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傷心の岬めぐり 人はどうして海を見に行くの
「岬めぐり」という歌があった。
昭和時代の歌で今の若い人は知らないと思う。
恋にやぶれた若者が、バスで岬をめぐるという歌だった。
恋にやぶれたとき、悲しい時、どうして人は海にいくのか、
海を見たいと思うのだろうか。
幸か不幸か、私にはそういう体験がないので想像するだけであるが、
海には真実があるからだと思う。
海岸にたつと、潮の香のするそよ風。
足元で波がゆらぎ、単調にくりかえす瀬音。
天地は水平線で上下にわかれ、他になにもない。
これらは自然である。
自然そのものである。
ふだん街にいて、雑踏の中を歩いているときには、
意識していない自然。
うちあげられ、砂になかば埋もれた廃船は、
朽ちて、赤茶色した船体をさらし、
歳月の限りあることを無言で語っている。
人生のはかなさを教えてくれている。
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私は若いころ、大型バイクが好きで乗り回していた。
京都の先、丹後半島をめぐっていたとき、
夕焼けに遭遇し、
日本海に沈む夕日の美しさをはじめて見た。
世界はオレンジ色と黒だけの二色となり、
岬の家々の片側はオレンジ、片側は黒に分かれて、
どの家からも細長く黒い影がのびていた。
今でも心に残るオレンジ色の別世界だった。
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街には自然はない。
街は「陽」だけの世界である。
「陰」は見せない、隠されている。
たえず明るく、たえず楽しい。
たえず新しい人工物に塗り替えられていく。
古いもの、歳月を感じさせるものは取り壊され、
とっかえひっかえ、新しく更新していく。
人は「陰」と「陽」で心のバランスがとれるのだが・・・
「岬めぐり」の若者はバスを降りると、
また街に戻っていった。