見出し画像

孤独の正体にたどり着いたのかもしれない


数か月前あかしゆかさんという方を見つけ、Twitterをフォローしnoteを読んでいる。こんな文章が書けたらいいなと思う。いろんな角度から世界を捉えていてその視点の多さに驚いている。たくさんのことを感じ取って、生み出す力に還元しているように見える。すてきだなぁ。


昨日読んだnoteはこれ。


生きていれば、1度や2度孤独を感じる瞬間に遭遇したことはあると思う。わたしは常に孤独だ。30代に入ってあえて孤独について考えることはなくなったけど10代~20代前半はとくにひどかった。

なにが寂しくてなにが悲しいのか自分でもわからないけど、夜ベットに入って枕を濡らすなんて日は少なくなかった。


” ひとり ” という目には見えない魔物にいつも心をむしばまれていた。

こういう時、だれが隣にいてもだめで。ともだちに囲まれていても、だいすきな人の腕の中にいても埋めることができない。

わたしはこの孤独は一体どこからくるのだろう。と思っていた。





あかしゆかさんのnoteは冒頭から「おぉ・・・」と口からこぼれそうになるくらいハッとした。

「丸い月」というものを誰かと一緒に見たとして、その月を「丸い」「きれいだ」と思う感覚は同じだったとしても、相手にとって見えているそれは、私が見ている「丸い」とは違うのではないか、と、思っている。


ごくごく自然なことをおっしゃってると思うけど、人は当たり前のことは特にだれかにあえて言葉にしてもらわないと気づけないことがある。


確かにそうだよなぁ、と思った。

丸いの価値観もきっと人それぞれ。
丸いものに「丸い」という名前がついているだけで、「丸い」の背景は実にたくさんある。だれかの「丸い」はあの時のあれに似てる丸さだとしたら、あの時の記憶が蘇るだろうし、最近のわたしは愛犬の瞳や鼻が目に浮かぶ。


目の前の「丸い」を見つめてる事実は同じでも、「丸い」に寄せる想いまでまるごと100%の共鳴はないのだな、と思った。

最後まで読み進めると、こう書いてあった。

誰かの目は、どうやったって経験できない。誰かの鼻も、誰かの耳も、誰かが感じている感触も、誰かが感じている温度やぬくもりも。どうやったって「誰かの感じている世界」は知りえないし、「私の感じている世界」だって誰も知りえない。
私が持つこの感覚のすべてが生きているということならば、そのすべてを自分1人で味わわなければいけないというその事実って、実はめちゃくちゃ孤独な事実だよなあ、と思うのです。


人間生涯孤独というのは、本当の話かもしれない。

孤独の理由を見つけた気がする。
晴れ晴れした!というのは嘘だけど、雲の隙間から一本筋の光が射した。



わたしは鬱病と愛着障害を経験している。2年半前に愛着障害と診断され、もう本当にどうにかしなくては!という気持ちだけで今日まで色んな方法で「自分と向き合う」ということをしてきた。


実践的なものもあるけど、ヨガや心理学、脳科学の勉強もして人間のこころについて学びを深めてきた。そんな日々の中で気づいたことは「自分の感情は自分が責任をもってひとつ残らず丁寧に扱う」だ。


いつだって孤独で泣いているときは、「わかってほしい」という思いからだったと気づいた。

でも、この世界に100%まるごと自分に共感し共鳴し理解してくれる” だれか ” はいない。自分の感覚は自分の感情は自分だけにしかわからない。


あかしさんがおっしゃってる「そのすべてを自分1人で味わわなければならない事実」というところに、あぁそっか~そういことだったのかぁ。と深く頷いた、これこそが孤独の理由なんだね。

そう考えるとますます、自分の感情は丁寧に丁寧に丁寧すぎるくらい扱ってあげないといけないなと思った。


結局自分でしか、自分の孤独を救うことはできないのだ。ということは、だれかの孤独を救うこともできないということにもなる。


あぁ、でもそんなのって寂しい。やっぱり寂しいって思ってしまう。孤独を感じるのも、孤独を慰めるのも自分なんだという事実。でもこれは、紛れもない事実だ。

ここで受け入れて、孤独は当たり前だと生きるチョイスもある。でもわたしは払拭する術を一生探し続けたいなと思う。きっと自分の中にしかないんだろうし、今世だけじゃ時間は足りないのかもしれないけど、それでも探し続けたいなぁ、と思う。




さて、孤独って本当にさみしいことなのかな、それだけじゃないと思う。

孤独を感じるというのことは、たくさんのことを考えて感じて生きているということとイコールにしていいんじゃないかな。

人間を生きていることの証拠なんじゃないかなと思う。そして、ひとりで生きていない証拠でもある。孤独に限らずだけど、感情は自分以外のだれかと生き物と自然とこの世に存在しているから味わうことができるのだ。


色んな感情を知れば知るほど、孤独の深さは増すのかもしれない。でも、孤独を感じるその感覚さえも、自分だけのものだから。そこは否定したくないな。

人間というのは、さまざまな感情でできている完全オーダーメイド。その中には孤独も含まれている、孤独なしで今のわたしは語ることはできない。

自分の感情は自分だけのオリジナルだから、そのオリジナルを盾に孤独も大切にしながらうまく付き合っていけたらいいな。


こう考えることしか今のわたしにはできないけど、だから人はだれかを求めるのだと思うし、それが仮にイタチごっこだったとしても美しいな、人間だなって思う。


孤独を感じてしまうあなたもわたしも、いつか孤独から抜け出すことができるといいね。


ありがとうございます*いただいたサポートはお勉強と旅行の資金に使わせていただきます^^