2022年5月6日
大きな傷を負った
体ではなくて心の話
私だけではなくて、きっとみんなの話
このタイミングでGWがあってよかったのかどうかはわからないけど、とりあえずお疲れ様でした。
2年半ぶりにレストランの制服を着れることに、内心ワクワクしていた、この大型連休。その期待をへし折られながらも、なんとか持ち堪えた数日間でした。
何から手をつけたらいいのか。
むしろ、何だったらできるのか。よくわからない。
目の前に立っているお客様を、大事にする。
その単純なことが、どれほど簡単で難しいことか。
上空を通るたびに、誰かの身を案じていたこと。
どこかずれてしまった日常を、それでも丁寧に過ごしていたこと。
みんなで黙祷をしたこと。
お見送りする手が、お辞儀が、いつもより長く、熱がこもってしまうこと。
「お気をつけて」にこめた意味。
誰も知らない。メディアには載らない。
言葉にはならない。言葉にできない。そこにいたみんなだけ、わかっていればそれでいい。
今、ここで生きて感じていることは、そういうことだと思う。
料飲部の制服は気合が入る。
腰にサロンを巻いて襟を正す、あの行為が、私のスイッチを切り替える。多分だけど、学生の頃に熱を入れていた少林寺拳法の道着を着るそれと、同じ感覚。いつまでも忘れたくない、アドレナリンが体を、脳を巡る感覚。
少林寺拳法の教えで「不殺活人」というのがあったのを思い出した。人を殺さず活かす。
今をきっかけにしたいわけではない。だけど、今をきっかけにしないといけない。
アドレナリンとは違う何かが、脳を叩く。
直感を信じて、勝手にやる。
理屈は後からついてくる。
早く行くなら一人で行けばいい。
遠くへ行きたいなら、仲間と。
未来を信じることを諦めたくない。