兵法36計で語る行動変容 その1
36計兵法を、今風にDXで戦うべき兵法書としてまとめ直そうかと時間もないのに思い始めた。
私が、いろいろと考えや新しいことをやるベースは、東洋哲学という下敷きがあるからなのだよな。西洋のいいことをみんな語るけど、借用するからにはいいよではなく、この東洋の島国の人たちに語れるようになっているのかね?そうでなければ、何のための導入ぞ。
和魂洋才とは明治の時代から言うのだが、それを、再度今やるべきではないのかね?
DXをするためにやっているのかね?何のために、もっと言えば、なぜやるのかが大事なのではないのかね?
だからこそ、今一度、その信念を固めるためのことをやってみようではないか。
こっからは、Wikipediaからの引用。
第1計 瞞天過海
敵に繰り返し行動を見せつけて見慣れさせておき、油断を誘って攻撃する。
これは、自治体業務や地域で言えば、普段は手作業に見せかけておき、いざという時に来年からはこうします!と虎視眈々と変化のデジタル化をいうことであろうな。来年からサービスがなくなると言うことを言われれば受け入れざるをえないなんて普通にある。いかに、アッと言わせる転換をすることかこれが大事なのかもしれん。しれっとやれるのであれば一番いいのだぜ。
第2計 囲魏救趙
敵を一箇所に集中させず、奔走させて疲れさせてから撃破する。
本丸に対して攻めてもダメなら、小さなところでいいので急所となる(もしくは自治体の場合は事例があればいいので、他部門の小さな改善でいい)ところをやるか。そういう視点を持つことも大事だ。皆さんは真面目だから、直線上で戦いをしようとする。だが、間接的に効果を、そして本丸を落としてもいいのだ。
第3計 借刀殺人
同盟者や第三者が敵を攻撃するよう仕向ける。
議員さんや市民がそれが必要だと仕向けるのだって手だ。
それが本当に必要ならば、別に内部だけの力を使う必要はない。
少なくても、私はオープンデータの公開や活用に関して議員さんを使うことは多い。
だって、公開して困ることはないのに渋るとは何事か!ということなのだよね。
誰の力を借りて価値を出すか。それは、自分の功績にならんかもしれない。
でも、市民のためになるなら意味があるのではないのか?
ならばやるがいいのだよ。
第4計 以逸待労
直ちに戦闘するのではなく、敵を撹乱して主導権を握り、敵の疲弊を誘う。
これも大事な作戦。
唐の李世民が得意としていた作戦でもある。
相手の疲弊を待って(本当にこれが市民にとっていいのかは考えてね)、その時に必要なことを提供し、手伝うという作戦でもある。本人たちが切羽詰まらないと動かない時なんてのはよくある、それに対してどれだけ準備しておくのかはできておるかね?
全ては準備の上に立つ、それをやるのだよ。
第5計 趁火打劫
敵の被害や混乱に乗じて行動し、利益を得る。
急に方針が変わったり、法令が変わる際には使えるだろう。
今で言えば標準化に乗じて周辺も変えてしまうことだ。
標準化を見て、そこしか変えないなら、新しいことなんてできないだろうよ。
第6計 声東撃西
陽動によって敵の動きを翻弄し、防備を崩してから攻める。
デジタル化といいつつ、実はルールの問題でもある。
そして、変えるとなった時に逆方面から今までの蓄積された課題も打ち込む。
そうして、本来やるべき敵を駆逐するのだよ。
目の前の敵だけを倒すだけなら、普通のこと。だからこそ、価値の増幅をするのだ。
こぞって、スマートシティの考えを西洋に求めるのであれば、私はアンチテーゼとして東洋の哲学で人々の生活を語ろう。脈々とつならる灰色の哲学(東洋の考え方)を飲み込みながら、地域と共に考え続ける、そんなことをやっていきたいのだよ。白黒なんて勝手に決めることではなくそれぞれがいかに生きやすく社会を活かすか。それは、無為なのかもしれないし、あるいは秩序なのかもしれないし、易姓革命や五行相剋のように移り変わることなのかもしれない。だが、それを決めていく、それをやることができればいいのだ。そのための、先人たちの知恵をうまく使おうではないか。