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惣田大海水『死ななくてよくなった後の日日』を読んでの雑文

2冊目は1冊目より薄いことに今さら気がついた。「もうすぐ終わってしまう。」
惣田大海水さんの『死ななくてよくなった後の日日』と『死ななくてよくなった後の日日2』は自分にとって、そんな気持ちを抱かせる本だ。

この本は現在は事務職をやっている惣田大海水さんの、夫とぬいぐるみ達との生活と、職場と、実家にまつわる諸々やらで忙しい日々を綴った「日記本」である。

長年、ある「想い」にとり憑かれていた惣田さんは、ある日、自分の変化に気付く。

私は今、生き辛くない。
なんてことだ。
生き辛くなくなる日がきた。

『死ななくてよくなった後の日日』p13

じゃあ、この後はただただ幸せな日々の話が続くのかというと、そうではない。(そうであってもよいのだが。)
惣田さんを煩わせる要因の一つは「家族」のことだ。それが何かにつけて首をもたげる。
しかし、惣田さんは夫さんや、信頼を寄せる職場の上司や同僚の人たちとの日々で少しずつ、新しい「自分」のペースやスタイルを掴んでいく。

いろいろ取り上げたい箇所はあるがネタバレになるので、興味を持った方は本を購入したり、noteで惣田さんの文章を読んでみて頂きたい。 



最近、自分がよく行く書店の一つである「U」の店員の方に、「お願いごと」を兼ねて、自分の好きな作家さん2人の本を紹介した。
この2人の共通点は、自身の「家族」についてよく語る(書く)ことである。
そして、惣田さんの『死ななくてよくなった後の日日』を読んで確信した。自分は「家族」の話が知りたいのだと。

1960年代以降のアメリカにおける社会運動でのスローガンに、こんな言葉がある。「個人的なことは政治的なこと」。
「政治」という言葉が、どこかぼんやりとして遠いものだと感じるならば、「社会」という言葉に置き換えてもいいかもしれない。
「個人的なことは社会的なこと」。私の、あなたの抱えている「問題」は、一人だけの「問題」ではないということだ。 

自分は「問題」を通して、自分が生きているこの時代の、この社会の「見取り図」のようなものが得られるのではないかと思う。
それは自分にとって必要なものなのだ。迷子にならないように。


惣田さんの2冊目の本も読み終わってしまう。慌てるように部屋の積ん読の中から、何か続けて読めるような本はないか探す。
ヤン ヨンヒさんの『カメラを止めて書きます』という本が目に入り、本の山の中から引っ張り出す。この本も「家族」について書かれた本だ。
本の帯には韓国の映画監督、パク チャヌクさんの言葉でこう書かれていた。

人々はヤン ヨンヒについて
「自分の家族の話をいつまで煮詰めているのだ。
まだ搾り取るつもりか」と後ろ指をさすかもしれません。
しかし、私ならヤン ヨンヒにこう言います。
「これからもさらに煮詰め、搾り取ってください」と。
                                             ヤン ヨンヒは引き続き煮つめ絞り出し、
私たちはこれからも噛み締めなければなりません。

ヤン ヨンヒ『カメラを止めて書きます』帯より


この文の「ヤン  ヨンヒ」を「惣田大海水」に変えて、この2冊の本の賛辞と、これからの惣田さんの執筆活動へのエールとして送りたい。


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