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[エッセイ] 辺境好き ──パタゴニア南端、プンタアレナスの風



  「コーカサスの風景」 「中央アジアの草原にて」 というクラシックの佳品がある。
 どちらも辺境感たっぷりの音楽で、風と果てしない草原の異境にいざなわれる。
 白水社出版の「中央アジア探検紀行集」というのを若い頃読んで、ヘディンの「さまよえる湖」など愛読した。
 タクマラカン砂漠、カシュガル、楼蘭、ロプノールなどという言葉には、遠い郷愁のような思いがある。
 19~20世紀の異境は、探検隊が発見する未知の世界だった。
 ひるがえって現代、この地球という星に未知の世界はなくなった。
 パソコン、スマホをちょっと操作すれば、たちどころにどこでもながめられるようになった。
 パソコン上の地図を動かし、どんどん拡大していくと自分の家があらわれる。平面から立体に変えられる。写真画面として目の前にながめられる。ドアを開けて私が顔を出しそうである。
 すごい時代になったものである。
 また、ドローン撮影の普及によって、景勝地、秘境などが、上空から好きに見られるようになった。
 ではもう旅、旅行は終わりかというと、そうでもない。
 人は目と耳の情報だけでは満足できない。生身の人間は、生身の情報を求めるのである。
 現地の土の上に立ってみたい、そこを歩いてみたい、そこの空気の匂い、そこの気温、風を体感してみたいのである。

 椎名誠は行動する作家である。
 この地球、北へ南へ、辺境をもとめて旅をした。にぎやかな都会、観光地には行っていない、興味なさそうである。
 椎名誠の 「パタゴニア」、以前一度読んでいたが、今回再読している。
 ことしの長く暑かった夏、やっと涼しくなってきたら、ふっとこの本がよみたくなったのだった。
 パタゴニアは南米大陸南端、風と氷にとざされた大秘境である。
 アンデス山脈南端の、チリとアルゼンチンにまたがる広大な、氷河と烈風、そして寂寥の荒地である。
 椎名誠とその仲間たちは、プンタアレナスに向かった。
 プンタアレナスはパタゴニアの最南端、下にとがった南米大陸のさきっちょ、尖端部分にある小さな町、さいはての港町である。そこから南極まで船で二日の距離である。
 ここが彼らの旅のベースキャンプとなった。
 ゆるやかな斜面になった町の向こうにマゼラン海峡がみえる。
 プンタアレナスと南極のあいだには、マゼラン海峡、ドレーク海峡があり、航海の難所ホーン岬がある。
 パナマ運河がまだなかったころ、船はこのホーン岬を越えて太平洋、あるいは大西洋にむかった。
 荒涼として烈風吹きすさぶこの岬で、多くの船が遭難した。
 プンタアレナスの冬場は、連日南極からの烈風が吹きつけ、樹木はまっ直ぐ育たず、いじけて北を向いて曲がって育つ。
 ひとびとは夏でも羽毛服を着こんでいるようだ。
 ささやかな商店街から五分も歩くと人通りはなくなってしまうという。
 椎名誠たちは、中心街からすこしはずれた所にあるモンテカルロというホテルに泊まった。ホテルといっても木造二階建ての、階段がぎしぎし鳴るような建物である。 

 プンタアレナスにはこれとは別のエピソードがある。
 斎藤実さんというヨットマンがいて、以前単独世界一周の航海に出たことがある。
 この人はヨットレース界では海外で有名な人で、この時は70歳をこえて高齢での冒険航海だった。
 ふつう、ヨットで世界一周というと東回り(たとえば日本から太平洋を越えて米国へ)を選ぶ。気流、海流と同方向だから走りやすいのである。
 しかし斎藤さんは難易度の高い西回りに挑戦した。より困難に立ち向かう挑戦者らしい。
 ぐるっと地球を回って魔のホーン岬のあたりにきて、ヨットにトラブルがおき、先に進めず、プンタアレナスに緊急寄港した。
 修理パーツの取り寄せ中病気になり、ちょっとの滞在予定が長引き、結局長逗留になってしまった。
 また季節、時期がわるいと海が荒れて出航できない。
 斎藤さんは、結局3年後に横浜港に戻ってきた。
 帰港当日、私は港の大桟橋からながめていて、ちょっとくたびれたような、薄汚れた白い小さなヨットが、大きな船のあいだをゆっくり移動してくるのを、胸つまらせて見つめていた。
 そんなことがあり、プンタアレナスは私にとっても印象ぶかいのである。


話が横道にそれてしまった。
 椎名誠の旅にもどる。
 彼らの旅の最初は、嵐の海ドレーク海峡のまんなかにある、岩の孤島への旅だった。
 チリ海軍の小さなオンボロ軍艦に便乗してつれて行ってもらう。
 その孤島の守備兵として三人のチリ海軍の兵士が常駐しており、その交代要員を運ぶ船に乗せていってもらうのであった。
 モノクロ写真のように色のない沈黙の黒い海峡を船はすすんで行く。
 海峡の両岸、次々に氷河がせまる。
 口のまわりに黒いたわしのような髭をたくわえた、気のいいチリの兵士たちとの交流、アヒというタバスコの10倍くらい辛い香辛料の話などつづくが、おもしろいのは乗組員たちが日本語に興味をもったことだった。 
 彼らは自分の名前を漢字で書いてくれといった。
 そして「フェルナンド」は「笛留難土」、「ジョナサン」は「除奈参」、「ジャネット」は「蛇熱戸」と、食卓のコースターに書き込まれた。
 氷河の回廊を抜け、荒天のドレーク海峡に入ると船はすさまじい揺れとなる。
 前後のピッチング、左右のローリング、はげしい上下動、あらゆる揺れに襲われた。
 強風と荒れた海のわずかなタイミングをとらえて、めざす孤島に上陸し、新旧要員が交代する。
 暗い目をした3人の新規交代兵士、これから4か月間、荒れた海以外何もないこの絶海の孤島で過ごさなければならない。
 俊寛の島流しを思い出す。べつにかれら3人は罪を犯したわけではないが。
 逆に任期を終えて文明社会にもどる3人は、おそろしく陽気に、船内の顔見知りとしゃべりまくっている。
 こうして荒海のドレーク海峡を体験した椎名隊だった。 

 つぎはパタゴニア内陸の旅である。
 ジープ2台に分乗してプンタアレナスを出発した。
 季節は夏、パタゴニアでもっともよい時期であるが、日本の3月か11月ぐらいの肌寒い気候だという。
 ジープは舗装のない赤土と埃の道を進む。
 前を走る車の巻き上げる砂塵がすごく、頭をかきまわすと砂が落ちてくる。
 夕刻、草原の中、数件の小屋がたちならぶ所に着く。人が二人しかいない牧場集落のようなところで、休暇中の小学校の建物が今日の宿舎となった。
 見渡すかぎりの草原の中、頭の上にでっかい空が広がっている。
 日本の町に暮らす我々の周囲は家々、山々に取り囲まれている。
 空の額縁が狭いのである。空の広さなんて感じたこともない。
 しかし360°地平線のようなところでは、額縁がない。かぎりなく空がひろがっているのであった。
 インディアンのように長いおさげ髪の老婦人が、夕食を用意してくれた。
 羊のステーキ、バケツいっぱいのレタス、それに大びんの赤ワインとパン。
 翌朝、パンとコーヒーの簡単な食事をすますと、出発した。
 このあとパタゴニアの荒地をぐるりと旅するのだが、長い話になるのでこのへんでフェードアウトする。


辺境というと 「風」 「雲」 「草原」 という言葉がうかんでくる。
 人はどうして辺境に惹かれるのだろう? 
 未知の世界だからというのは最初に思いつく。
 カール・ブッセの 「山のあなたの空とおく 幸いすむと人のいう・・・」 や、「遠くへ行きたい」 という歌のように、人は知らない世界にあこがれをいだく。
 「雲」 「風」もまた旅をいざなうことばである。
 「予もいずれの年よりか、片雲の風に誘われて、漂泊の思ひやまず…」と書いて、芭蕉は奥の細道に旅立った。
 私は以前、伊豆七島の式根島へ正月休みに行ったことがあった。
 小学生の息子が釣り好きだったので、子供と二人一泊旅行でいったのである。
 民宿に泊まった夜中、外はごうごうと風が吹き荒れている音がしていた。なにか台風でもきたのかとおもった。
 ところが翌朝、けろりと静かないい朝だった。宿の人たちも皆、まったく何事もなかったように平気な顔をしていた。
 小さな島は、周囲にさえぎるものがないので、風の影響をうけやすいのかもしれないと、そのとき思った。
 辺境は人がすくない、ほとんどいない。人工物もない。
 粗削りの自然、むき出しの自然だけがある。
 人間社会のとりつくろい、人間関係、気遣いなど無関係の世界である。
 ロレンスはアラビアの砂漠を愛した。砂の大地と広大な空、それだけの世界。究極の辺境である。
 考えてみれば、太平洋のど真ん中は、海と空と風だけである。ここも広大な辺境なのである。
 単独航海の冒険家斎藤さんは、なぜそこへ行ったのだろう?
 まもなく秋本番になる日本、地球の反対側のプンタアレナスは春を迎える。まだ強風は吹きまくっているのだろうか?                                                                                                   

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