
出口は見えるのか、それとも作るのか。
人生の時間を生きるとき、
エアポケットに落ちたような感覚になること、ありませんか。
たとえば、
仕事などでやりがいが感じられないときや
今日は昨日の続き、明日は今日の続きというような
淡々と日常が続くとき
逆に
自分や周囲に問題が次々に起こり
キャパシティを超えてしまうとき
など
自分にはどうしようもない、できない・・
といった無力感に襲われて
流されるままになることって、ありますよね。
目標が見えない。希望が見えにくい。
そんなとき、ちょっと救いになる面白いキャリア理論
”クランボルツ理論” があります。
キャリアというと、なんだか仕事バリバリ!な感じがする人もいるかもしれませんが・・
自分のこれからを考えたとき
「なりたい自分」とか
「目指す自分像」とか「目標」とか??→いわば「出口」。
そんな出口が見えなくてもいい。
まさに今、自分に
そして自分の周囲に偶然起きていること
それに乗って、流されるようにキャリアを積んでいくと
出口 いわば 「目指す自分像」「目標」 が自然に見えてくるよ~
という ”偶然がキャリアを作る クランボルツ理論”。
↑こんな考え方もあります。
自分はどちらのタイプなのか?
★「出口」を作りたいタイプか。
★「出口」は自然に見えてくるさと思うタイプか。
自分はどちらが楽なのか?合っているのか?
「自分を知る」ことが結局は出口に近づけるのかもしれません。
でも、自分のつむじを直視できないように
「自分を知る」ことはとてもむずかしいことでもありますね。