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「すみません」を口癖から外そう!の話

こんにちは。弁護士の紙尾浩道です。

本題の前に、告知です。少し長いかもしれないので、読み飛ばして、URLの埋め込みの下から本題を読んでいただいても構いません。

え?「恨むか?」って?
恨みませんよ、大丈夫です。本当に。はい。

さて、テニス関係者や学校関係者、習い事でテニスをやる息子さん娘さんを持つ親御さんに告知です。

私ほか数名の弁護士で、テニスとトラブルにまつわる記事を書いています。興味のあるタイトルが有れば、ぜひ、読んでみてもらえると嬉しいです。

さらに欲張ると、「スキ」をつけていただいたり、「フォロー」までしてもらえたら最高です。

向いている方としては、普段、なんとなく解決した(風)だけれども、実際、法律的にはアウトなの?セーフなの?を知りたい方や、タイトルに記載の場面で心がモヤモヤしている方、自分は困ってないけど、友達が心配な方などです。

サンプルとして、私の記事と他の執筆者の記事をいくつか載せておきますね。

読んでね♡


さて、本題です。ここまで読んでくださった方、ありがとうございました。

今日は、「すみません」を口癖から外そう!の話をします。

日常で、つい、使ってしまう「すみません」という言葉。

ドアを開けて待ってもらっていたとき、待ち合わせに少しだけ遅れてしまったとき、取引先から手土産を渡されたとき、店員さんから自分の注文したドリンクを受け取るとき

いつでも使えて非常に便利です。

でもちょっと待ってください。自分の心の中で、どの「すみません」を使ってるかを意識していますか?

さらに言えば、相手がどの「すみません」を受け取ったのか、意識していますか?

こんな事を考えたのは、先日のテニスの際です。

久しぶりに、自分が主催ではなく、他の人が主催する練習会に行ったところ、ペアを組んだ方が、失点しても「すみません」と言い、得点しても「すみません」と言うんですよ。

最初、私は、「なんで点取ったのに謝るんだろう?」と思っていました。

だけど、よく考えてみると、「すみません」には大きく分けて、2つの意味、感謝を表す意味と、謝罪を表す意味があります。

なので、この人は、場面に応じて、「すみません」に含まれる意味の割合を微妙に変えているのでは?という仮説が生まれました。

つまり、失点してしまった際に、自分がミスの主体なら、「すみません」は、私が凡ミスをしてしまってゴメンナサイの意味が10割

失点の主体がペアである私の場合には、「すみません」は、その前でチャンスボールを供給してしまった自分のことについてゴメンナサイが5割、そのチャンスボールを打ち込まれ危険に晒してゴメンナサイが2割、打ち込まれた球を一生懸命返そうとしてくれてアリガトウの意味が3割

得点した場合、自分が得点を決めたときは、「すみません」は、自分なんかが得点させてもらって恐縮ですアリガトウが4割で、そこまでチャンスメークをしてくれてアリガトウが6割

などなど。絶対考えすぎやろ!!とのツッコミは甘んじて受け入れます。

これはあくまで勝手な想像ですので、答えを本人に聞いたわけではありません。

でも、これってテニスに限らず起きていますよね。

先ほどの場面、すなわち、ドアを開けて待ってもらっていたとき、待ち合わせに少しだけ遅れてしまったとき、取引先から手土産を渡されたとき、店員さんから自分の注文したドリンクを受け取るときなど。

個人的な感想を言います。
まどろっこしい!!笑

いや、気持ちは分かります。言葉では言い表せない沢山のニュアンスを伝えたいこともあるのはよくわかりますし、私自身、つい、すみませんと言ってしまうこともあるからです。

でも!ですよ。
でも、伝わらなくないですか?

もう少し深掘りすると、自分中心じゃないですか?

失点の場面で凡ミスをしたら、ゴメンナサイ、凡ミスしちゃった→ドンマイドンマイとやりとりをした方が、ペアは気楽じゃないですか?
励ませるし、次の点で自分が挽回してやろう!って思うので。

もちろん、相手のサーブが良すぎて、凡ミスではなくミスさせられた場合なら、相手を称えますし。

得点の場面でチャンスメークをしてくれたら、さっきのスライスでのアプローチが完璧だったよ!ナイス!ありがとう!と言われた方が嬉しくないですか?

と、こんな感じなので、私は出来る限り、何に対してゴメンナサイ、何に対してアリガトウなのかを意識するようにしています。

これをすると、1つだけいいことがあって、自分のどんな行動を改めなきゃいけないかが、ゴメンナサイついでに分かるのと、相手のどんな行動がその人の良い点だったか、真似すべき点だったかがアリガトウついでに分かります。

特に、日本人はなんだか分かりませんが、相手の良い点を見つけるのが下手!な気がします。

もちろん、全員じゃないですよ?
でも、テニスコーチをやっていたときに思いました。

当時は、「今のフォアハンド、打点が完璧でいいね!」とか、「今のサーブ、回転量申し分ない」とか、具体的に褒めれる人が少ない気がしました。

日常でも転用できそうです。
ドア開けて待ってくれてありがとうと思って、アリガトウしていれば、あぁ、自分にあの機会がやってきたら、ドアを開けて待っていようとか脳味噌にすり込ませることが出来る気がしていて。

もちろん、エビデンスはなしの感覚値なので、それは無理だ!って論文があったら教えてください。勉強し直します。

以上、「すみません」を口癖から外そう!の話でした。

では、また。

記事をお読みいただきありがとうございます。弁護士は縁遠い存在と思われないよう、今後も地道に活動をしようと思いますので、ご支援よろしくお願いします。