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「土地への愛着」に、私たちはどこまで向き合うことができるのか。
ここ数日、立憲民主党・米山隆一衆院議員のXアカウントを注視している。
きっかけは、この投稿だ。
非常に言いづらい事ですが、今回の復興では、人口が減り、地震前から維持が困難になっていた集落では、復興ではなく移住を選択する事をきちんと組織的に行うべきだと思います。地震は、今後も起ります。現在の日本の人口動態で、その全てを旧に復する事は出来ません。現実を見据えた対応をと思います https://t.co/1rVQ6hDk1N
— 米山 隆一 (@RyuichiYoneyama) January 7, 2024
元日に起こった能登半島地震。多くの被害をもたらしているが、今回の震災の特徴は道路などの交通インフラが壊滅的な被害に遭っており、特に半島の先端部分にあたる珠洲市や能登町、輪島市などへの支援が滞ってしまっているという点にある。
こうした状況を受け、米山氏は「復興よりも移住を選択すべきだ」と主張したのだ。これからも震災は起こる。そのとき、また支援が行き届かない地域に「街を興す」ことが本当に正しいのか。交通だけでなく、電気や水道などのインフラがきちんと整備された、もしくは被害に遭っても復旧させやすい地域に暮らすほうがいいのではないか、と提案しているのだ。
この投稿について、私はこのように感じている。
日本の政治は、この「言いづらいこと」を避けてきた。だから、向き合わなければいけない社会課題が解決されぬまま放置されてきたものもあれば、ずるずると悪化の一途を辿ってきたものもある。
— 乙武洋匡 (@h_ototake) January 9, 2024
票を失う覚悟を持って議論に臨もうとする米山氏のこうした態度は、政治家として「私は」信頼できる。 https://t.co/Zhn8ZdxfQh
結論をどうするかはさておき、こうしたことを国民的に議論することは極めて重要であるはずだ。そうした議論を避けてきたからこそ、例えば少子高齢化など、この国の浮沈を左右するような問題が後回しにされてきたのではないだろうか、と。
だからこそ、批判を覚悟でこうした問題提起をした米山氏の姿勢を私は好意的に捉えたし、政治家として信頼できる態度だと感じた。
ところが、この私の投稿が思いのほか反響を呼んだ。もちろん、「たしかに必要な議論だ」という肯定的な反応も多く寄せられたが、思っていた以上にネガティブな反応も多く寄せられたのだ。
それは、私が「障害者の人権」にこだわって活動してきたからこその反論でもあった。
地方を切り捨てると主張するのが立派なら障害者を切り捨てるのも立派なのかな? https://t.co/6CpuvZCBOo
— XXXXXXXX (@khiikiat) January 10, 2024
「言いづらい事だけど、手足のない人を社会が補助したり育てたりするのはコストがかかって無駄だから辞めよう」って言われたら受け入れるんっすかね https://t.co/eiwB8xyvd0
— teruoharuo (@teruoharuo) January 11, 2024
切り捨てられるのが他人なら、何とでも言えるだろう
— Speed540 (@speed540) January 9, 2024
でも自分が切り捨てられる側に回ったら、同じことが言えるだろうか?
「車イスユーザは切り捨てよう」みたいな言論だって、社会の主流になりかねない世の中なのに https://t.co/Lztbl7p9nX
わかりやすく言い換えれば、「『障害者の人権を』と言ってきたお前が、なぜ『過疎地を切り捨てろ』という主張に与するのだ」というわけだ。
こうした反論について、私なりの考えを述べてみようと思う。
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「乙武洋匡の七転び八起き」
https://note.com/h_ototake/m/m9d2115c70116
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