れ臭いからやめてくれ」と思ったものの、私は下唇をかみしめながら嗚咽をこらえるのに必死だった。
そうして1番が終わり、間奏が流れる。曲間に、当時のさまざまな思い出が蘇る。ああ、本当にこの子たちを担任することができて私は幸せだった。そんなしみじみとした想いに浸っていたとき、事件は起こった。この事件は、本当なら誰にも知られたくないことなので、死ぬほどくだらない内容にもかかわらず、この記事は高額に設定させていただく。本当に読んでほしくない。ああ、なんで私はこのことを記事に書こうとしてしまっているのだろう……。
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