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『いりえで書く』2月のお題「鬼の話」 掌編小説「鬼が笑う」
田園外国語大学の音楽系サークル「世界音楽研究会」で臼井吉高は「鬼」と呼ばれていた。
それは別に後輩に厳しい指導をするとか、己の理想に向かって自らの限界まで挑むとかしていたわけではなく、臼井が普段は自分からあまり喋る方ではないが口を開くと毒舌で、しかも、その言葉が意外と的を射ているので言われた相手が二の句が継げずにしどろもどろになってるところに、また追い打ちをかけるように絶妙なツッコミを入れる。その様子があたかも「鬼」のように相手を徹底的に追い詰めているように見えるので付けられた渾名だった。
このサークルには、会話が途切れがちになると「後輩が先輩をイジらなければいけない」という奇習があって、言われた方もそれに乗っかって「笑い」に変えるという一連の流れがあった。
なので、臼井の毒舌とツッコミも「笑い」のバリエーションとして受け入れられたばかりでなく、「問題があれば物怖じせずに指摘できて、サークルを纏められる素質がある」と良い風に解釈され、臼井が1年生の時にサークルに入ってから、そう時間が経たないうちに翌々年の「代表候補」として見られるようになっていた。
臼井が2年生の時の学園祭のライブは大変盛り上がり、プレハブの部室で行われる恒例の打ち上げには珍しく女子学生も数人参加していた。
この日、臼井が翌年度のサークル代表として正式に任命されることを代表の杉山から言い渡された。皆の視線を一斉に集め、拍手の音に包まれると臼井も、いつもとは違う祝祭的な雰囲気になんだか嬉しくなってしまい、自然と笑みがこぼれた。「鬼が笑った!」と臼井と同学年の寺西が茶化すとみんなも笑った。
外でバーベキューが行われた後、更に酒も進んでくると部室には機材があるので自然とサークル部員たちによる演奏が始まった。演奏はライブの本番並みに続いた。
寺西が「俺、ちょっと外の風に当たって来るわ。」と臼井に言って、外灯がぽつんぽつんと見える夜の闇の中へと向かって行った。臼井はそれを偶々目に留まった映像のように、しばらくぼんやりと眺めていた。
突然、「キャー」という女子学生の叫び声が聞こえた。辺り一面がすごい勢いで真っ白になっていった。部員たちの演奏も止まった。
4年生のサークル部員の友人として参加していた男が興奮して何故か消火器をぶち撒けたのだ。粉っぽいものが呼吸する度に鼻と喉の粘膜の水分を奪いながら、肺の中に入ってくるのを感じる。
慌てて外に出ると、ほとんどの者たちは呆然としながら、窓や出入口から白いもやを吐き出す部室の様子を遠くから眺めていた。
しばらくすると「なんで1,2年が片付けに来ないんだよ!」と消火器ぶちまけ男の友人の4年生が怒鳴った。そこに「それは違うだろ?」と別の4年生の男子学生が言った。
「何が?」低い声が聞き返す。
「何がじゃねぇだろ。」
その時、急に引き裂くような車のブレーキ音の後、思わず身がすくむような大きな衝突音が響いた。まるで効果音のようだったが、身体にまで響いてきた振動が今、実際に起きた出来事の「音」だということを伝えていた。
夜になって、だだっ広くなった大学の駐車場でドリフトを繰り返していた寺西の車が、もろに外灯の鉄柱にぶつかったのだ。異常を知らせるブザーのように、車のクラクションの音が途切れることなく鳴り続けていた。
「来年も、このサークル続けられますかね?」そう、1年生に聞かれると「鬼」は苦笑いするしかなかった。