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【チェルノブイリ訪問記③】 ゴーストタウンを生んだウクライナは、原発とどう向き合うのか。
原発事故から33年が経ったチェルノブイリを訪れた。今回は、レポート第3弾(最終回)。まずは、第1回、第2回をお読みいただければ。
2016年に完成したばかりの新シェルターを見学した私は、ガイドのアレックスの案内で、ツアーの最終目的地であるプリピャチへと向かった。
プリピャチは、4万9000人が暮らす都市——だった。チェルノブイリ原子力発電所から、わずか4km。13,414世帯のほとんどが、原発で働く従業員とその家族だった。市内にはエレベーター完備の集合住宅や病院、文化会館、屋内プール場など、当時のソ連としては有数の近代的な設備を有した都市だったという。
そんなアレックスの説明を聞きながら車を降りると、早速、話に出たばかりの集合住宅が見えてきた。ところどころ壁面に剥げた箇所が散見されるものの、特に激しい損傷が認められるわけでもなく、33年間も放置されたままになっているとは思えない佇まいだった。
私の地元にある集合住宅と、外観が似ている気がした。だからこそ、余計にそこに住んでいた人々の生活がイメージしやすかった。
だが、爆発事故が起こった翌日、彼らは何が起こったのかを知らされぬままプリピャチからの避難を命じられたという。財布とパスポートだけを持って自宅を離れ、そして二度と戻ることが許されなくなった彼らの心中は、まったくイメージできるものではなかった。
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「乙武洋匡の七転び八起き」
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